ゆっちゃんとオバケのトモロ

小桃 もこ

ゆっちゃんとオバケのトモロ


 ──肥満が原因ですね。このままの生活を続けられますと、命の危険もあります。



 そんな脅し文句でこのおれの心が動くとでも思ったか。


 好きなことして、好きな物食って、好きに生きて死んでいく。


 それでいい、それが最高の幸せだ。そう思っていた。



「ち。コーラないじゃん」


 買い忘れか。乱暴に冷蔵庫の扉を閉めた。腹を立てつつ母親のいる寝室の前まで進んでドアノブに手をかける。


「──私だっていい加減自立してほしいわよ!」


 ドア越しに聴く、くぐもった怒鳴り声。ああ。自分の話だ、と直感する。今ドアを開ければ間違いなく夫婦喧嘩に巻き込まれる。面倒ごとはごめんだ。


 仕方なく自室に戻り定位置で画面を見つめた。少しそのままでいて、やっぱコーラ、と欲求に負けため息混じりに重い腰を上げる。荷物の山から財布を掘り起こし、付いた塵を払うとズボンのポケットに突っ込んで数か月ぶりにのっそりと外へ出た。


 春の夜。思いのほか外気は冷えていて薄手の部屋着だけじゃ寒かった。けど上着なんかどこへやったかわからない。


 ああ、腹立つ。


 おれはデブのニートなんかじゃない。働けないんだ。会社ってのが肌に合わない。仕事をすると健康を害す。


【無理するな】

【好きなことを伸ばせばいい】


 ずっとそう言って育ててきたくせに。学校を卒業した途端「働くのは当たり前」なんて。おかしいだろ。


 いつまでも実家にいるおれを厄介者扱いしやがって。


 ぶらぶら歩いていると、頭上に満月が見えた。


 オオカミ男を題材にしたアニメを、ついこの前見た。


 おれだって、変わりたいと思わないわけじゃない。月を見て強靭な肉体に変身、なんて馬鹿げた夢を見ることはないにしても、一生今のままデブのニートでいるのもだめだってわかってる。


 わかってても──。


「やーるーのーっ!」

「だめ。寝なさい、ゆっちゃん」


 人なんかいるはずないと思っていたから心底驚いた。


 しかも子どもの声だ。今何時だよ? 画面を確認すると23時を過ぎていた。なんでこんな深夜に。


 辺りを見回すが姿は確認できなかった。たぶん、どこかのアパートかマンションのベランダとかから聞こえている。


「今日じゃないとだめだもん」

「満月だから? 朝でもいいじゃん」

「だめ」

「じゃあお月様が見えるくらい早い朝」

「だめ。今なの!」

「やっても『め』は出ないよ」

「出るもんんんーーー」


 なんの話かさっぱりわからない。子育てって大変だよな。自分には絶対むりだ。


「もう! ママきらいっ! ダスティ・ローーーズっ!」


「ぶふっ!」


 思いがけず自分の推しキャラの必殺技が聞こえて吹き出してしまった。慌てて口元を押さえて歩調を速める。


「トモロ!?」


 興奮した幼い声がおれの背中に届く。『トモロ』それって。あの国民的人気アニメの『トモロ』かよ!? 種を撒いた庭で夜中にダンスをして、翌朝芽をださせる、っていう!


「オバケのトモロだ、ママ! トモロが出た!」


 トモロじゃねーわっ!

 たしかにデブで全身灰色だけどさ!


 曲がる予定でない近くの角を慌てて曲がって身を隠した。慣れない運動に息は上がって視界がチカチカする。


 ──オバケのトモロだ!


 初めて言われた。ちょっと、ショックだった。



「え。なにその格好」


「バイトの面接」


「…………え!?」


 おれはデブのニートなんかじゃない。ついでにオバケのトモロでもない。


「おっかしいなあ〜」

「どうした? ゆっちゃん」

「『め』でてないよ?」


 そりゃそうだ。『芽』はな、トモロが出すんじゃない。種から「出るぞ」って気になって、やっと地表に出るんだよ。





  (おしまい)




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ゆっちゃんとオバケのトモロ 小桃 もこ @mococo19n

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