深夜だろうがやってくる
文字塚
第1話
目的の場所は自宅からやや遠い。
日付が変わる頃、冬の色も失せつつある町中を一人歩いている。
俺にとって散歩は手頃な気分転換だ。深夜となれば人も少なく、夜の街や大都市でもない限り、何もかも独り占めしたような気分になれる。
だがそういう気分ではない。散歩では足りない。
人気のない交差点の向こうに行けば、傾斜のきつい道が見えてくる。
暗がりに街灯、ぼんやりとした景色を眺めつつ、何かを敷衍しながら歩くのは日課とも言える。
電車の中、車の中、あるいは誰かとの飲み会。女性を相手にしていても、ふっと考えごとをしてしまう。
周囲を警戒せねばならない。
不注意から事故や、
「あなたって、本当に私に興味ないのね。結局身体目的だって、心底気づいたわ」
などと言われかねない。
今はしかし、それどころではない。
どうも最近様子がおかしい。
仕事や恋愛に限らず、考えることが多すぎる。
何かの拍子で、俺は奇妙な現象に巻き込まれることとなった。
これは恐らく、いずれ分かることであろう。
傾斜のきつい道に入り始めた。真っ直ぐ進み、いくつか曲がり角を越える。ぐるりと回れば目的の場所へと着く。
時間はそれほどかからないだろう。
少し歩いたな、という程度だ。
通常であれば。
一つ目の曲がり角が見えてきた。
ここを左折すれば予定のコースとなるが、注意深く曲がった途端衝撃を受けた。誰かが強くぶつかってきたらしい。注意深くゆっくり進んだのに。
しかしこちらに怪我はない。
相手は女性、というか女子高生だった。
学校の制服を着ている。年若く、クラスどころか学外ランキングですら人気上位に入りそうな容姿の持ち主。
「美人を紹介してくれ」
と同僚に言われたら、
「未成年なら一人知っているが、法で裁かれる覚悟は出来てるんだな?」
と言うことになりそうだ。その前に落とせないと思うが。
その彼女が呟いた。
「いたた、いったあー。遅刻しちゃう……」
器用にも話しながら食パンを咥えている。
どういう原理だ。物理法則はどこへいった。
「ごめんなさい急いでて」
こんな深夜に? 女子高生は申し訳なさげで、確かに謝罪の意思はあるらしい。
怪我もなく、別にどうということはない。問題は食パンだ。なぜ落ちない。食うのか食わないのかどっちだ。
学外でもランキング上位に入りそうな容姿の女子高生が、再び頭を下げてきた。
「本当にすいません」
「いらん。むしろ物理法則に謝れ。それとも何かのトリックか」
「え?」
「文化祭の芸ごとか何か知らないが、こんな夜更けにどこへ行く」
「学校ですけど」
「忘れ物でもしたのか」
女子高生は若々しいその表情を曇らせる。
「えっと、なんでだっけ」
「時間的に無理だ。入ったら不法侵入。そもそも簡単には入れまい。諦めて帰れ。何時だと思ってる」
まるで近所のおじさんおばさん、あるいは昭和の頑固じじい。だが全く知らない学生だ。
「そうですね……確かに」
謎に納得する辺り、恐らく大して用はない。あるいは早く切り上げたい。そもそも深夜に見知らぬ男と話すのは、些か危険がつきまとう。
言っておくがこちらも同様。関わりたくない。
「国に帰れ。お前にも家族がいるだろう」
「それは家に、じゃないんですか?」
「訂正ありがとう。頼むからさっさと家に帰ってくれ」
「分かりました。今日は帰りますね」
彼女はそう言って、足早に去っていった。
今日はだと……。
まあいい深夜のお散歩だ。邪魔が入ったが続けよう。
この角を左折したら次の角で右折。周囲は住宅だらけで、つまりここは住宅街となる。この住宅街は通りを挟み、一軒家を中心とし構成されている。
俺は通りの向こう在住なので、いずれここに家を構えたいぐらいだ。場所は実に恵まれている。俺の周囲はともかく、治安もいい。
道は狭いがたまに車が入ってくる。背後に気をつけながら、注意深く右折する。
途端、
「追放! あなた追放よ!」
と、日本人離れした容姿と格好の、いかにも悪役令嬢な女が立っていた。
そして何事か主張している。
「あなたみたいな役立たず、追放よ! 汚らわしい目でこちらを見ないで! 薄汚い! 出自も定かならない奴に、ここに居場所なんてないわ!」
そうして高笑い。ずっと笑ってざまあしている。
何がしたい。今の日本でそれを言ったら炎上だ。
仕方ない。
なんのコスプレか知らないが、大学生と言ったところか。とりあえず成人年齢っぽいので説教だ。
「今なんつった」
「追放! あなたは追放されるのよ!」
「どこからどこへ」
「ここからどこかへ! 汚らわしい! 近寄らないで!」
「そうか、それはまあいいとしよう。ここを右折した後俺は消える。事実上追放だ。命令されるいわれはないが」
何をとばかり女は気色ばむが、まともに相手してたら追放じゃなく通報される。声を落とせこの未確認悪役令嬢。野生で生息するな面倒な。
とにかく説教だ。
「人に対して汚らわしいとか言うものではない。人前なら名誉毀損が成立しかねない」
「言い訳なんて聞きたくないわ。追放よ!」
「声を落とせ。しかし今、お前出自と言ったな。これはダメだ。確実に差別と捉えられる。お前炎上したいのか」
「そうね、あなたには火刑がいいかもしれない。火炙りになりたくなかったら、追放よ!」
女はそうして、また高笑い。ざまあかざまぁか知らないが、付き合ってられない。せっかく注意してやってんのに。
「では追放されてやろう。だがしかし、二度と出自という言葉は使うな。企業はSNSだってチェックしてる」
「嫌よ」
「そうか。ならば知らん。勝手にやらかして勝手に就職難民になれ」
告げて去る。あちらから見れば追放だ。追放らしいが散歩を続けよう。
背後から「働きたくないですわ……」という実に切実な呟きが聞こえたが、無視だ。年の離れた妹なら叩き直してやるところだが、こちとらそんな暇じゃない。
さて、左折して右折した。今はまた傾斜のきつい道を歩いている。
最初に山を登るよう歩いていたわけだから、今進行方向はそれと同じである。
次は再び左折。だが、どうも気乗りしないな。
一端止まって、様子を窺うとするか。
頭を覗かせた途端、
「日陰文章! いやヒカゲ・フミアキ、今日本日この場をもって、正式に婚約破棄を宣言する!」
実に美男子な、これまたコスプレ日本人離れが、なんか勝手なこと言ってる。一端頭を引っ込めよう。
なんだ一体、婚約なんてしてねーよ。そもそもこの国で同性婚はまだ認められていない。というか誰だ日陰文章って。
どういうつもりだ。
もう一度頭だけ覗かせる。
「婚約破棄からの追放だ! ざまあ!」
この悪役令息、取り巻きの一人もいないのに何が楽しい。
しかし相手は年若い男性一人か。
ならば話は変わる。
一歩踏み出し告げる。
「どういう意味だ」
「婚約破棄を通告する!」
「してない」
「関係ない! 追放だ!」
「絡むな、叩きのめされたいのか」
「なんという醜悪な面構え。こんな奴と婚約していた自分が恥ずかしい!」
美男子な令息は暴言を吐き続けるが、気分はこちらも同様だ。
「つまり殺されたいんだな」
「え?」
「さっきから喧嘩売ってるんだな、と確かめている。よかろうならば戦争だ。奥に行けば人気すらない。サックり殺してやるから覚悟しろ」
「何を言ってる婚約破棄だ!」
「所詮小物同士の戦争喧嘩。ヤッパでもハジキでも持ってこい。こっちは素手で相手してやる。締め落として気持ちよくしてやるから、さっさと奥に行け」
「……嫌です」
あんなに強気だったのに、なんでこうびびる。意味が分からない。とにかく説教だ。
「だったら国に帰れ。お前にも家族はいるだろう」
「みんな僕に冷たいんだ……」
「ややこしい家庭の事情を持ち込むな。こちとら深夜のお散歩中だ。心理カウンセラーか友人か、なんでもいいから適当に頼れ。俺を頼るな、殺すぞ無駄イケメン」
「すみません……」
さっさと左折して通りすぎる。なんなんだこいつは、と思っていたら「本当に僕のことを考えてくれたのは、あなただけだったんだね……」と背後で呟いている。
なんだあれは。戻って確実に仕留めた方が世の為か。だがそれでは前がつく。前科持ちにはなりたくない。
さて、ここは平坦だ。大体もうお分かりだと思うが、角を右折したらあれが来る。
また見えてきたので一端停止。頭を覗かせるが、誰もいない。なるほど安全かもしれない。
安心して素直に進むと、強烈なダメージを食らった。
今度はなんだ、確実に痛い。
派手に転がって、なんともたまらん。
改めて確認すると、女子高生が一人、背後に転がっていた。先ほどとは違う制服だが、一体どこから出てきたこいつ。俺はきっちり確認……したが、これ後ろから来たんだ。
左右確認しろよ俺!
「いったあーちょっとどこ見てんのよ! どういうつもり!」
今度は性格のきつそうな、広域暴力団ならぬ、広域美人ランキング上位ランカーな美人が絡んできた。ショートカットが闇夜に無駄に映えている。
もういいこの展開。ふざけるな。とりあえず説教だ。
「お前どんな速度で走ってた」
「明日を超えるぐらいの速さ」
「ポエマーはネットだけにしろ。下手したら怪我人出てたぞ」
「そっちがぶつかってきたんじゃない! わざとでしょう! どういうつもり!」
よし、こいつが男ならさっきと同じ展開だ。きっちり締め落として、いい気持ちにしてから埋める。
前がつこうが関係ない。
だが女だ。おのれ面倒、どうしてくれよう。
「さっさと帰れ」
「なんでそんなことアンタに言われないといけないの」
「学生身分で夜遊びと速度を出しすぎるな」
「うっざ、何様気持ち悪い。というかアンタは何してんの。うっそ、犯罪絡みヤバいんですけどー」
殺るか? 待て待て、これは対策がある。
では実践しよう。
「そうか。人生を謳歌しろ」
「なによ、言われなくてもしてるわよ」
「もっともっと自由に夜更かししろ。歌って飛んで、そしてアニメ化されてしまえ」
「何言ってんの。ばっかじゃない!」
「そうか。家に帰るな。お前には家族もいないだろう」
「いるわよ! なんなのあんた、そっちからぶつかって来たくせに!」
「そうだ。全ては仕組まれたもの。であるならば、次どうなるかぐらい察しろ。さあどうする。選択権は君にある」
告げると、
「……今日は見逃してあげるけど、次あったら承知しないから!」
絵に描いたようなツンデレが去っていく。
さ、深夜のお散歩と洒落込もう。
叶うか否か、甚だ怪しいものだが。
傾斜のきつい道のりだ。
だがしかし、何がきついかはもうお分かりいただけたであろう。
何がきついって、曲がり角の度、なんかお約束と流行りのテンプレ要素が襲撃してくる。
最初は食パンを咥えた美人女子高生。学外でも大人気だろう。
次は悪役令嬢にざまあされた。追放付きだ。この女は、人によっては美人と分類するかもしれない。しかし働け、貴族階級であっても。ここは日本だ。
三人目は悪役令息。なんか身に覚えのない婚約破棄を宣言された。サックり殺してたら隠蔽が大変だ。もはや深夜のお散歩じゃない。
最後にまた女子高生。広域ランキング上位に入りそうな勢いを持つ美人だ。
いわゆるツンデレに襲撃された。
――どうなってんだ一体。
俺は深夜の散歩がしたいんだ。
だが奴らは空気も読まず、延々絡んでくる。
今日はたまたま曲がり角ごとにだが、いつもは昼間、街中、職場、電車の中と突然現れる。
あのなあ……普段は我慢してるけど、ふざけるなあぁあ!
何に巻き込まれてるんだ俺は!
「本屋」「ぬいぐるみ」「ぐちゃぐちゃ」と来てから「深夜の散歩で起きた出来事」って、いきなり普通に戻すな公式!
よくもふざけたお題並べやがって!
みんな掌編短編書いてる中、ちょっと長めの中編に手を出した俺の身になれ!
毎回毎回お題で何万文字書かせる気だ!
777文字以上とか知ったことか!
そもそもユーザーにまだ未成年もいるだろうに、深夜の散歩で起きるのは「補導」か「職質」だ!
どっかのPTAな全世界団体から抗議されてしまえ!
公式が炎上したらいっそ清々しいわ!
こっちはそのお題でひとネタ考えたいのに、目的の場所すらたどり着けない! 何回角曲がったらお約束とテンプレから逃れられる!
「人生曲がり角ですね」
とか上手いこと言った気になるな前に進めないわ!
お前らの座布団全部回収してやるから覚悟しろ!
というかそれどころか、これは構想段階で中編作品だ!
まだまだ続くけど時間がないわ!
無理やり締めて、ネタの落とし方見せてやる!
――斜面を登る以上、次は左折になる。
さてどうせ、またいるのは知っている。
取引先との話し合いの場に現れたことだってあるんだ、もう慣れた。
躊躇わず左折すると、やけに明るい灯りが目に入ってきた。眩しくて思わず目を背ける。
背けたが、今のはなんだ?
何か大きな、木製の建物に見えたが……。
光に慣れた頃合い、俺はそれをしかと認めた。
何かどこかで見たような外観。
その建物が道中に鎮座し、これ以上は進めない。
目的の場所はこの先にある。
致し方なく、俺は開いたままの扉から中に入った。
「冒険者ギルドへようこそ!」
カウンターの中から外から、大勢が俺を歓迎している。
見てくれは中世ヨーロッパ風。
いや、色々混ざってるな。和風な奴もいる。
「さあ新米冒険者、君はどんな依頼をこなす? 新人見習い駆け出し用に、依頼は色々取り揃えてるぞ!」
ギルドの職員らしき、壮年の男が声を張り上げる。
更に年若い職員であろう娘が、愛らしくつくられた営業スマイルを湛え続く。これには少々驚くが、仕方ない。
「新人さんだし、まずはドラゴン退治なんてどうでしょうか?」
「……それはパーティーを組めということか」
「はい、全く構いません! 斡旋させていただきます!」
「そうか」
拳を握り締め、俺は若い女性ギルド職員と向き合う。
「他に何がある」
「掲示板に討伐依頼はたくさん来てます! もちろんソロでも大丈夫! 冒険者の活動はどこまでも自由です!」
「ほう、続けろ」
「ゴブリンの巣を退治するというのはどうでしょう? 害虫みたいな奴らです。駆除すれば皆さん大助かり!」
「ソロでやれるのか」
「自由です!」
「そうか続けろ」
「未踏のダンジョンなんかもお薦めですね。成功したらお宝ザクザク! ダンジョン攻略、してみませんか?」
生存戦略みたいに言いやがってこの小娘……どこの最近映画化された回ったペンギン野郎だ。
きっと何者にもなれるのかなれないのか、はっきりしろ!
努めて冷静に、今一度確かめる。赤毛の小娘、ギルド職員に。
「他は」
「もうそれは別の大陸から未知の島、天空城攻略ミッションから暗殺ミッション! 色々あります!」
「暗殺ミッションは陰でやれ」
確かに、と周囲の冒険者達が頷いている。
赤毛なギルド職員も、空気を読んだらしい。
「そうですね、反社会的ギルドに思われたら困ります。これは回収しておきますね」
「いや、無用」
「え、でも……新人さん、まさかやるつもりですか!」
年若い赤毛なギルド職員も、冒険者達も皆驚いているが何を勘違いしている。
「違う、討伐依頼は山ほどあるんだろう?」
「そうです! 選び放題!」
「つまりこのギルドは機能していない」
「え……いや別に」
「否定するか。いいだろう試してやる」
そう告げ、掲示板の元に近づく。なるほど日本語、異世界ファンタジーなのに読めるよう配慮されている。
雑な仕事だ。
そして一枚の紙を剥がし、裏に日本語で書き記す。
そうしてそれを貼り付ける。
赤毛なギルド職員が、困惑しながら確かめてきた。
「あの、見習い冒険者さん、これは……」
「読め、声に出して。俺が書いた。書く読む、正しくだ」
「はぁ、では――公式討伐依頼。公式運営を討伐せよ。内容は、公式な奴らの座布団全部回収してこい。公式イベントのお題で遊び、ユーザーを混乱させる輩には鉄槌だ……報酬は俺の月給半分くれてやる……」
彼女はここでひと呼吸置いた。
俺はその姿を冷たく見下ろし、更に促す。
「続けろ」
「はい……追加依頼。冒険者ギルド討伐依頼。見習い駆け出し冒険者に、ドラゴン狩れだのゴブリンの巣駆除しろだの無茶ぶりするギルドは討伐対象だ……」
「続きは俺が読んでやる」
引き取り声を張る。
「いいかお前らさっさとどけ! なんで深夜に散歩してる俺が、わざわざダンジョンなんかに潜るんだ! 料理楽しんで飯でもたけってかふざけるな!
俺の目的は考えごとで探索じゃない! もし探索すべきものがあるなら、それはお前らと公式の頭の中だ!」
一喝し、更に続ける。
「別の大陸ってなあ、別のサイトからお誘い来たわ! そっちで活動してやろうか! 冒険は自由って言ったよなあ。こちとら創作界隈に最近復帰してずっと自由にやっとるわ!」
「いえ、あの……」
「黙って聞けこの未確認異世界生命体!」
「すみません……」
赤毛なギルド職員は項垂れるが、項垂れるべきは全員だ。
だから続ける。
「もう色々とっくに落ちてる。日も。だがなあ、それですむと思うなよ! なんで推理文芸日間一位の俺が、ネタエッセイで四位に入った! お陰で色々頭の整理がぐちゃぐちゃだ! 勧誘までされたわ! どうしてくれる!」
「でもそれは、いいことじゃないですか。ねえ皆さん……?」
赤毛な職員は皆に同意を求めたが、その皆はもういなかった。
顔を青ざめ、身体を硬直させている。
だからこそ告げる。
「分かるか、俺の感情が」
「いえあの、私なんで一人に……」
「所詮人間は一人、なんて話ではない。言ったろ、成立してないと」
怯えた視線が向けられ、それでも俺は躊躇わない。この女俺に「結局身体目的だって、心底気づいた」と抜かした前の彼女そっくりだ。
ふざけるな。
人の傷口に新巻鮭擦りつけやがって。
「俺の目的地は未知の島でも天空城でもない」
「はい……」
「それから身体目的だったのは最初だけで、真面目に付き合ってた」
「はい?」
疑問符を浮かべる元カノ似なギルド職員を制し、更に告げる。
「飽きたのはそちらだろう? いい物件が見つかったか。それは何より、乗り換え上等。結婚は人生がかかってる。だから誰も責めたりはしない。まあ、夜は責めてこいな感じで色々疲れたのは事実だが」
「そ、そうですかすみません……」
「お前関係ないだろう。謝るな傷つく」
「すみません……」
赤毛のギルド職員は涙目だが、いや違うそうではない。俺達はもっとサバサバした関係だったろう。
別の男が出来たなら、はっきりそう言えばいい。実にらしくないし、なぜ俺を責めた。
どうにも合点がいかない。
引っかかって、つい君のことを考えてしまう。
もう終わった話なのに。
そして忘れた頃合いに、未確認異世界生命体な君がいる。
なんだ、彼女に何かあったのか?
俺に嘘までついて、別れなければいけなかった何か……。
「だとしてももうお仕舞いだ。何かあるなら言え」
「私のことは忘れて下さい……」
「シンクロさせるな。俺はお前に用はない」
だがしかし、彼女の目は真剣だった。
何事か訴えるような意志が感じられる。
どういうことだ……。
「年も近いし、夜の相性だって悪くなかった」
「何言ってる、なんの話だやめろふざけるな」
「好きだったよ、普通に。誉めるのは下手だけど、仕事で落ち込む私を慰めてくれるあなたは優しかった」
どういうことだ。まるで前の彼女と対話しているかのような感覚。
もう涙は流さずとも、彼女は落ち込みながらも真摯にこちらを見ていた。謎に見つめ合う空間が出来上がる。
「いくら私があなたを好きでも、やっぱり結婚は考えられないのよね。だって身体だけが好きなんだから」
「それはお互い様だろう?」
思わず、前の彼女に告げるよう抗弁してしまう。
「なんでも笑い飛ばすあなたが好きだったよ」
「良し悪しだ。なんでもかんでも笑いに変えるのは。何回も言った」
「でも変わらないのよね」
ズキリと心の臓に突き刺さる。
確かに俺は、時を経ても姿勢は変わらない。
もはや笑顔すら湛え、彼女は続けた。
「私より好きなものがある人と、今一緒にはいられないわ」
「わがままだ。でも構わない。そんなもんだ」
「そういう自由さは、実はちょっと、だいぶ嫌い」
「ふざけるな、束縛されたくないって自分で言っておいて!」
彼女はそういう人だった。お互い了承済み、理解していたはずだろう?
「束縛して欲しいことだってあるのよ。察して」
「無理だ。言葉にしろ」
「あなたの作品やエッセイみたいに?」
笑みを湛えていた彼女は今、物悲しくも儚げだ。
終わりとするよう彼女は告げた。
「明け透けに描くことが好きだから、私よりも好きだから、だから私が見えないのよね」
「比較対象がおかしい。君だって夢中なものはあったろう? 音楽からコンサートまで、付き合ったじゃないか」
「無理やりだったね。ごめん」
なんで謝る……別に、それぐらい何も問題ない。デートプランが練りやすい。何が問題か分からない。趣味嗜好まで合わせる必要が、この先があったとして、必要だというのか?
「付き合って五年。長かったから、どう伝えていいのか私には分からなかった」
「なんとでも言えばいい。適当に受け取る。適切という意味だ」
「言葉は選んで」
「気をつける」
彼女は視線を逸らし、するとギルドは建物ごと消え失せていた。闇夜が広がり、暗がりに二人だけで佇んでいる。
彼女は道に沿い、手を差し向ける。
「この先が目的地。見晴らしのいい展望台代わりの公園だね。懐かしいな」
そう言って、彼女は何かに思い耽るかのようだった。懐かしいのはこの横顔、もう見ることもなかろうと思っていた相貌だ。
夜の静けさに包まれる中、切り裂くよう、
「コロナなんて大嫌い」
彼女が言葉を放った。
深い想いが込められたその意味を、今更ながら実感させられる。
コロナ禍が奪っていったもの。コロナ禍がもたらしたもの。それは自由と束縛だ。
マスクの着用はともかく、コンサートまで奪いやがった。演劇も同様、限定された。
何もかもが手遅れで、更に俺にはどうしようもない。彼女の実家には、祖母や祖父がいる。一緒に暮らし、家族仲はとてもいい。
コロナ禍の立ち振舞い。何が正しく、何が正しかったかなんて俺には分からない。
言葉がない俺に、彼女が振り向く。
「きっとこれで、間違いじゃない。私達間違えてないよねってお別れすれば良かったね」
「今更何を……どうでもいい。時計の針は戻らない」
自らに言い聞かせるよう、言葉を紡ぐ。
だがしかし、ギルド職員な前の彼女は言った。
「私も同じ気持ちだよ。なんか変なことになってごめん。いつまでこの状態が続くか分からないや」
俯いていた俺は、ここで顔を上げた。
「なんの話だ偽物。この未確認異世界生命体め。やかましい。人の色恋に口出しするな。無礼討ちにされたいか」
言葉とは裏腹に、俺の語気は弱い。
心配したのか、ギルドな彼女は弱った顔だ。
「あのね、私は結構思い切ったの」
「そうか。思い切ってどこかの研究所で解剖されてこい。DNAレベルで確実に違う生命体だ。同じ言葉を話すな、めんどくさい」
突き放すと、彼女は苦笑まじりで唇を結んでいる。
何もかも、もう元には戻らないのに、何もかも今更なのに。
だから告げる。
「さっさと帰れ。お前にも家族のような何かはいるだろう」
「いるけど、あなたじゃない」
「知ってる。絡むな、さっさと帰れ邪魔くさい」
「じゃあ帰る。酷いな、もっと優しくして欲しかった」
「甘えるな。他人だ、別の生き物だろう」
「そんなこと言ったらみんなだよ」
「そういう意味じゃない。拡大解釈するな、帰れ」
促し、俺も去ろうとする。
でないと彼女は、前の彼女と何も変わらない。女々しいのも、忘れられず形ある記憶にすがるのも主義じゃない。
生き方レベルで、受け入れられない。
「先に行け。送ってはやらんが、見送る」
「分かった。じゃあ私達に気をつけて」
なんだと……最近色々、色々な奴らと絡んだが、こんなこと言う奴初めてだ。
思わず制止する。肩まで掴んで。実体があったのか。まさか彼女、なわけはない。
「ちょっと待て、どういう意味だ」
「応えてくれなかったあなたに、答えないとダメ?」
それは前の彼女の言い分。なんでこいつが……。
「答えろ。でないとどっかの研究所行きだ。不本意だが、生物学会だけじゃなく色々俺発信で激震だ。最悪なことになるから、答えろ」
「まだ気づかないの?」
ギルド職員だった彼女は、まるで道理の分からぬ子供を諭すようだ。何を言っている。大体分かるが、そんなはずない。
思考を形に、口にする。
「夢でないなら、お前らなんだ」
「だから――ざまあ」
「ふざけるな。確かにざまぁな様ではあるが、テンプレから離れ過ぎてる。というか、意味すら分からない」
ギルドな彼女は肩を竦め、肩を掴んでいた俺の肩をむしろ掴んできた。
「だから、よくある光景」
「全然見かけない。見かけたら話題沸騰。ニュースからSNSから、専門機関まで大騒ぎだ」
「でも事実。幻じゃないのは、あなたの職場や取引先、周りの人が見てたじゃない」
「来た時大騒ぎになる状況はやめろ、空気読め」
「そっくりそのままお返しするわ」
なんだと……また取引先で「大変です、魔王軍が攻めて来ます!」と、喚き散らすつもりか! ふざけるな!
魔王の話するならついでに勇者も連れて来い!
全部勇者に丸投げだ!
変な戦いに警察の特殊部隊と自衛隊巻き込むな!
そんなことが現実になったら、俺がよく分からない法で裁かれるわ!
リアルで生きてるのに事実上異世界冒険より過酷だ、ふざけんな!
「何が言いたい。お前何知ってる?」
「あなたの性癖とか?」
「やめて差し上げろ。それはお前の実体元も絡んで作り出されたものだ。俺だけの暴露じゃすまなくなる」
「別に、いいみたいだけど」
事実なら、前の彼女ははっちゃけ過ぎだ!
そういうとこあったけど、今更何も、何もかも思い出したくもない! やめろ! 色々俺にやめて差し上げろ!
だから、俺は声を上げる。
「一体これはなんの悪夢だ。何が原因でいつまで続く」
ギルドな彼女は、俺の瞳を見つめるよう向き合い、
「あなたが原因でいつまで続くか分からない」
静かに告げた。
なんて無茶苦茶な……公式ですら、ここまでの無茶ぶりはしてこない! おかしいだろ色々!
「だから何が原因だ! 対処法知ってんなら金払うから教えろ!」
「命令口調な男って嫌い」
聞いたか男子諸君、だそうだ。
であるなら、実に丁寧に頭を下げ、
「教えを乞いたく奉り存じそうらえ」
「仰々しいのも卑屈なのも嫌い」
聞いたか女子諸君、お前ら心底面倒だな。
致し方ない。
「どうすればいい」
「自分で考えたら?」
よし、この未確認異世界生命体を殺ろう。もはやなんの躊躇いもない。どうせ時間と共に消え失せる。
証拠は一切残らない、約束された完全犯罪。
「分かった、なんか怖いから話すわ」
すぐに彼女が反応した。殺気に気づいたか。さすが冒険者ギルド職員だ。
「さっさと話せ。気が変わらないうちに」
「急に強気。覚えてなさい」
「やかましい。お前らいつでも来る時は来るだろうが」
そうでした、と彼女は笑いを堪えている。
笑いを取りにいってないとこで笑うな。
真面目に話せこの謎生命体! ほんとに生命宿してるか、試すぞ!
と、無言で圧をかける。
笑いながらも折れたか、ギルド職員な彼女は渋々感を演出しながら話し始めた。
「だから、前の彼女さんの機嫌取りなさい」
「なんだと。なんで今更、お互い気まずいわ。彼氏がいたらどうする!」
「関係ない。あなたの為」
「なんでそう言い切れる」
「だってこの呪いは本物だから」
告げた彼女は、清々したと髪をかき上げた。
……呪いだと。
だったら今すぐお祓いとお清めしないと。
効果なかったら寺社ごと燃やしてやる。
SNSで。
「言っておくけど、魔法な呪いだから、神主さんやお坊さんじゃ無理。そもそもあなたは、呪い自体を信じない人。オカルト、スピリチュアル大嫌いなのは知ってるわ」
そうか。では前言を撤回する。失言した政治家の如く。責任は秘書に取らせる。俺に秘書はいないが、なんとかしよう。
「だが今更、いやおかしい。魔法な呪いとはなんだ?」
「深く傷つき、悩んだ女性はなんでもやるわ」
「前提がおかしい。だってこんなこと……」
「だから現実。あなたの周りの人が証人。ね、どうする?」
まるで責任を問うよう、前の彼女に似た何かはこちらを覗き込んでいた。
それから突き放すよう距離を取り、手の届かない場所で一人佇んでいる。
もはや色々な意味で、手を伸ばすつもりもない前の彼女との関係を表すよう。
微妙に遠く、そしてもうすれ違うこともない。
街中で偶然会っても、きっと言葉すら交わさない。
なのに、なんで。彼女はそういう女性ではない。
何かを引きずるような、性格じゃない。
「そう思ってるのはあなただけかも」
「何を……」
人の心を見透かすよう、ギルド職員な彼女は言い切った。しかしそうだとして、関連が分からない。
いやあるとしたら、それはかなり一般的な現象。
コロナ禍で売り上げを増したり、影響を受けなかった業種は確かに存在する。
その一つが娯楽の選択肢、読書であり電子書籍だ。
更に金を払わず読めるもの……そう、俺が活動している小説投稿サイトなど。あれなら無料で、駄作から秀作まで幅広く読める。
彼女には隠していない。別に隠すような話ではないと、俺は考えていた。
「原因が分かってよかったわね」
「全然よくない。なぜ魔法な呪いが出てくる」
「あれ? あなた書いてなかったっけ?」
「いや違うだろ。書いたものだろうが、現実化するのは現実とかけ離れてる」
ギルドな彼女はにこりと微笑み、諭すよう紡ぐ。
「相手を最悪な気分にさせるなら、女はなんだってやるわ。あなたテンプレ知りもしないのに、嫌いですものね」
「だからテンプレを連発するのか」
「お約束も大嫌い」
「確かに。だがどうやって呪いなんて! そこが分からない――」
「――女の執念舐めるなよ。こっちの気持ちにも気づかない彼氏には鉄槌よ。いえ鉄槌すら生ぬるい」
傲然とした彼女は、文字通り俺を見下ろさんばかりだ。馬鹿な、背は俺の方が高いのに……。
「執念をもってことにあたり、彼女は成した」
「待て待て待て待て、たったそれだけの為に異世界を転生させたというのか?」
言葉を放つと同時、彼女の顔が際立つよう歪んだ。
「たったそれだけの為、ね」
言葉選びを間違えたか。いやしかし、何もかもとても信じられない。受け入れはするし、説教も対処もする。奴らの相手は散々してきた。
「だけど彼女に、謝ろうとはしなかった」
そう告げて、ギルドな彼女は立ち去ろうと翻った。その背を追って、俺は来た道を駆ける。
「待ってくれ! 機嫌取れとか、今更どうせいと!」
「ダメよ。時間切れ」
「ふざけるな! 異世界は書いて読むから楽しいんだ! こっちに来いなんて一言も言ってない!」
そんな心からの叫びに呼応するよう、彼女は立ち止まった。
「時間切れ。大した様ね、ざまあだわ」
「ざまあでもざまぁでもいい。具体的にどうしたらいい。なんで現実になった?」
「だからそれは、あなたが彼女に確かめて」
「どうしてもそれしかないのか……」
項垂れ肩を落とす俺に、最後の言葉がかけられる。
その間一体どれぐらいだろう。
時間切れという彼女は、立ち去りもせず俺に近づき、俯く俺の顔を覗き込んで来た。
「私はまだまだざまあしたいわ。あなたの様、とても楽しい」
「もう疲れた。仕事中はやめてくれ」
「話し合います。職を失ったあなたでは、彼女の機嫌も直らない」
……なんで願いが通じるんだ。
おかしいだろ……。
「だったら――」
「最初から、もっと相手を思いやっていれば、こんなざまあはなかったのに」
それから一つ、彼女は付け足すよう残し去って行った。
「私はまだ、楽しみ足りない。もっと遊びたいから、テンプレもお約束も、意外性も王道も。日間ランキング一位おめでとう。次の作品、ウケるといいわね」
背中が見えなくなるまで、俺は深夜の路地で一人取り残された。見えない何かは、何かが分からない。
俺はもう、前の彼女に合わせる顔がない。
勝手ながら切り替えて、新しい人生と割り切っていた。
なのに、彼女に謝れときた。
彼女に確かめろときた。
「こんな勝手な話、あるんだな……」
そうか俺が悪いのか。
そんなに俺は、彼女を傷つけた。
今、孤独なのは彼女で俺ではないと、そういう様でざまあだと、そんな話であるわけか。
致し方なく受け止める。
さあ、乗り気はしないが深夜のお散歩再開だ。
眺めのいい公園が、目的の場所。
彼女と行ったこともある、夜景広がる空間だ。
そう言えば一つ思い出す。
――束縛してなんて言わないけれど、淋しい思いはしたくない。淋しくさせたら、私怒るから。
約束したね、確かに。
懐かしい話で、こんなことすら忘れていた。
大切な約束を、まるでなんだと俺は言うのか。
なるほどだから機嫌を取れと。
確かに説得力のある話。
さあ深夜のお散歩を続けよう。
暗がりに街灯、この道は実に狭いが車は通る。
最近の車は電子化されとても静かだ。
後ろから来ても気をつけよう。
何があっても大丈夫なよう、警戒しながら歩いて欲しい。
いい大人が深夜に散歩。別に誰も止めやしない。
夜空は広く、星々が街を包んでいる。
俺の気持ちはさりながら、誰かを傷つけた代償は大きい。
冬の第三角形オリオン座。おおいぬ座とこいぬ座が瞬いている。
どうやらおとめ座は去ったらしい。
春の訪れはもう近い。
おとめの怒りに成り代わり、異世界な奴らがやって来る。
深夜だろうがやって来る。
もう慣れたけど職場に来るな。
話し合いが、上手くいくことを星空に願う。
さあ深夜の散歩を続けよう。
特に意味なく、歩を進める。
暗がりに光を見出だす為に、ただただ俺は歩き続ける。
深夜だろうがやってくる 文字塚 @mojizuka
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