魔術師見習いカティアたん、花見する

来麦さよな

魔術師見習いカティアたん、花見する

「おぉぉ……すげーなぁ」

 魔術師見習いのカティアたんが、思わず声を上げた。

 満開の桜がずらりと並んでいる。

 大きな川にそって植えられた桜並木が、今ちょうど見頃をむかえたところ。


 堤防の上の小道には、オレンジの灯りをともした屋台が遠くの方までずらりと並んでいた。花と団子を目当てに人々がぞろぞろと集まってきて、河川敷に降りて食べたり飲んだり、桜を見ながら歩いたり、と楽しいひとときを過ごしている。

 ところどころには、菜の花やミモザの黄色、ユキヤナギの白も映えて、サクラの花色と相まって、華やかな春の宵だ。


 はじめカティアたんは「ちょっとコンビニに」という感じで外出していた。


 彼女の部屋には二つのドアがある。

 ひとつは魔法世界につながる出入り口。

 もうひとつは科学世界に行くためのそれだ。

 今夜は科学世界のほうのドアを開けて、アパート二階からパタパタと歩いてきた。

 ついでに彼女が着ている服を説明すると、ダボダボのスウェット上下だ。それといつものクタクタのトートバッグ。買ったものはこれになんでも詰めこむ。なかなかに生活感のある格好だ。


 そんな普段着姿で、コンビニまでだらだら歩いていると――クンクン、なにやらいい匂い……。どうやら花の香りのような? それにくわえて香ばしいにおい? と思いながら匂いのするほうへフラフラと吸い寄せられていくと――いつのまにか河川敷のに着いていたわけである。


「ふむ……」

 カティアたんは思案する。

「まあこれはちょっと花見していってもいいかもな。人多いけどな……」

 そんなことをぶつくさつぶやきながら歩いていった先は、出店のひとつ。


「あ、あのー。ビール、ください……」

 いきなりコレだ。

 コミュ障カティアたんは、しどろもどろになりつつ目当ての商品名を店主のオヤジに伝えた。ところが――


「あぁん!? ちんちくりんのガキがナニ寝ぼけたこと言ってんだコラァ!? おまえにゃまだ早い、早すぎるよ! 十年たったらまた来な! そのときボンキュッボンのいい女になってたらよぉ、タダでサービスしてやるからよぉッ」

 ほぼセクハラ発言で塗り固められ、軽くあしらわれてしまった。


「ぐぬぬぬ……」

 ちんちくりんのカティアたんは、いったん退散する。

 彼女の見た目は確かに少女の姿だ。けれどもカティアたんは転生者でもあり、生前の年齢と現在の年齢を加味するとアラフォ……げふんげふん、まあ精神年齢的には十分に大人なのだが、そんなことが他の人々にわかるはずもない。


「目にモノみせてやる……」

 カティアたんは物騒なセリフをつぶやきつつ、人気ひとけのない橋の下にコソコソ隠れていった。


「うーん……。こっちの世界は魔素が少ないからやりにくいんだけどな……」

 キョロキョロして周囲に誰もいないことを確かめると、川面をのぞきこんだ。水面に彼女のちんちくりんな姿がぼんやりと写っている。そして次のような詠唱を始めた。


「〈水の精霊にたてまつる。我にしばしの仮の姿を、写し身を。長濱、ガッキー、カンナたん。加えてセレブなビューティ・ファビュラス! そしたら私はナイスバディ!〉」

 するとカティアたんの体が光につつまれ――次の瞬間、そこ立っているのはちんちくりんではなく、絶世のスタイルと美貌をそなえた超絶美少女である。


 背も伸びた。スタイルも抜群であるから、出るところがドドンと出て、引っ込むところはキュッとくびれている。そですそがちょっと半端はんぱたけな感じになってしまったが、ダボダボ服を着ていたおかげか、クロップドな感じに仕上がっていて、そこまで変ではない。

 ダボダボのスウェットなんて、一般人が着ればただのダサ服だが、同じ服をセレブが着用すると、急に「こなれた感じ」に様変わりして光り輝いたりするから世界とは不思議なものだ。今のカティアたんの状態がソレ。

 簡単にいうと「ダサい普段着の上下なのに、やたらオーラが出ているセレブ芸能人」みたいな雰囲気になっていたのである。


「うーん?」

 カティアたんは自分を見下ろした。ドドンッとした胸部の膨らみのため、自分のつま先が見えない……だと!?

 ちょっとじろぎしてみた。

「あー……。ちょっと先っぽがれるかな? けどまあいいかー」

 そういえば彼女はノーブラなのだった。まあいいか!


「ふふふん♪」

 そしてカティアたんが堤防の道を、レッドカーペットよろしく闊歩かっぽしていく。するとあまりに神々しいオーラに、誰もが彼女を振り返り、見送っていく。前から歩いてきた腕を絡ませて歩いているラブラブカップルのうちの男さんが、あんぐりと口を開け、カティアたんに見惚れてしまった。もちろんすぐさま女さんに「ナニ見てんのよッ」と両横顔をブロックされて、グキッとあさっての方向に向けなおされている。


 そしてカティアたんはやってきた。さっきのビール売りのオヤジに再戦を挑む。


「……ちょっとぉ? よろしいかしらぁん?」

 アンニュイな雰囲気でシナをつくるカティアたんの、雰囲気たっぷりな妖艶なしぐさに飲みこまれて生唾ゴックンしてしまった屋台のオヤジは、

「はっ、はヒッ!?」

 声が裏返ってしまった。


「おビールおひとつ、いただけるかしら?」

「ももも、もちろん! よろこんで!」

「おいくら?」

「ご、ごひゃくえん、でしゅ!」

 ボッタクリだ。


「あら? あなた、さっきタダでサービスなさるって、おっしゃってたわよね?」

「え……。えっ? ええ!?」

 かわいそうに、オヤジが混乱している。さっきのちんちくりんと眼の前のナイスバディの美女が同一人物だなんて、いったい誰が思い至るだろうか。


「ねえ〜ん? さ、ぁ、び、す♪ シてくださるわよねぇ? ふぅ〜〜〜っ♡」

 ふわっと桜色の吐息をふきかけられて、桜色に飲みこまれて、屋台のオヤジはあえなく陥落してしまった。


 普通の日常生活のときだったら、たぶんこの状況になっても、「あれ? なんかおかしいぞ?」と冷静に不審がること人も多いだろう。

 けれど、しょうがない。

 今は桜の花が満開なのだ。

 そうした時期は、人も、人でないモノも、誰も彼もがちょっとおかしくなってしまう。


 そして見事、目当ての品をゲットしたカティアたんは、

「ふふ〜ん。カシュッ、ぐびぐび……ぷはぁ〜っ」

 さっそく祝杯をあげた。

 ビールを片手にほろ酔いで歩くセレブ美女(見た目だけ)。

 そしてぶらぶらと散歩しながら花見を楽しんでいたが、


「あ、やべ――」

 術式が切れてきた。あまり長持ちしない魔術のようだ。

 そそくさと河川敷に降りて階段のかげに隠れると、ぼふんっ。あっさり術を解いてしまった。

 そして再び階段に現れてきたのは――ダボダボの上下に身を包んだ、いつものカティアたんだった。


 それから彼女は、なるべくカップルとかカップルとかカップルとか……! の座っている場所から離れた、静かな草っぱらを探して斜面に腰を下ろした。

 肩にさげていたクタクタのトートの中から取り出したのは、一冊の文庫本である。

 ページをくにゃっとした感じに丸くして持っているので、はっきりとは見えないのだが――作者名は坂口……、タイトルは『桜の……満開の……』と、一部が判読できる。


 カティアたんはパラパラとページをめくり、しばらくじっと見ると、またパラパラとめくっていく。文章を読むのが目的でなくて、ただ眺めているだけのようにも見える。

 それでまた、ちょいちょい目を上げて、周囲をぼーっと見回して、また本を眺めていた。ちなみに視力はちょっとだけ暗所用にブーストしている。


 なかなかに、いい心地だった。

 満開の桜は、遠目には花がすみ。それで空気がふわっとし、ほろ酔いで気分もふわっとしている。


 川向こうの夜景がきらきらと瞬いて、きれいだ。

 川面に夜景の光が届いて、ゆらゆらとにじんでいる。


 その水面をすぃーっと切り開くように、とっとっとっと――小気味良いエンジン音を響かせて、花見の小舟がゆっくりと水面をすべっていく。


 それから、トットットット――背後から聞こえるのは屋台の発電機の音。

 店と客のやりとりの活気が伝わってくる。行き交う人々はほんわかと笑顔。ほころんだ桜の花。どこもかしこも華やかな雰囲気だった。


 カティアたんはぼんやりと夜空を眺めていた。

 夜空は黒、ではなくて、あいとか紫とか群青とか青鈍あおにびとか、そういう濃いめの色をいくつも空の底に沈めて濃縮したかのような様相をていしていた。その濃い色のたまり場にチラチラと星がまたたき、街のあかりとかが射しこんでしらじらとして、さらに春がすみのベールがかかってぼんやりとした夜空が広がっている。


 すっ、とカティアたんの視線が本のページのいちばん初めに戻った。そして物語に沈みこんでいく。

 あとは時折、はらり、とページをめくる音がするだけだった。



 ◇ ◇ ◇



「あれ……?」

 ビールに手を伸ばしてそれがからであることに気づいて、カティアたんはようやく我に返った。

 本読みに没頭しすぎていたようだ。

 一瞬、記憶がとんだ人のように、ぼぅっとして辺りを見まわす。


 まだ花見の人はそれなりにいるようだが、ずいぶんと少なくなっていた。

 露店のあかりも数が減り、ややまばらになりつつある。

 時刻を確かめると、もう深夜、といってもいい時間帯に片足を踏みこんでいるではないか。


「こんな時間まで店ってやっていいんだっけ? まあ花見のときくらいは、なあなあになるのかなぁ……?」

 つぶやきながら腰を上げ、座り過ぎでちょっとお尻が痛いのをさすりつつ、

「さて、いいかげん帰るか」

 と歩きかけて、妙な寒気を感じた。花冷えだろうか?

 いや、違う。上だ。上からだ。


 見上げると、その視線の先、『その空を一羽の鳥が直線に飛んで』いく。『爽快に風をきり、スイスイと小気味よく無限に飛びつづけている』かのように、夜の鳥がスイーーーーッと――切り裂いていく。


 夜空を


 奇妙な光景だった。

 春がすみのぼんやりとした淡い空が一直線に切り裂かれ、切り開かれていく。

 ハサミでスーッと切り進めたかのような切れあとからのぞいているのは、夜空よりもさらに夜を煮詰めたような、得体のしれない漆黒だ。

 その切れ目からなにかが、ドロリ、と垂れてくるではないか。


 タールのような、とはよくいったもので、粘性の黒い液体が、ボタ……ボタ……とそこらに落ちてきた。一部は川の中にボチャボチャと落ちて、川の水にうすめられて、流されていく。

 そしてそれとは別の一部が、ベチャ、ベチャと、今度は河川敷、堤防、草っぱらに落ち、へばりつきだした。

 しばらくの間、そのよくわからないモノは、しぃんと静かにしていたが、やがてモゾモゾと動き出した。


 それらの「黒いなにか」は他の人々には見えていない。深夜の花見客はこれまで通り花に浮かれ、酔いしれている。

 カティアたんは――動かない。ほろ酔い気分ながらも、その黒いモノの動きを横目で観察していた。


 ソレは、意図的に人を襲う、ということはないようだが、どうかすると人と接触しそうになるシーンもあった。


「あんまり、よくないんだけどなぁ……」

 とカティアたんはつぶやく。


「といってもなあ。このへんは龍脈外れで魔素もほとんどないし。ほっといてもすぐ消えるだろうし……」

 それでも、うーんと思案する。


「でも、ちょっと危ないかもだしなあ。耳もとでそそのかして、川に飛びこませるくらいはいいけど。ガソリン気化させて爆発させた事例もあったし……しゃーない。やるか」

 よっこらせ、と立ち上がった。


 どうやらカティアたんは、あの黒いモノたちをどうにかする気のようだ。けれどこちらの科学世界では魔素が不足しているようで、まともな魔術が使えないことは、さっきの変身魔術を見ても明らかだ。

 さて、彼女はどうするのだろうか?


「ま、ないのなら、あるところから借りてくればいいわけだしな」

 カティアたんは、手に持っていた文庫本をパラパラとめくっていく。

 指先でもって、活字にマーカーのような線を引くと、ふわっとした光が文字からにじみ出てきた。


「〈われは読む。そして詠む。『一つの妙なる魔術として』事を成すために〉」


 そしてページからスッと指を引くと、指先に文字列がくっついてきた。

 サラリと宙にひと筆を描く。


「〈『魔力は物のいのち』『物の中にもいのち』あり……。この場、この時において、花びらを仲立ちとする〉」


 カティアたんの周囲で、黄金の光をまとった黒い活字たちがさらさらと螺旋らせんを描く。


「〈『かくして一つの美がなりた』つ。『個としては意味をもたない不完全かつ不可解な断片が集まることによって一つの物を完成』せしめる。散る花の、はかなきいのちをもって、これを用立て、依代よりしろにすることを我は求める。応じよ――か? か?〉」

 問いかけた。


 問いかけられたのは、『生首』。

 カティアたんの手のひらの上には、本の代わりにいつのまにか生首が乗っている。


 生首はカラカラと笑う。そしてガラガラとした声で答えた。

「是!」

 ブワッと桜の花びらが舞い――

 舞い踊り――

 それらに活字たちが組みこまれ、しるしを花びらに灯す。


「〈ならば、行け! 『牙のある人間』『弓をもったサムライ』『よろいをきたサムライ』! のモノを討ち果たせ!〉」


 カティアたんのかけ声に、活字をおびた桜の花びらがワッと狂気を剥き出しにした。そしていっせいに、あの黒いモノに襲いかかっていく。花びらはその道中で变化へんかし、変化へんげし、変容し、牙を持ち、弓を放ち、具足をまとったツワモノとなり、攻めこんでいった。


 そして花びらの武者たちは、黒いモノたちをあっさりと蹴散らし、消し散らし、霧散させてしまった。


「よーし、よしっ」

 カティアたんは満足げだ。


「〈あ。あとあの空のキズも消しといてー〉」

 雑に指示すると――


 一陣の風が吹いた。風にのって、桜の花びらが舞い上がっていく。


 そしてその花びらの舞うさまは、深夜の河川敷にいた誰もが見ることができた光景だった。

 その場にいた人は、あとで次のように語ったという。


「なんかさ、急に風がぶわって吹いてさ、桜の花が散ってさ、それが空に道ができたみたいに、すーって流れるように飛んでいくの。それで、空の上で一直線に敷き詰めたみたいに桜の道ができてね、そしてね――消えちゃった。あれはなんだったんだろう?」


「修復完了っと。ふぅ……やれやれだぜ」

 カティアたんは、ホッとため息をついた。

 そして手もとの本に目を落とし、パラパラとめくる。本の中は、活字がいくつか抜け落ちて、消えていた。これではまるで読めたものではない。

 パタンと閉じると、


「しゃーない。また買いなおすかあ」

 ブツブツつぶやきながら、まだまだ夜通し花見で浮かれるつもりの人々の合間をぬって、帰宅の途についたのだった。



 ◆ ◆ 


『』内の言葉および文章は、坂口安吾『桜の森の満開の下』より引用しました。

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