第15話 敵の集落潜入

夜襲を撃退し、教会に戻ると生贄幼女が悲壮な表情を浮かべて待っていた。


「聞こえていたか?」


 質問すると生贄幼女は頷いた。


 こいつの父である大男が大声で母が窮地にあると告げていた。母を救いたければ戻って来いと。


 戦場からは距離があったはずだが、生贄幼女の恩寵の一つ、感覚の拡張によって聴覚が強化されている。それで聞き取ったのだろう。


『母をたすけて。』


「わかった。すぐに出発する。」


 俺はすでにこの生贄幼女と約束を交わしてしまっている。


 生贄幼女とその母親の改宗を条件にして、こいつとその母を助けると。


 魔人である生贄幼女の改宗は大きな利益になる可能性が高い。力ある異教徒が改宗すると反転して強力な神聖術の使い手になる逸話があるのだ。試す価値がある。


 敵部族の集落に潜入し生贄幼女の母を救出するリスクよりも、魔人の生贄幼女を改宗させるリターンの方が大きいと俺は判断している。そしてそれは戦闘直後で疲弊している現在も変わらない。


 少し休んでから救出に向かうことも考えたが、俺は生贄幼女の心情を優先した。


 休憩して反感でも買おうものなら改宗に支障が出ないとも言い切れない。


 賢そうな幼女だが、まだ幼い。理屈より感情が優先することもあるだろう。


 こいつの父である大男が言うには、救出対象である母は石を投げられ、そう長く生きていられない状況にあるということだった。


 悠長に構えてはいられない。


「ただしお前も来い。道案内が必要だ。」


 こいつの母親の顔を誰も知らない。そして集落の場所もだ。


 こいつの恩寵の一つは感覚の拡張だ。敵探知機兼地図、ナビになってもらう。


 戦闘直後に敵部族に潜入をかけるのはメリットもある。戦闘員が減っているということだ。


 奴らはきっと集落の場所を知られないように尾行に注意しながら迂回して戻るはず。


 見張りは警戒しているかもしれないが戦時下では今後も常にそうだろう。


 森の中での不意の遭遇が少し怖いがそこは生贄幼女の恩寵でどうにか避けてもらおう。


 本当は先に入信の儀式だけでもさせておきたい。しかし入信の儀式をして恩寵を失う可能性がある。


 しかたない。儀式は後回しだ。


 潜入任務なので人数は必要最低限。神聖術の使える者のみとする。


 少女剣士も参加したがったが、体調がまだ万全ではないから教会に残した。それに潜入に向いているとも思えない。


 俺達は生贄幼女を連れて深夜の森に入っていった。






 生贄幼女を脇に抱えて森の中を駆ける。音を立てないよう慎重に、だが素早く。


 移動中感知の精度を上げるためか生贄幼女の長髪が大きく広がり全方位に展開していた。


 移動の邪魔だったがそれだけの価値はあった。


 生贄幼女の恩寵は実に優秀で、途中獣や敵部族を感知した。おかげで迂回し、やり過ごすことが出来た。


 生贄幼女の指さす方へ進む。だんだんと勾配が出てきた。登り斜面のため環境が厳しくなってきたが、行程は順調だった。


『もうすぐ。』


 生贄幼女が集落の近くまで来たと告げた時だった。


「シュロロロロロ!」


 なんの鳴き声だ。


 思わず足を止め、音の方角に視線を向けた。


 斜面から月明かりに照らされた枝分かれする頭部の影絵が映し出される。


『ウ、ウワバミ様。ヴァジュラマ様の眷属。』


「ヒュドラか。」


 おそらくこのヒュドラがこの幼女が生贄として捧げられるべき相手なのだろう。


 生贄の数だけ力を増し、増した力の分だけ頭部を増やす蛇の化物、闇の眷属。神話には8本首のヒュドラの話があるが、こいつにはそれに近い数、6本もある。ちょっと戦闘力が未知数だ。正直戦いたくはない。


『大丈夫。生贄を捧げなければウワバミ様は動かない。』


 召喚者が存命なら召喚者の指示に従うが、大抵の場合は召喚者の命と引き換えに召喚される。召喚者を失った闇の眷属は召喚された地からほとんど動かない。召喚者を失った闇の眷属に指示を与えるには決まった手順で生贄を捧げる儀式を行わなければならないのだ。


「そうか行くぞ。」


『うん。』


 進むにつれて上り調子だった斜面が下り坂に変わっていた。


 ハクモに案内されてついた集落は盆地のような場所だった。平地は少ないが緩やかな斜面に円錐の皮を張ったような家が点在している。周囲を木の柵で囲んであるがあくまで獣避けといった感じで人なら簡単に乗り越えられるものだ。


 深夜だが松明がいたるところで灯されている。戦時中だから警戒しているのだろう見張りの人間も多い。


 小さな集落だが、すべてを人で見張るには大きすぎる。


 人員を半分にして集落に侵入した。半分は集落の外で待機だ。万が一の時にはそのことを教会に残った部下共に伝えてもらう必要がある。


 目標は生贄幼女の母親の発見と救出だ。欲を言えば敵に見つからずに目標を達成したい。


 見つかると戦闘になってしまう。すると奴らに人的被害が出てしまう。


 いずれは殲滅するがそれは布教を終えてからだ。それまでは蛮族同士仲良く争い続けてもらう必要がある。あまり敵に被害を与えすぎるのは良くない。


 まあ多少ならいいかもしれないが。


 そもそも敵に見つかって無事に済むとも限らないのだ。見つからないに越したことはない。


 斜面を降りていくとやがて大きな木の柵に四方を囲まれた場所に出た。罪人を処す場だ。


『お、お母さん?』


 ハクモが呼びかける。木の柵の中には確かに人影があるが倒れていて動かない。周囲には石・枝・生ごみなどが散乱していてひどい臭いだ。柵の中の人物に投げつけられたのだろうことが容易に想像できる。


『お母さん!』


 木の柵にしがみ付いて縋るように呼び掛けるハクモだったが返事がない。


 俺は神聖術で強化された膂力で柵をこじ開け、中に入る。


 生贄幼女は走ってその母親の下に駆け寄っていき声をかけた。


「お母さん!お母さん!」


 何度も揺らすが反応はなかった。


 ハクモの母親はすでに息を引き取っていた。


 道理で周囲に人の気配が無いわけだ。


 死んでいるなら罪人が逃げ出す心配はない。見張る必要もない。


 けなげに声を押し殺して泣くハクモに聞く。


「おい。お前らの死者を送る作法を教えろ。土葬か?火葬か?」


「お頭今は……」


「黙ってろ。」


『……、火葬。』


「わかった。盛大に送ってやる。」


『え?』


 困惑の表情を浮かべるハクモを無視して部下に指示を出す。


「お前らハクモをつれて集落の外で待機してる奴らと合流しろ。」


「お頭は?」


「後から行く。」


「うぃっす。」


「行け。」


 部下の脇に抱えられて遠ざかっていく生贄幼女を尻目に俺は準備を整えに向かった。


――ハクモ――



 標高の高い斜面からは集落を見渡すことが出来る。


 集落が燃えている。


 中心になっているのは罪人の木牢だ。


 フランシスコが火をつけた。木牢を破壊し、そこに松明を投げ込んだのだ。


 戦闘の様子はないからフランシスコはうまく逃げ出せたのだろう。


 人々が右往左往しているのが火の光に照らされてよくわかる。


 いい気味だと思う。


 だがそれでも気は晴れない。


 母は私を大切にしてくれた。私のために父と争ってくれた。信仰に抗ってくれた。


 私は我が身可愛さに父と争うどころか母に加勢することすらしなかった。


 私は母を大切に思えていないんじゃないかと思っていた。


 しかし母の死を目の当たりにしてそうではないと知った。


 私は私が一番大事だ。しかしそれでも母が大切ではないということにはならない。


 私のために自身の命をなげうった母を思うと心が痛む。


 母が私にそうしてくれたほど、私は母を大切にすることはできなかった。


 今からでもしてあげられることはないだろうか。


 母は私が健やかに生き続けることを望んでいる。


 心のどこかで、そんな都合のいい幻想を抱いてしまっている。


 唾棄すべき怠惰だ。


 母は憎んだはずだ。呪ったはずだ。


 石を投げつける部族の者達を。


 ならば母の願いは私の願いと一致する。


 復讐だ。


 それが母の魂を慰めるだろう。


 母を失った喪失感。


 母にあのような死に方をさせてしまった罪悪感。


 そしてあのような行為を働いた者達への憎悪。


 この怒りのおかげで今は母の死と正面から向かい合わずに済んでいる。


 罪人は本来ならば生身のまま土に埋められ、腐りゆく醜い姿で冥界を彷徨う。


 しかし燃やせば火によって生前の罪は雪がれ死後安らかに過ごすことが出来る。


 フランシスコには借りが出来てしまった。


 フランシスコは言っていた。ヴァジュラマの信徒は皆殺しだと。


 望むところだ。


 一人も生かしては置けない。


 しかし非力な自分に何が出来るだろうか。


 ただ殺すだけではダメだ。それに自身に人を殺めるすべはない。


 ここまで熱が届くわけもないのに顔が熱い。


 火が煌々と集落を照らしている。


 集落を見下ろしながら考える。


 復讐の方法を。


 まずはヴァジュラマの教えに背くところから始める。


 ヴァジュラマを裏切りアスワン教とやらに入信するのだ。


 アスワン教では神は唯一。他はない。


 つまりヴァジュラマを否定している。神ではないと。


「別れは済んだか。」


 気づけばフランシスコが合流していた。


 フランシスコの質問には頷きをもって返す。


『ここで入信の儀式をしたい。』


 フランシスコは一瞬虚を突かれたような表情をしたがすぐに持ち直し聞いてきた。


「何故だ。」


『フランシスコは言っていた。信仰は根拠のない確信だって。』


 怪訝な表情を浮かべるフランシスコに言葉を続けた。


『この光景こそが私の信仰。その確信がある。だから今儀式がしたい。』



――フランシスコ――



 今起きたことをありのまま話すぜ。


 生贄幼女の母親を火葬してやるために、木柵壊して松明パクって放火してきたんだ。


 そしてうまいこと逃げて生贄幼女の元に戻ってきたら、燃える集落を見て言うんだ。


「この光景こそ私の信仰」ってさ。


 何を言ってるのかわからねえと思うが俺も何を言っているのかわからねえ。


 復讐したいってことだけは伝わってくるが、アスワン教が信仰してるのは愛と平和の創造神。復讐の神じゃない。


 母が凄惨な死に方をして、しかもそれが自身を逃がしたのが原因だったのだ。生贄幼女が闇落ちして殺意に芽生えるのも無理はない。


 本来なら同情やら共感やらして、なんなら一緒に涙を流して慰めるべきなのだろう。復讐なんて虚しいだけだと教え諭すべきなのだろう。


 アスワンの神官の中にはそういう思想の奴らがいる。


 無関係の他人が死んだときに親族に同情し共感し共に泣いてやる奴らだ。


 俺はそれを涙腺ガバガバ、濡れやすいお涙ビッチと心の中で蔑んでいた。


 なんて安い涙を流すのかと。


 しかし、冷静に考えれば涙一つで信者の心をつなぎとめているのだ。実にコスパの良い信者の獲得方法だ。


 尊敬するわ。


 俺には他人の感情に寄り添うテクニックがない。


 俺が涙ビッチで寄り添いのテクがあれば生贄幼女の復讐を止めることが出来たのだろうか。


 とはいえ現状、こいつを慰め復讐を止めた場合、改宗の意欲が薄れる可能性がある。


 改宗する意欲が沸いているのなら何でもいいな。


 お涙ビッチも他人の感情に寄り添うテクニックも必要なかったのだ。


 奴らの集落からは大分離れている。長居したくはないが入信の儀式はそう時間のかかるものじゃない。


 何より本人がやる気なのだ。


 入信の儀式に取り掛かろう。


 ここで入信の儀式を行うには諸々道具が足りていない。


 しかし大衆に迎合し続けてきた我が宗派だ。今更入信の儀式の方法にごちゃごちゃ文句もつけないだろう。


 信者が増えればいいのだ。宗教は数が大切なのだよ数が。


 本来は水を使い、身を洗い清めるのだが、この場には存在しない。


 代用品で似たことをするしかない。


 俺は懐から短剣を取り出した。姿勢を正し、畏まった声音で生贄幼女に告げた。


「そこに跪き、祈りを捧げよ。」


 生贄幼女が従うのを確認し、言葉を紡ぐ。


「汝、神はただ神のみであると信じるか。」


『はい。』


「汝、神の僕として忠誠を誓うか。」


『はい。』


「ならば契約を交わそう。」


 俺は自身の短剣で左手首の動脈を切り裂いた。血がどくどくとあふれ出す。


「うわっ」


 部下が引いている。


 入信の儀式に血を使う部分などない。だが本来必要とする水がないのだ。他に代用できそうなものもない。仕方ないだろう。


「我が身は最も神に愛された者の一人だ。その血をもって今までの罪を赦し入信を認めよう。汝頭を垂れ、祈りを捧げよ。」


 生贄幼女は跪いたまま黙祷を捧げている。


 このままだと味気ないと思い『破魔付与』の神聖術を使用した。


 淡い燐光が生贄幼女から発せられる。


 するとどうだろう。


 幼女の黒い長髪か根元から白く変色していき、やがてその長髪が清らかな白一色となった。


 部下共の驚愕の声が聞こえてくる。


 こんな現象を俺は知らない。


 しかし実に神々しい光景だ。目に見えて改宗した感じがする。


 動揺してしまったがまだ入信の儀式は終わっていない。俺は未だ黙祷を捧げ続けている生贄幼女に入信の儀式の完了を告げた。


「汝の身は清められた。信徒ハクモよ。信仰に励み給え。」

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