第12話 生贄幼女

 ハクモが産まれた時、人々は大いに喜んだ。


 明かに人とは違う、神経の通った蠢く髪。神の恩寵あらたかなのは間違いない。


 神の眷属に捧げる人柱にふさわしい。


 神の眷属とは根源神ヴァジュラマに服従する霊獣の総称だ。神の恩寵あらたかなヴァジュラマの信徒の一部には命を代価に神の眷属をこの世に呼び出す能力がある。


 いずれ憎きハン族を滅ぼすその時のため、数百年間、神の眷属に生贄を捧げて力を蓄え続けている。


 神の眷属は生贄の数だけ力を増すが、恩寵持つものを生贄に捧げればただの生贄10人分以上の効果がある。


 恩寵持ちは質の良い餌なのだ。






 ハクモの記憶にある父と母は、常に口論していた。


 原因は常に自身にあるようだった。


 娘を喜んで使徒の生贄に捧げんとする父。集落を裏切ってでも娘を生かそうとする母。


 両親の口論は時に取っ組み合いの喧嘩になるほどに苛烈だった。


 人と人が争うことは素晴らしいことだ。


 根源神ヴァジュラマは争いがお好きだからというだけでなく、人を成長させてくれる。


 自身の欠点を知ることもできるし、自身の長所が見えることもある。


 しかし、ハクモはどうにも両親の争いは好きになれなかった。


 高みに至る過程において、時に痛みを伴うこともある。この心の痛みもそうなのだろうか。


 だが痛みは命を守るための防衛機能だ。耐え続けることが果たして賢明なのか。


 常に天秤は揺れていたが結局ハクモは両親の争いを黙って通り過ぎるのを待つだけだった。


 両親の争いは自身の命を、人生を左右することだったのに。




 ハクモの父は強欲で荒っぽいヴァジュラマの信徒の手本のような人間だった。


 欲は行動する原動力だし荒っぽい気性は人との関係に摩擦を起こす。どちらもヴァジュラマの教えの推奨するものだ。ゆえに集落の長でもあったが、父を長としたのはそのヴァジュラマの信徒としての模範性というよりも純然たる力、暴力の強さによってだった。


 集落の長は複数の妻を娶ることを許されているが、なぜかハクモの父はそれをしなかった。その代わりというべきか、ハクモの母、妻に強く執着していた。


 父は反抗する者が好きだった。そしてそれを屈服させることが好きだった。


 母は正に父の理想。意思が強く、それを曲げない。自身の考えと違えば遠慮なく反抗する。父は反抗する母を屈服させることに夢中だった。


 もしかしたら父がハクモを神の眷属に捧げることに積極的なのも、父の信仰によるものではなく、母の反抗を煽りたかっただけなのかもしれない。


 屈折した愛情表現だ。


 ハクモは感情表現の薄い子だったから父の好みには合わず、虐待を受けるということはなかったが愛情を向けられた記憶もない。単に興味がなかったのだろう。


 代わりに母からたっぷりの愛情を注がれた。


 ヴァジュラマの教えも母が教えてくれた。


 他者との違いに落ち込んだ時も母が慰めてくれた。


 人と違うということは素晴らしいことだと。


 違いがあるからこそ争いが産まれる。


 人は争い競い合うことで個を高め、優秀な個の集団は繁栄する。


 人が繁栄し増えれば争いも増え、ヴァジュラマは喜ぶ。


 違うということは特別であるということ。だからハクモは神に愛されているのだと。


 多くの集落の人間がそうであるように母もまた敬虔なヴァジュラマの信徒だった。


 争いを起こせば人は成長し、喜んだ神は信徒に恵をもたらす。


 しかしそこには矛盾がある。神に連なる眷属が降臨する際、魔素がその地に振り撒かれる。魔素は眷属には力を与えるが人を害する。


 恵を与えるはずの神の眷属がなぜその信徒を害するのか。


 集落の者はそのせいで非常に寿命が短く、不健康だ。一部の神の恩寵もつ者だけが健康でハクモもその一人だ。


 虚弱な母はハクモの健康をことさらに喜んだものだ。




 ある時ねじれ木の森が炎上した。集落は騒然としたが、集落まで燃え広がることはなかった。


 やがて探索すると古の敵対部族ハン族と遭遇した。


 先祖の恨みを晴らす時と集落の者達は色めき立った。


 母もまた何かを決心したようだったが、それは集落の者達とは違うものだった。


 ハン族との戦争、それはハクモの命が縮まることを意味していた。


 神の眷属はハン族を滅ぼすために召喚され、ハクモの役割はその眷属に命を捧げて力を与えることだからだ。


 母はそのことを察し、ハクモを逃がすための行動を起こした。


 骨面を被せ顔がわからないようにし、集落から追い出した。


 母がついていくわけにはいかない。父は母に強く執着している。血眼になって探すだろう。それ以前にいなくなったことにすぐに気づかれてしまう。母がハクモがいなくなったことを隠蔽する必要があった。時間稼ぎだ。


 ハクモには恩寵の力がある。野生の動物に襲われることはないだろう。


 ハクモの恩寵は感覚の拡張と魅了だ。魅了の力は知性ある人には効きづらいし神の力を得ている者はさらに効果が薄いが獣や魔物に対しては非常に強力に作用する。


 また特別なハクモの髪の毛は触覚のように微細な振動を感じ取り、拡張された聴覚を補助する。結果広範囲の音を聞き分ける。獣を避け、人の声のする方角を知ることが出来る。


 問題は敵の部族、ハン族だ。


 仇敵ハン族。悪鬼羅刹の輩。狡猾にして狂暴。人よりも獣に近い鬼畜の部族と伝えられている。


 しかしそうはいっても戦時下において敵対部族の情報は貴重だ。それをわずかなりとも持っているハクモを害するだろうか。わからないがここにおいておけば死に行くだけなのは明かだ。


 しかし、もしかしたら生贄になるよりも凄惨な死を遂げるかもしれない。


 浅はかな母のエゴだった。


 しかしそれだけハクモが大切だった。


 生きていてほしかった。




 ハクモは母に逃がされ集落を出た。大人しく従った。


 理解していたのだ。これが自身が生き残る最善の道だと。


 母にすがり、共に逃げようとはしなかった。母が同行すれば時間稼ぎが出来ず逃げ切る可能性が減るからだ。


 ハクモが逃げたその後。今度は母の身が危ないと、本当は理解していたのに。






 集落に戻ってきた男衆の会話は聞こえていた。どの方角でハン族に遭遇したのかもわかる。その方角へ進めばいいだろう。


 予想外だったのはその距離と自身の体力だ。緊張の中歩き続ける行為は大きな消耗を強いられる。


 そして一昼夜歩き続けた。


 限界も近いそんな時、ハクモの拡張された感覚が人の気配を感じ取った。


 まだ遠いが、到達不可能な距離ではない。


 そう思ったが、実際のところ幼いからだは軋みを上げており、意識を保つのがやっとだった。


 せっかく永らえたこの命。こんなところでむざむざ散らすわけにはいかない。


 しかし体は言うことを聞いてくれず、木の根元に倒れこんだ。


 ひどく眠い。


 意識を手放そうかというとき、場違いに陽気な声が聞こえた。


「野生の幼女が倒れてる!我の嗅覚は正しかった!」

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