義理のおばあちゃんと出会った夜

野森ちえこ

それは深夜の大絶叫からはじまった

 人生には、ときに冗談みたいなことが起こる。それは大概、冗談だったらよかったのにと思うような、うれしくない出来事だ。うれしいことなら『夢みたい』というだろうから。

 なんにせよ今ぼくは、その『冗談みたいなこと』のまっただなかにいる。


 ☽


 まず第一の間違いは、深夜に外出したことだ。小腹もすいたし、散歩がてらコンビニでもいくか——なんて、眠れないからといって、いつもならそんなこと思わないのに。なぜ今日にかぎって。


 第二の間違いは、たまたま目にはいった老女に声をかけてしまったことだ。終バスはとっくに出ているはずのバス停のベンチに、小柄な老女がぽつんと座っていたのである。誰だって気になると思う。

 これが子どもであったら家出を疑うところだが、高齢者である場合はまず認知症を疑うところだろう。

 すこし話を聞いただけで、その推測が正解だとわかった。

 老女は子どもの帰りを待っているのだという。祖父母の家に泊まりがけで遊びに出かけていた、小学生の息子が帰ってくるのだと。


 第三の間違いは、妙な親切心を発揮してしまったことである。てきとうにほうって帰ればよかったのに、それでもしなにかあったら——などと考えるとうかつに立ち去ることもできなくて、ぼくは軽く途方に暮れてしまった。

 こういう場合、やっぱり警察を呼んだほうがいいのだろうか。自分が保護して交番につれていくのは難易度が高すぎるような気がする。と考えていたのだけど、ぼくは考えごとをするさい無意識のうちに思考を声にだしてしまうクセがある。


 そうして、突如響き渡ったのは『人殺し』という物騒な叫び声。


 なにがどう結びついてそうなってしまったのかわからないのだけど、ぼくのひとりごとのなにかを聞きとがめたらしい老女が騒ぎはじめてしまったのである。杖まで振りまわして、元気だな、おい。

 あの、お願い、やめて。

 静まりかえった町中で『人殺し』と絶叫するのはやめてええぇ! ってほら! おまわりさんきちゃったよ! このタイミングで! どうせならもうすこし早くきてほしかったあああぁぁ……!!


 ☽


 結果からいえば、逮捕はされなかった。通報されたわけでもなかったらしい。

 たすかった。よかった。人生おわったかと思った。


 老女はミヤさんという名だった。おまわりさんの話によると、ミヤさんがまだ二十代のころ、親友がとある容疑で勾留されてしまったのだという。そしてその親友が留置場で急死してしまった。病死だったというが、ミヤさんは、警察に殺されたんだとよくいっていたらしい。

 ぼくのひとりごとに出た警察という言葉とその記憶が結びついてしまった結果の『人殺し』大絶叫だったようだ。

 おまわりさんの『他人にはとうとつに思える言動にも、本人には明確な理由があったりするんですよ』という言葉が印象的だった。


 どうやらミヤさんの深夜の散歩――おまわりさんはあえて『散歩』といった――は、これまでにも何度かあったそうで、ご家族からの連絡を受け捜索に出たところに、ちょうどあの『人殺し』という叫び声が聞こえたのだとか。

 おかげで捜す手間がはぶけましたと感謝されたけれど、こちらとしてはどうリアクションしたらいいのか困ってしまう。

 ともかくミヤさんは家族のもとへと無事に帰り、ぼくは無罪放免となった。


 ☽


 縁というのは不思議なものだと思う。あの深夜の珍事、ミヤさんとの出会いから二年。

 激動というほどではないあれやこれやの末、ミヤさんはぼくの義理のおばあちゃんになった。ミヤさんの孫娘である女性と結婚したのである。


 あの夜のおまわりさんには、彼女とつきあうようになったときすごい形相でにらまれたし、結婚をきめたときには『あの夜やっぱり逮捕しておけばよかった』なんていう、穏やかでないセリフが聞こえてきたりもしたけれど、こればっかりは諦めてもらうしかない。横からかっさらうような形になってしまったのは申しわけなかったけれど、恋は不可抗力である。


 あれからミヤさんの認知症はさらに進行してしまい、現在は施設で暮らしている。

 おばあちゃん子だった彼女は毎週のように面会に行っている。二回に一回はぼくも一緒だ。

 大好きなおばあちゃんにどちらさまと問われても、彼女は笑顔をくずさない。

 つらくないのかと、バカまるだしの質問をしたぼくに『つらいよ? でもいいの。おばあちゃんが忘れても私がおぼえてるから、いいの』と、彼女はやっぱり笑顔でそう答えた。

 無理やりつくったわけではない、自然な笑顔。だけどそれは、耐えがたい苦しみを越えた者だけが持つ、やわらかで強靭な笑顔だった。

 ぼくは、ぼくの人生をかけて彼女を守ってゆきたいと思う。


 深夜の散歩からはじまった一連の出来事。

 最初は冗談だったらよかったのにと思ったけれど、今は冗談でなくてよかったと、心からそう思っている。



     (了)


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