9

 ――絶対、変だ。

 ここまで来てようやく異様な事態を察知した私は、とりあえずこの場から離れようと急いで後ろを振り向いた。

 ――はずだったのだが。

 おかしい。身体が思うように動かない。

 店らしき物から遠ざかるどころか、どんどん近づいてしまっている。

 上半身は反対側に向かおうとしているのに、下半身……要するに足が、勝手に前進しているのだ。


「はっ、ちょ、ちょっと、なにこれ、どういうこと!?」


 見えない力に引っ張られるように、両足が左右に動いていく。

 ねじった上体のせいで斜めに体勢が崩れているが、それでも倒れないのがまたおかしい。

 ついに扉の前まで来てしまうと、腕までグンッと引き寄せられ、磁石のように引き手にくっつく。


「ちょっと! そっちじゃないってば――」


 抵抗虚しく、両腕が意志に反して入り口を横に開いてしまった。

 リーン……。

 怪奇現象に冷や汗をかく間もない私に訪れたのは、軽やかな鈴の音だった。

 それは数秒のようで、ものすごく長い時間にも感じた。

 この瞬間、私は別世界に来たような、爽やかな風と浮遊感を得たのだ。

 

「いらっしゃいませ」


 嘘のような空間の中で、鮮明な声が響いた。

 ハッとして顔を上げた先には、確かに人――が立っている。

 木造のカウンター席の向こう側、茜色の作務衣を着た……男性、だろうか?

 性別を決めかねるほど中性的で綺麗な人……それが彼の第一印象だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る