第9話 未紗/言葉や動きに不自然さがない男は怪しい
「どこかで飯でも食っていきますか?」
駅に向かう道すがら並んで歩いている山田くんが言い出した。
十一時半にご飯かぁ。この深夜にご飯を食べるのは身体には絶対良くないけどお腹が空いているのも事実。だって、チョコレートバーだけしか食べてないもの。
「どこか当てでもある? この時間だからお酒以外のメニューだとやってる所は少ないわよ」
もうどっぷりとお酒タイムも終わりになる時間だからファストフード系のハンバーガーか牛丼屋になりそう。どっちも好きだけどね。
「渋谷ならこの時間でもご飯を食べられる洋食屋がありますけど……」
良いじゃない。
「そこに行こうよ。案内してよ」
私は手を上げてタクシーを止めて山田くんと二人で乗り込み渋谷へと向かった。
渋谷へ向かうタクシーの中はちょっと重い空気に包まれている。だって仕方ないじゃない! あんな事を言い出すんだもん。
山田くんが運転手さんに告げた行き先は『渋谷、道玄坂交番の十字路まで』だった。
な、何っ! と、私は山田くんの顔を見入ってしまった。
その界隈に何があるかくらいは私だって知っている。この午前零時になる時間帯にタクシーに乗った男女がそこら辺に向かう理由はただ一つしかない。
はっ、そうか。この男はこうやって何くわぬ顔をしてそこに行くのが当たり前のように女の子を連れ込んでいるんだ。女の子に不自由していない男にとってはそれが当たり前なのか言葉や動きに不自然さがない。
きっと、このタクシーを行きつけの建物の前で止めて、ドアが開いたところで私をそのまま建物の中に押し込む気なんだ。
そうはいかないわよ。
怪しまれないように山田くんの動きをコッソリ観察していると彼が頻繁にスマホを見ているのが分かった。時折、じっくりと読み入ってる気もする。
何を真剣に読んでいるんだろ?
メール? そうか、女の子たちからのメールだ。
今日はクリスマスイブだもん。きっと『今夜は君と過ごせなくて寂しいよ』とか歯の浮くようなセリフが書いてあるメールを彼方此方の女の子に出しまくっているに違いない。
窓から外を見るとタクシーは広尾から恵比寿に向かう明治通りを北に向かっているところだった。もうすぐ渋谷だ。
山田くんの指示でタクシーは渋谷駅の手前で
タクシーを降りた前に思っていたような
山田くんはタクシーを降りると脇の道をグングンと入って行った。私も慎重に後を追う。すると、すぐにホテルが幾つも現れた。
ほら、やっぱりね。
「こっちです」
山田くんが右の脇道へ入った後を恐る恐る付いて行ったらひときわ明るいライトが灯ったお洒落なウディー風の
「ここです」
へぇ、ホテル街から一歩入った所にこんなお洒落なお店があるだなんて誰も思わないわね。
そうか、女の子たちといつもこの辺りで遊び歩いているからこの男はこう言う脇道の奥にあるお店を知っているんだ。この遊び人が!
山田くんの後ろからお店の中へと入っていく。店内は外装と同じく木材が多く使われているログハウス風のインテリアだ。
店員さんに案内されて四人、頑張れば六人は座れそうな大きなテーブル席に座った。
「どうぞ、ここ何でも美味しいですよ」
山田くんがメニューを渡してくれた。
『何でも』という事は『何回も』来ているという事ね。何人と来たかまでは知らないし聞かないけど。
メニューにはハンバーグ、ステーキ、パスタ、オムライス等々の馴染みのある料理が並んでいる。
どれも美味しそう。何にしようかなぁ。
ん、これは何だろう?
私がメニューに見つけたのはグラタン。パスタグラタンと書かれている。トマトソース味のパスタをグラタン皿に盛って、その上からベシャメルソースをかけてオーブンで焼いたものらしい。
この時間にこれはかなり重い食事だけど美味しそうって思ちゃったから仕方ない。
「パスタグラタンにする」
「何か飲みますか?」
そうね、どうせタクシーで帰るしビールかワインでも……はっ! 読めた! これが彼の手なんだわ!
こうして自然に私にお酒を勧めて酔わせようとしているのよ。危なかった。
「ウーロン茶にしておくわ。料理が重めだからね」
私が彼の策に気付いた事を悟られないように可愛い目な言い方をした。
「じゃぁ、僕はダブルハンバーグとビールにします」
私は酔っ払わないから。一人で酔ってね。
それにしてもこの深夜にダブルハンバーグだなんて若いわねぇ。
ん、ダブルハンバーグ?
ははぁ、さては肉をたらふく食べてスタミナをつけておこうとしてるのね。この後は体力をタップリと使うつもりだろうから。
でも、そうはいかないわよ。君の考えていることは全てお見通しよ。全くもってこの男には油断ならないわ。
食事が終わった。料理は山田くんが言っていたように美味しかった。パスタグラタンってパスタもグラタンも食べた気分になれてお得感がある。お腹もいっぱいになったし。
ただ、良いお店を知ったけどこの場所は中々来難いものがある。誰かに教えても『どうしてこんな場所にある店を知っているんだ!』って思われちゃう。ましてや来た事があるなんて言おうものなら絶対に『やってる』と思われる。
山田くんはビールを飲んだので良い気分みたい。ホテル街を通り、さっきタクシーを降りた場所に戻る脇道を戻っていく。
何も仕掛けてこないわねえ。酔って忘れちゃったのかしら? それとも私を油断させる作戦?
あまり考えたくはないけれど『やっぱ止めた』じゃないわよね?
明るい店内でご飯を食べているうちに『よくよく考えたらやっぱ気の迷いだったわ。危なかったぁ』なんて思われていたらそれはそれでショックなんだけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます