太陽の獅子
「どういう事だ」
対称の位置にあるはずの部屋から殺気立った声が聞こえた。その場に居合わせているわけでもないのに、一瞬心臓が活動をやめた。まだ外は暗く肌寒い、やや霧がかった森は静止しているようだった。カーディガンを羽織り部屋の外に出ると、ハルがしぃーっと口の前に人差し指を添えていた。出来る限り音を立てず、ハルに近寄るとハルは無言でぼくをお姫様抱っこして階段を降りた。いつものソファに着いたところで、一応小声で話した。
「どうしたの?」
「さぁ、よくわかりませんが良くない事であるのは確かです。しばらく待ちましょう」
とりあえず、ソファに座るとハルはカチカチとコンロを付け、お湯を沸かし始めた。しばらくすると、花をくすぐるような甘い香りがしてきた。
「はい、ココアです」
ふぅふぅと息を吐きかけ、ちょびっと口に含んだ。
とろっとした液体は少々熱く、舌をやけどしそうになるものの、あまい香りは鼻を抜け、口に残る程よい甘さはもう少し、もう少しとまた飲みたくなる衝動を掻き立てるようだ。あっという間にコップの底が見え、残った濃いココアの塊からまだ楽しめるのではないかと、コップを何回も傾けてしまう。
「あはは、本当に美味しかったんですね。もう一杯作りましょうか?」
「…うん、お願い」
気恥ずかしくてまともに顔が見れず、コップだけを高く挙げてハルに渡した。
2杯目を飲み終わったころ、いつもより数段階低いギシギシ音が聞こえた。一気に空気は重く、乾燥した。カチャカチャと剣と鞘が擦れる音が部屋に充満した。
「ハル、ユキ、逃げろ」
「どういうことです?」
ハルは顔を顰め、テーブルにコップを乱暴に置いた。ドンと割れてもおかしくないほど大きい音で、思わずビクッと肩を揺らしてしまった。
「ここが戦場になる、ネレウスのところに行け、あそこなら大丈夫だ」
「ネオは、どうするの?」
「オレの事はいい、はやくっ!」
ネオが叫んだのと同時だった。
ドカンと音が鳴り、地面が振動し地響きが起きた。
地震に近いが、身震いしてしまうほどの恐怖、人工的で発生したことによる恐怖が襲った。自身が揺れているのか、地面かなんてわからない。ただただ、恐怖である。
「…っ」
誰が息を呑んだのだろうか、もしかしたらこの場にいる全員かも知れない。
「説明だけでもっ、教えてください!」
「魔法使いの集団が現れた、何が目的かわからないが大量虐殺で有名な奴らだ、
早く逃げろ、俺が敵を惹きつけるからっ!」
「俺たちは村のみんなを避難させます、あなたはあなたの使命を」
「わかった」
少々納得していないものの、キリが無いと苦虫を噛み潰したような表情で頷き、あの時から磨いていた剣を腰につけ、家を飛び出した。
「ユキさんはここに残ってください、ここは他のどこよりも安全なので」
「ぼくも行くよ、2人いた方がたくさんの人を助けられるでしょ?」
「ですが!」
体がガクンと崩れる程の揺れが起こった。
「ウジウジしている暇ないよ、助けよう2人で」
「っ、分かりました。危険だと思ったら他の人なんて気にせずここに戻ってください、お願いします」
「わかった、ありがとう」
ネオの後に続くようにドアを飛び出し、村の中心へと向かった。静かだった村は悲鳴と炎が家を焼くバチバチとした音にまみれていた。
「ユキさんはコッチの方を!」
「わかった、またね」
「はい!」
出来るだけ大きい声で、村のみんなにぼくたちの家に避難するよう言い駆け回った。汗が伝う、体力の消耗と、焚き火のように天に上がる炎によって。腕で拭っても、拭いきれず、目の中に入って痛い。ハアハアと息を切らし、村の中心へと向かおうとすると、肩を叩かれた。
「俺も手伝うぜ、コッチはまかせな」
「ジンナーさん、ありがとうございます」
まわっていた目は落ち着き、少し立ち止まりしっかりと汗を拭った。息を整え、ジンナーさんとは違う方向へ走った。
「おかあさん、なんでっ!離して!助けないと!」
「いいの!あんたを助けてくれたんだから」
「でも、足が瓦礫にっ」
母が泣き叫ぶ娘を引きずりながら進んでいくのを横目に見た。
一瞬、自分を失った気がした。
胃の中でどす黒い何かが渦巻き、吐き出そうになった。
かぶりを振り、今は彼女らが来たであろう道を迷わず進んだ。
「…助け、て」
男の子のか細い声が聞こえた。
「どこ!?返事して!」
「こ、こ、瓦礫の、下」
左下のほうから聞こえた。
「今行く!」
男の子の足は崩れ落ちた瓦礫に挟まっていた。周りは焦げ臭い匂いが充満していて、ゲホゲホと咳をしたくなる衝動を抑え目の前に集中した。
「どかす、からっ!」
「剣、ある、それ、使って…」
「わかった!」
男の子が指差した剣はどこか見覚えがあった、とても大事にされていると持った瞬間にわかるものだった。でも、今は男の子の方が大事だ。てこの原理を使って、出来る限り浮かしてみるも、あと少し足りない。
「ごめん、もうっ、少しだからっ!」
全体重をかけて、浮かせると片足を抜く事が出来た。
「あと、少しっ!」
同じようにして、両足抜く事が出来た。あいつらが出来なかったことをした達成感、優越感に少し高揚した。けれど、冷静な自分が時間がないと訴えた。
「やった、いこう、にげようっ」
「おね、さん、僕歩けない」
「肩貸して、いくよ」
ノロノロと一歩一歩踏ん張りながら、歩いた。先程より辺りが騒がしくなり、やや早歩きするものの後ろから激しい爆発が起きた。
「…うぐっ」
思いっきり壁に打ち付けられ、軽い脳震盪を起こしているのか、上手く起き上がれなくなった。
「…あの子、あの子は」
ぼやぼやする視界の中、彼は真っ赤に染まっていた。
「…へ?」
頭の芯だけが冷静で、体中からは冷たい汗が滲み出てきた。
ずりずりと自分の体を引きずりながら近づけてみると、彼の体の周りには血が水溜まりのようにじわじわと地面を侵食していた。
「ねぇ、だめ、死なないで」
「…おに、さ、ん、あのこ、ぼく、でも、たすけ、れた、よ……」
「…っ」
あんなやつ、放っておけばよかったのに。
あいつらには君が命を張るほどの価値は無かったはずだ。
「おっ、瀕死のやつがいんじゃん、楽に天国送ってやんよ」
誰だろうか、どうでもいい。
紫紺のローブを身につけた顔の見えない男は、杖をかざすと光の球をつくり、ぼくたちの方へ放った。
思わず目を瞑った。
衝撃は全くこなかった。
おかしいと思い、恐る恐る片目を開くと、ネオの背中が見えた。
ネオはぼくと隣を見やり顔をしかめ、瞬時に表情を戻し尋ねた。
「ユキ、大丈夫か」
「ネオ…、あの、この子、助けることできたって」
「……そっか」
ネオは正面を向き、魔法使いに焦点を向けた。
「茶番は済んだか? まだ、まだまだ、まだ! 殺したりねぇんだよ、だから死ね!」
「…オレをなんだと思っている。オレはこの国の王、ゾルネ・ルアーク、貴様に楽な死など選べばせるものか」
空気が変わった。
ネオ自身は氷のように固く冷たいのに、周囲は熱くサウナの中にいるようであった。ごうごうと燃え盛る姿は眠れる獅子を起こしてしまったと、後悔するほどだ。
「… ソール・オムニブス・ルーケト」
ネオは小さく唱えると、炎でできた鎧や剣、王冠がネオの体に装着されていた。
その姿はまるで食物繊維の頂点に立つ獣のような威風でありながら、絢爛さを感じられた。
「…あはは、かいぶつだって? 生ぬるい、バケモンだよあれは」
股の間から見える魔法使いはピクピクと口角を引き攣らせ、笑っている。
「いまさら後悔しても遅いさ、もう覚悟を決めたもんでなあ!」
そう叫ぶと、魔法使いの元へ飛び出した。
魔法使いは寄せ付けないように、たくさんの光の球を出すものの、スッスッと避けられあっという間に彼の剣は喉元に届いていた。チリチリと炎に当てられ、魔法使いの髪の毛は焦げ始め、暑さからか額に汗が滲んでいた。
「…ははっ、殺せよ」
「言っただろ? 楽な死など選ばせないと」
ニヤリと魔法使いに向かって邪悪な笑みを浮かべ、告げた。
「カテーナ」
魔法使いは炎の鎖に縛られ、身動きひとつ出来なくなった。
何やらほざいているようであったが、ぼくの意識は朦朧としてその場に倒れてしまった。
「ん? ん、んぅ」
目を覚ますと見慣れた天井だった。
起き上がると、ベットのそばでハルが腕を枕にして座りながら眠っていた。
太陽が昇り始め、カーテンが開いたままのドアから日差しが入ってきた。
「…、ユキさん?」
ハルは目をごしごし擦りながら起き上がった。
少しして覚醒したのか、急に立ち上がって声にならない声を上げた。
「目を覚ましたんですね! よかった! …本当によかった」
ハルはぼくの肩を両手で強く掴み、気が抜けたのか、だらんと力なく椅子に座った。
「そんなに眠ってたの?」
「ユキさんも軽傷だったんですけど、2日間眠っていたので…」
「そういえば、ぼく、ネオと会った後記憶がないんだけど…」
「結局、ネオが王国騎士団が到着する前に、15人ほどの魔法使いを拘束して終わった感じですかね。ネオが帰って来たと思ったら血まみれのユキさんと少年を抱えて帰って来たから、焦りましたよ」
「あの子は!?」
ハルは無言で首を横に振った。
「…そう」
「最善を尽くしたはずです、私もあなたも」
「…だといいね」
そっと、窓の外を見つめた。
葉っぱについた露が照らされて、キラキラと輝いていた。
「…そういえば今日、王を讃える祭りが開かれるそうです」
「なにをいまさら」
「英雄になったんです、強くてかっこいい」
「笑えるね」
「ネオも行くらしいので行ってみますか?」
「うん」
村の状態は悲惨なもので、壁が破壊され、普段では見えないはずの屋根の上が簡単に見渡せた。
それとは正反対に村の人たちは歓声を上げていた、王の通る道を開け、馬に乗った王と騎士団が通るとより強い歓声を上げた。
ぼくの周りで、『さすが王だ!』『我が国の象徴である太陽の獅子だ!』『この国は安泰だ!』と、口々に村人たちが言っていた。
ちょっと前までは、ばけものって言ってたくせに。
かぶりを振り、ネオの様子が気になって見上げたものの、太陽を背にしていたためしっかりと表情を見る事が出来なかった。
ネオを見送ると、ハルと無言で家に帰った。
なんだか、気分が悪かった。
でも、落ち着かなくて、本を読んでもページをさわさわと触り、文は目を通り過ぎていくばかりだった。
「…あの子のお墓の場所教えましょうか?」
「うん」
ただ、気を紛らわせたかっただけかも知れない。
村の外れにある丘の上の墓地には新しく掘られた墓石が一つだけあった。
手に持った花束を彼の側にそっと置き、手を合わせた。しばらくすると、背後に見知った気配がして振り返った。
「ユキもいたんだね」
「うん、ごめん」
「何謝ってんだよ、お前は悪くない、オレがまだ迷ってたからこうなったんだ」
何を迷ってたの? という言葉が口の中で溶けていく。
ネオは跪き、大きな花束をそっと添え、手を合わせた。
そして、立ち上がってぼくを見た。
「オレはかいぶつだったんだね」
息が止まった。
「あの時、オレは力を感じたんだ。あーこれが強さかって、あいつらを痛めつけ拘束した時に思ったんだ。相手を負かしている瞬間が楽しくて楽しくて、こんな感情初めてだったんだ。いつもは傷つけてしまう事が辛くて、心が痛かったはずなのに、快楽になってしまったんだ。すべて終わって、落ち着いた後思ったんだ、オレってかいぶつじゃんて」
ちがう、違う、ネオじゃない。
もう熟してしまったの? あの青さが残る笑顔は?
こんな歪んだ笑顔は知らない。
遠くから、王様バンザイと叫ぶ声が聞こえる。
賑やかな声が聞こえる。
「みんなも喜んでいるし、これが正しかったんだ。ネレウスの方がいいと思ってたけど、この国に必要な王はオレなのかもね。ユキ、今までありがとう!」
見た事のない笑顔を見せ、立ち去ろうとしていた。
腹の中から出したいと声がぼくに無理矢理口を開けさせた。
「また会えるよね、ネオ」
ゾルネは一瞬振り返るとにこっと笑い、背を向けて歩いて行ってしまった。
ぼくはひたすら、立ちすくみ彼の影を目で追っていた。
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