第2章

第8話 未紗/シングリスマス

 うん、これなら大丈夫だと思う。多分、大丈夫。ようやく年末年始の作業に目途が立った。

「山田くん、この手順書ベースでいきましょ。大きな問題はなさそうだから後はこの手順書に従って本当に大丈夫なのかテストをしてみて。それで本番に臨みましょう」

 切り替え作業の当日はどうしてもタイムスケジュールが押しがちになるから作業に必要なバッチジョブは事前に準備して動作確認まで済ませておきたい。

「分かりました」

 山田くんの返事を確認して私は別の仕事に移る。


 山田くんは今年二年目の若手有望株。去年、チーフとなった私のところに新入社員として配属されてきた私の初めての部下。

 結構なイケメンで最初は嫌だなぁ、と思った。だって今まで周りからチヤホヤされてきているはずだから耐性が弱いのではないかと思ったから。

 ところが仕事を教え始めると何でも素直にやってくれるし覚えも早い。気遣いも出来る。

 色々な意味で優秀な新入社員を就けてもらった気がする。


 ただ、イケメンな新入社員が配属されて新たに問題も発生した。

 イケメン新入社員がいればそれなりに女子が集まってくるのは世の習わし。それまで全く集まることのなかった女子が私の周囲にウヨウヨと増えた。

 良くない社内の噂話も聞こえてきた。『あのチーフおんなに厳しくされて可哀想』という噂だ。別に厳しくした覚えもないけど私は社内での自分の評価を知っている。

 『冷凍ホイップ』というのが女子社員たちから陰で言われている私のあだ名。男を次々と乗り換えホイップている冷たい女だからと言うのがあだ名の理由らしい。

 正しくはWhipではなくTrade upやSwitchだろうけど、そんな事を彼女たちに言い返せば火に油を注ぐだけだ。

 それに乗り換えてるなんて心外だ。私はここ数年ずっと一人の恋人としか付き合っていないと言うのに。

 まっ、どう思われようと構わないけど。


 それにしてもこの二ヶ月間、急遽決まったこの年末年始の作業に掛かりきりだった。出来るのかさえ分からなかった新システムへの移行がこれで終わる。

 いや違うな。ここから新システムへの移行がようやく始まる。今回は入れ物と呼び水となるアプリケーションを準備するだけの話だ。


 今回、決まった老舗佃煮屋である片岡屋のシステム入れ替えの話は十月半ばに突然決まった。何でも夏に片岡屋で代替わりがあったらしく経営の若返りで新システムに移る決断を下したらしい。

 移行すること自体は会社が新体制になってすぐに決まったらしいが新たに導入する新システムがメインフレームであることを知って新社長はぶっ飛んだと聞いている。そりゃ、そうだよね。

 営業からは、レガシーからオープンへの移行なので私しか頼れないと言われて問答無用で私が技術担当に担ぎ上げられプロジェクトに組み込まれた。

 ただ、『社としてのお付き合いの度合いを考えると受注は厳しい』とも聞いていた。それが最終的なプレゼンでまさかの受注となり営業部門は嬉しい悲鳴を上げることとなった。


 新型のメインフレームを入れれば現在、稼働している全てのプログラムは完全に動作する。いわゆるアッパーコンパチブルだ。

 ところが、これをリナックスを主体としたサーバーに移行しようと思ったらアプリケーションの移行だけで数年は時間を浪費する。

 アプリケーションを自動で書き換える移行ツールも無いわけではないが移行ツールでコンバートされたアプリケーションが真面に動作する姿を私は一度も見たことがない。

 アプリケーションは一つずつ人手を掛けて人力で移行するしか手がない。


 その為に今回はリソースを食っている数本のアプリケーションの移行に留めてリソースを空けて現在のメインフレームを数年間だけ延命させ、延命させた貴重な時間を新たなアプリケーション開発に回して全面的な移行を行うという事にした。

 ところが最近ではメインフレームなんて知っている現場の人間は殆どいない。と、言うわけでメインフレームとサーバーの両方の知識がある私に白羽の矢が立ったという訳である。


 移行方式を検討するだけでなく最終プレゼンにも同席して技術的な質問に対する説明をした。プレゼンの中身的には華々しい内容はなく『愚直に真っ当な方法で頑張ります』という内容だったので、あれで受注したというのは聞いた時に私も正直驚いた。



「チーフ、もう十一時になりますよ」

 山田くんの言葉にPCの時計を確認すると十時五十二分だった。

 手順書作成の目途も立ったし今夜はもう帰ろうか。どうせアパートに帰れば日付は変わっているけど。

「今夜はここまでにして帰ろうか?」

「そうしましょうよ」

 うん、そうしよう! そうする! 決まり!

「よし、終わり」

 私は自分のPCの画面を閉じた。


 外に出ると空気が冷たかった。もう年末だからね。寒いのは当たり前。

「チーフ、今日ってクリスマスイブだったんですよ」

 クリスマスイブ? そうだった。本当ならば今頃、哲平と楽しいクリスマスを過ごしていたはずなのに年末年始に入ったお仕事のお陰で十月以降の予定が全部キャンセルになった。

 後で穴埋めしないといけないよなぁ。哲平も今回は期待してただろうし。


 腕時計を見ると十一時二十分を指している。上手くいっていれば今頃、この時刻には私は一生の思い出に残る初体験はじめてを経験して彼の腕枕でその余韻に浸っていたことだろう。

 もしかしたら激しい痛みだったかも知れないけど、それはそれで思い出だ。でも、それも急遽入った年末年始の仕事で全部吹き飛んだ。


 そう、私は未だに処女。男性を知らないまま三十歳になってしまった。

 勿論、ポリシーがあってこうなったのではないし『結婚までは奇麗な身体で』と思っている訳でもない。ただ、タイミングが合わなかったのと怖くて怖じ気づいていたら三十路に突入していたというだけの話。

 今回は良いタイミングだと思っていた。哲平に早くからそれとなく匂わせもしていたし、何ごともなく終わった夏が過ぎてすぐ位には密かに『今度のクリスマスには絶対!』と自分自身で覚悟も決めていた。

 それもこれも全てが年末年始の仕事の準備でキャンセルとなった。

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