第10話 信仰蔓延る温床

 フランシスコ率いる渡来人たちによって焼き払われた歪の森だが、すべてが燃えたわけではない。未だ奥には鬱蒼とした森が続いている。


 ねじれねじれたトゥレントの木々は少なく、燃えた森とはまた違った植生を有している。ハン族の先人は足を踏み入れていたかもしれないが、少なくとも敵対部族を滅ぼしてから数百年は足を踏み入れていない。


 距離はあるものの、歪の森浅層の焼失によりハン族の集落は未踏破域と地続きとなった。


 何がいるかわからない。豊かな食物があるかもしれないが、危険な魔物が潜んでいるかもしれない。


 調査が必要だった。


 数人の戦士が歪の森の未踏破域へ調査に送られた。


 未踏破域は焼失した浅層同様、むしろより一層邪悪な気配がした。


 実のなる植物や小柄な獣も目にするが、皆一様に禍々しく、とても食用に耐えるとは思えない。


 そうして警戒しながら森を探索しているときだった。


 突然木々の間から大型獣の頭蓋骨が現れた。


 魔物が現れたと騒然としたが、よく見るとそれは獣の頭蓋骨をかぶった人間だった。


 上半身は裸。痩せていて骨ばっている。下半身に毛皮を纏い、鉈を手にしている。


 魔物よりも奇怪だ。


 そして同様の恰好をした者たちが数名現れた。


『ハン族の戦士である。お前たちは何者か。』


 探索隊まとめ役の戦士が冷静さをもって誰何する。


 襲い掛かって痛い目を見た過去がその行動をとらせた。フランシスコとの邂逅時だ。


『ハン族だと?仇敵のハン族か!』


『僥倖!実に僥倖!これも根源神ヴァジュラマ様のお導きか!』


 戦士達も薄々そうではないかと思っていた。だが同時にそんなはずがないとも考えていた。


『先人達の無念。今ここで晴らそうぞ!』


 過去にハン族が滅ぼしたはずの部族が生き残っていたのだ。


 獣の頭蓋骨の奥。人間の目に獰猛な光が宿る。


 そして敵対部族の生き残りが奇声をあげて戦士達へと襲い掛かっていった。


『偉大なるヴァジュラマよ!隷属を代価に!我に力を与えたまえ!』


 敵対部族がなにやら祈りを捧げるのを受けて戦士達も祖霊術を行使する。


『偉大なる先人達よ。我に末裔たる力を。剛力招来!』


 戦いが始まった。











 蛮族共に不幸が起きた。


 それも信仰が蔓延る温床になりそうなやつだ。


 ただの偶然だ。俺が奴らの不幸を願ったからではないはずだ。


 燃え残った歪の森の奥。その探索中に敵対部族の生き残りと遭遇し、戦士が負傷して戻ってきた。にわかに殺気立つ蛮族。戦争の気配がする。


 喜んではいけない。


 まずは傷を癒して差し上げろ。それが神官の務め。喜ぶのはそのあとだ。


 やるじゃん神様。布教する下地はバッチリだ。後は任せろ。しっかりと信仰を植え付けてやるからな。





 俺たちがこの話を聞いたのは。負傷した戦士がその傷を癒すために教会に連れてこられたからだ。メルギドが付き添ってきて、俺たちに事情を告げた。


『敵対部族に生き残りがいた。歪の森で接敵し、これを撃退するも逃げられた。戦士の一人が負傷した。死者はいない。敵の規模はわからんが、奴らは我らの先祖に敗北したことを覚えている。和解は不可能。禍根を残さぬよう殺しつくすしかない。』


 メルギドは一度言葉を切り、そして重々しくその言葉を口にした。


『戦争だ。』


「よし!殺そう!すぐ殺そう!いつ行く?今か?これからか?」


「落ち着いてください。戦士の皆さんより血気走ってるじゃないですか。」


「そこをどけ!奴らを殺しに行けないだろうがっ」


「どうしたんすか。お嬢だって落ち着いてるのに。」


「さすがの我もお頭ほど血の気は多くないよ。でも滾ってきた!」


「何悠長にしてやがる。戦士がやられたってことは仲間がやられたってことだろうが!報復だ!血の報いを受けさせてやる!」


『フ、フランシスコっ!』


『お前のことを勘違いしていた。ただの無慈悲な殺戮者だと思っていた。謝罪させてくれ』


「気にすんな。」


 そんなことより戦争だ。


「うっわ。うさんくせえ。」


「何企んでんだこの人。」


 こんな脳みそ筋肉のような蛮族共に無慈悲な殺戮者などと思われていたとは甚だ遺憾だが、今回ばかりは聞き流してやる。だが部下共、テメエらは駄目だ。戦場では背後に気をつけろ。


 部下共は俺に疑いの目を向けてくるが、俺がこうも今の状況に乗り気なのは当然だ。戦争は信仰の肥やしだし、相手はキマイラを召喚した異教徒の疑いの強い部族だ。


 夢で神の使徒を名乗る神聖美幼女は言いました。


「異教徒共は皆殺しだ」と。


「さもなくば地獄の責め苦が待っている」とも言っていた。


 神聖美幼女からのもう一つの使命、教会建設は完了した。夢に神聖幼女が再度現れるのかと警戒したがそんなことはなかった。


 神聖美幼女などただの俺の幻想にすぎない可能性はあるが、その夢の後で翻訳の恩寵を授かったのだ。軽視はできない。


 俺は異教徒共を殲滅し、数多の屍の上に信仰の御旗を突き立てなければならないのだ。


 この蛮族同士の諍いは布教と異教徒共の殲滅、二つの任務を同時に遂行できるボーナスステージだ。気が逸るのも仕方がない。


『まあ待て。奴らはお前たち同様、不思議な術を使う。ヴァジュラマとやらに祈りを捧げると、黒い靄に包まれ、強化されるそうだ。』


 メルギドに窘められた俺だったが、今こいつ聞き捨てならないことを言ったな。


「お頭、聞き間違いですかね。ヴァジュラマって聞こえたんですが」


「俺にもそう聞こえた。キマイラが出てきた時からもしやと思っていたが。」


『なんだ?知っているのか?』


「ああ。俺たちの国にもヴァジュラマを信仰する奴らはいた。同じ奴らかは知らんが、キマイラは俺たちの国でも戦ったことがある。」


 根源神ヴァジュラマ。本土には多種多様な異教徒の集団がいたが根源神ヴァジュラマを信仰する奴らが最もその信徒の数が多く、必然戦うことも多かった。


 世界の創生神にして絶対神は悪神であるという中々にイカれた思想の持主どもだ。とはいえその教義のロジックは残念なことに、唯一絶対神を善神とするアスワン教よりも筋が通っている。


 そうなんだよなぁ。


 全能なる善の神がいてそれが世界を創生したというのなら、どうして悪があり、闇の眷属なんかが存在し敵対しているのかという話だ。


 アスワン教はその問に対しては人を強くするための試練だと答えているが、皆本当はわかっている。それがただのおためごかし、言い訳だって。


 その点、根源神ヴァジュラマの教えは完璧だ。悪の神が世界を作った。争い事がお好きなヴァジュラマは敵対者、もしくは遊び相手として善や正義の存在を作り出したというのだ。


 そしてなぜ悪を標ぼうする神を人が信仰するかといえば、悪神ヴァジュラマは自身に従う者にはきちんと甘い汁を吸わせてくれるのだ。


 ヴァジュラマの信徒は争いを起こすことでヴァジュラマに娯楽を提供し、現世そして死後の世界で特別な地位を手に入れようとする連中だ。


 対価のないサービス労働を強いられることも少なくないアスワン教よりも恵まれた労働環境にいるといえる。


 正直勢力が拮抗していたなら迷わず俺もヴァジュラマに仕えている。だが現実にはアスワン教の勢力が圧倒している。皆、善とか正義が好きなんだね。


「争いでしか信仰を示せない野蛮人共だよ。」


 俺はヴァジュラマ教徒への妬み交じりにそう言った。


「なんだ。お頭じゃん!」


『お前も戦いを神に捧げているのではないのか?』


 俺の言葉に少女剣士だけでなくメルギドまでもが胡乱な目を向けてきた。心外だ。


「まさか。俺は愛と平和の創造神に仕えている。」


『フランシスコが愛と平和……。お前達は修羅の国から来たのか?』


「……。」


 メルギドの言葉に俺は言葉を失った。悔しいが返す言葉が見つからなかった。

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