第七話 入学式
四月七日。早朝七時手前。
温暖化の影響で桜は早めに散り始めた頃、草薙凛太郎は自室でまだ眠りについていた。
新しい制服やスクールバッグは既に準備できているが、目を瞑りながら彼は「ピピピ」となった目覚まし時計を一度消す。
「うー」と小さく唸りながら伸びた手を再び布団の中に入れて、ダンゴムシのように丸くなった。
ほぼ寝ていたことと、頭までかぶる布団のおかげで“ドンドン”と階段を駆け上がる音に気がつかない。
その音は彼の部屋の前で止まり、勢いよく引き戸を開く。
ようやく衝撃音で“ビクリ”と体を震わせたのも束の間––––。
「いつまで寝てんのよ凛太郎! あんた今日から中学生でしょっ!!」
“バサリ”と布団が剥ぎ取られた音とともに、彼は驚いて覚醒した。
慌てて飛び起きた彼は反射的に敷布団の上で正座し、布団を持つ女性を見て目を丸くする。
「か……母ちゃん! 悪魔祓いから帰ってたの!?」
容姿は住み込みバイトの神宮日和と謙遜ない肉体。
顔は凛太郎と似た顔つきで、長い黒髪は後ろで束ねられている。
その鬼の形相は、寝坊寸前の凛太郎を威圧していた。
くびれのある腰回りとは別に、数カ所は勿体無い程の肉付き。
普段は温厚で神宮日和に負けず劣らずの表情は、寝坊寸前の草薙凛太郎を見て鬼の形相だ。
「九時までには行かなきゃいけなのに、まだ朝ご飯も食べてないんだから急ぎなさいっ!!」
「はっ、はいぃ!!」
左手で握られた布団を振りかぶり、そのまま凛太郎へ放たれる。
正座した状態から両腕の力で真横に飛び回避すると、コロコロ受け身をとって身体を起こして立ち上がった。
「行きなさいっ!」
一歩横に移動して廊下への通路を開ける芽衣の前を、凛太郎は駆け出す。
「やばい!」と焦りを感じつつ、だが芽衣から「廊下、階段は走らない!」と後ろから言葉をかけられて手すりを持って急ブレーキする。
“トコトコ”と階段を降りると既に朝食の支度を終えて、大きめのちゃぶ台で朝食を食べる草薙政子と紅三郎、龍臣の姿が。
「お、おはよう!」
「ございますだろ、凛太郎。早く座って食べなさい」
凛太郎を叱るのは、齢七十を越えたが現役の神主と陽芽神宮に仕える草薙紅三郎だった。
つい先日までぎっくり腰を発症していたが、その痛みも癒えた紅三郎に促され、凛太郎は自分の席につく。
コップに入れられたお茶を一気に飲み干してから、慌ててご飯を食べ始める。
彼が朝食を食べ始めると襖を開けて日和が入り、温まった味噌汁を凛太郎に差し出す。
具は豆腐と入れたてのネギとシンプルなものだが、「凛太郎、火傷しないようにゆっくりだよ?」と会話している光景を見て紅三郎の目が光る。
(わ、わしも日和さんから欲しい。……しわくちゃな婆さんはイヤじゃ)
震えた手を握りなおし、精神統一。
意を決して彼は空になった椀を手にかけようとした。
「日和さんも早く食べなさい。ここの男衆は勝手にさせとけば良いから」
政子に労われたと同時に朝食を促され、「ありがとうございます」と凛太郎の隣に準備された席に日和は座る。
何かを求めたい紅三郎の顔に素早く気がつく政子。
顔は無表情。
––––この爺さんは何をしているんだ?––––
無言の圧力をかけた後、冷酷に言い放つ。
「爺さんも自分の茶碗ぐらい洗いなさい。
そんないつまでも持ってないで」
企みは政子に露見されていた。
紅三郎は「は、はい……」と肩を落としながら渋々台所へと消えていった。
日和が着席したところで、芽依も居間に現れて朝食を食べ始める。
凛太郎と並ぶ彼女の姿を見て……芽依は(あれ?)とどこか懐かしい空気を感じつつも、まずは日和に挨拶する。
「昨日は遅くに帰ってきてたから、ちゃんと挨拶できなくてごめんなさい。
私は陽芽神宮の巫女で、凛太郎の母親の芽依です。
いつも、凛太郎や他の家族がお世話になってますが……まさか、日和さんも神器召喚ができるなんて、聞いてびっくりしました」
「すいません、私もご挨拶が遅くなって。
神宮日和です、先月からお世話になっております」
日和の方は丁寧に挨拶をするが、初めて話す相手とは思えないほど言葉は柔らかい。
芽依も同様に初対面で話すことや、今こうして同じ部屋で食事を取ることを自分自身も含めて不思議に思えた。
「日和さん……でも、悪魔とか怖くなかったの?
実戦も初めてだって聞いたけど」
心配そうに見つめる芽依を見て、日和は答える。
「はい。初めはすごく怖かったんです。
それでも、本当は悪魔も人間だって知って……どんな形だろうとも同じ人間なら助けなくちゃって思って。
だから、ここで仕事がしたいって心から思えたんです」
普通ならば、そういう風に言う人はいない。
物珍しさか、本心なのか芽依は探る。
だが政子がかけた記憶操作術の、
「そう……それなら良いんだけどね。
ちょっと、心配しただけよ。辛い目にあうこともある仕事だから。
私ね、昨日まで集団での戦争に行ってたんだけど他の神社の人たちと話すと、悪魔の容姿とか意志がどんどん強くなってるって話聞いてるから、早く伊魔那美様には倒れて頂かないといけないんだけど。
その悪魔も、昨日の最後に出てきたのが動く石像みたいな悪魔だったの。
神主の一人から聞いたら、ゴーレムっていうみたい。
伝承もそうだし、私が小さい時は普通の妖怪ばっかりだったんだけど、ここ数年でどんどん変わっているみたいね。
……あ、もちろん、ここにいるレオは違うけどね」
集団戦争、ゴーレム。
事実ではあったが普通の女子なら聞き慣れない言葉を並べて怖気付かせようとしてみた。
「この前も、緑色の怪物みたいな悪魔だったんですけど……あれは、映画で見たような気がするんです。
だから、その人が生きていた時に、なりたかったとか気になるものが自分自身へと転換されるのかなあって思いました」
だが、日和はもう怖がる様子はない。
昔から慣れているかのような面構えで芽依を見ている。
「そうね……まあ、意志っていうか、イメージが弱いと想像通りにはいかないのかもしれないけど、実際なったことないから分かんないけどね。
でも、いつ戦いになるか分からないから
「ってか、母ちゃんも……ねえちゃんも朝から悪魔の話ばっかしないでさ。
もうちょっと明るい話しようよ?」
二人が話していると、朝食を食べ終えた凛太郎が割って入る。
それを見て二人はようやく「「ごめんごめん」」と言葉を合わせて彼に謝った。
––––そう、今日は彼の中学の入学式なのだ。
八時半までに近くにある陽芽中学校まで行かなくてはならない。
現在の時刻は七時三十分、歩いても片道で三十分もかからないだろう。
急いで朝食を食べ終えた後、凛太郎は部屋へ戻る。
パジャマを脱ぎ捨てた後、彼はぶかぶかの制服を身に纏った。
部屋にある衣装鏡で確認し、坊主頭なのに寝癖を直すように手で頭を押さえつける。
「……よし、準備ばっちりだ」
真新しいスクールバッグに筆記用具を入れた後、彼は勉強机に置かれた写真に声をかけた。
「ひーちゃん、行ってくるね」
写真に向かって手を振ると、彼は足早に部屋を出た。
神々の代行者ー古から現代まで続いた日本神話の代理戦争ー 名浪福斗 @bob224
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