真夜中の猫たち
七迦寧巴
第1話 真夜中の猫たち
男の仕事は海外との繋がりがあるので、夜中に起きてメールをチェックしたり、ときにはビデオ通話で会議に参加する必要がある。
この日も深夜からディスカッションが入り、明け方までそれは続いた。
さすがに腹も減ったのでコンビニで弁当を買うことにした。
十月も半ば。少し肌寒いのでパーカーを羽織って家を出ると、外廊下に何かが落ちていた。
よく見ると小さな
海外の人間と雑談をするとき、彼らは江戸の頃の日本を知りたがる。
根付は当時の武士や商人が巾着や印籠を帯に吊すときに利用した留め具だ。芸術的価値も高く、海外では人気がある。
足元に落ちているそれを拾い上げると、木彫りに着色が施された三毛猫が付いている。左手をあげた招き猫だ。
ひもの部分がちぎれていたので、間違いなく落とし物だな。
男が住む単身向けマンションは各階四部屋。この階に落ちていたわけだから、男以外の三部屋の住人が落とした可能性は高い。
このままにしておこうかとも考えたが、猫の顔を見るとそれは忍びなく、パーカーのポケットに入れてコンビニに向かった。
朝になれば管理人が来る。そこに預ければいいだろう。
買い物をして家に戻る。カップ麺を平らげ、シャワーを浴びてベッドに入った。
今日は昼前に出社。十八時に打ち合わせが入っているから、それが終わって帰宅して、夜中の三時にカリフォルニアの顧客とリモート会議──予定を思い返しているうちに眠りに落ちた。
目が覚めたとき、三毛猫のストラップのことはすっかり頭から抜けていた。
会社で業務をこなし、帰宅したのは二十一時。今から少し仮眠を取って、夜中の三時にはPCの前に居なくてはならない。
部屋の電気を消し、ベッドに入る。
こんな生活がもう何年続いているだろう。仕事も報酬も満足している。
しかしこのような不規則な生活を共にしてくれる
あと数年はこの生活をして、その後は海外にでも行ってしまおうか。
まあ、こんな生活がしっかり染みついている自分に、海外での長期休暇を過ごせるのかは謎だな、と男は苦笑した。
そんなことを思いながら眠りに落ちた所為だろうか、変な夢を見た。
どこか知らない土地に居る。浜辺だ。浜では火が焚かれている。
しめ縄のようなものが見えた。龍のような蛇のような生き物が沖を見ている。
やがて沖から、たくさんの小さな舟がやってくるのが見えた。誰が乗っているのだろう。男は目を凝らしたが、良く見えなかった。少し不気味ではありながら、神聖でもあるようで、空気はピンと張り詰めていた。
目が覚める。不思議な夢だった。
時計を見ると深夜一時を回ったところだ。中途半端な時間に目が覚めてしまった。
ベッドの脇にある窓からは満月が見えた。気分転換に散歩でもするか。
パーカーを羽織ったとき、ポケットに木彫りの三毛猫を入れたままだったことを思い出した。
今度は忘れないように管理人室に預けねば、と思いながら外に出る。
駅に向かう道とは反対方面に自然と足は向かう。
途中の自販機で缶コーヒーを買い、ぶらぶらと目的地もとくに決めずに歩く。
頭上には満月。この時間歩いている人間はおらず、満月との散歩は少し心が躍った。
しばらくすると小さな公園に行き着いた。男は利用したことがない公園だ。
おそらく昼間は小さな子供やその母親の憩いの場所なのだろう。ふらりと入り、広場に出て、男は足を止めた。
中央の開けた地面に黒いものが点在している。
よく見ると、それは猫たちだった。
野良猫たちが少し距離を置いて座っている。その様子はまるで日本庭園に置かれた石のようだと男は思った。
猫たちは何をするでもなく、何を喋るでもなく、ただじっと前足を折りたたんで行儀良く座っている。
これは、もしかしたら「猫の集会」というやつではないだろうか、と男は思った。
夕方から夜にかけて十数匹の猫が集まることがあると、昔付き合った女性が言っていたのを思い出した。
男は公園の端にあるベンチにそっと腰掛けた。集会の邪魔をするつもりはないが、この空間に入らせてもらいたいと思ったからだ。
猫たちは目を細めたままで、男の顔を見ることはなかったが、存在は認識したようだ。耳がピクリとこちらに向いた。
男はそっと目を閉じる。
僅かな風の音、乾燥し始めた葉が擦れる音、ふわりとかすかに感じる金木犀の香り。
秋が近づいてきている──猫たちも季節の移ろいを感じているのだろうか。
目を閉じていても満月がこの空間を優しく照らしているのが分かる。心地良い空間だ。
四季を感じることが出来るのは日本だな、と思ったとき、今が十月なのを意識した。
十月と言えば
目の前に居る猫たちも、言葉には出さないけれど神議をしているように見えてきた。
男は微笑む。
風に乗って猫たちの声が聞こえるような気がした。
猫同士の縁談を決めたり、出してくれるゴハンが美味しいから、あの家には福を授けようなどと、あれこれ話しているのを想像すると楽しくなった。
ああ、もしかしたらさっき見た夢は──出雲に神々が集まる場面だったのかもしれない。
しばらく静かな空間に身を置いていた男は、ゆっくりと立ち上がった。
猫たちの神議はまだ続いているようだが、男はそろそろ自宅に戻り、リモート会議の準備をしなくてはいけない。
参加させてくれてありがとう、と心の中でお礼を言い、公園を出た。
自宅マンションのエントランスに入ると、一人の女性が下をきょろきょろしながら歩いていた。
色白で細身の体型。年齢は男よりも何歳か下だろうか。
女性は男に気づくと、恥ずかしそうに軽く会釈をしてエレベーターホールに向かった。
同じエレベーターに乗り込むと、男は先に七階のボタンを押した。
女性が他の階のボタンを押す様子はない。同じ階の住人か。
ふとポケットに入っている木彫りの三毛猫を思い出した。
「もしかして何か探していますか?」
自然と言葉が出た。女性が男の顔を見る。綺麗な目をしていると思った。
「はい。猫のストラップを。紐が切れていたことに気づかなくて」
「これですかね。七階の廊下に落ちていました」
男がポケットから三毛猫を出すと、女性の目が輝き、パッと表情が明るくなった。
「これです! 良かった。ありがとうございます」
女性は嬉しそうに木彫りの三毛猫を受け取る。
「明け方見つけたのですが、管理人に届け忘れていました。なにせ不規則な時間に寝起きしているので、すみません」
「とんでもない、ありがとうございます。この子、先生が見本に彫ってくれた思い出のもので。拾っていただけて良かったです」
「見本に?」
「あ、私、木彫りでこういうストラップやアクセサリーを作っているんです。夜中の方が作業が捗るので、こんな時間に起きていて。散歩に出たときに落としちゃったんですね」
「なるほど。僕も仕事柄こんな時間に起きているんですよ」
「お互い不健康ですね」
女性はそう言うと可愛らしい笑顔を見せた。
七階で下りて外廊下を歩く。女性は男の隣の住人だった。
「それでは失礼します。本当にありがとうございました」
女性が頭を下げ、ポケットから鍵を取り出す。
男は女性の家のドアを通り過ぎながら
「駅とは反対方面にある公園で、猫たちが集会をしているんですよ」と言った。
「え?」
「もし良かったら月の綺麗な夜に行ってみて下さい。仲間に入れてもらえるかもしれません」
そう言うと男もドアの鍵穴に鍵を差し込んだ。
「この猫、本当に大事なものだったんです。後日改めてお礼に伺います」
「いえ、お気遣いなく」
男はそう答えて室内に入ったが、最後に見せた女性の笑顔を思い出すと顔がほころんだ。
あの木彫りの三毛猫は左手をあげていた。左は確か人を招く。
三毛猫は運を招くだったか。
以前外国人に説明した招き猫の話を思い出しながら男はPCの電源を入れた。
この時間に起きて活動している住人が隣にいる。
拾った招き猫、
日本での、こんな生活も悪くない。
<了>
真夜中の猫たち 七迦寧巴 @yasuha
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