その女、幽霊? それとも不審者?

釣舟草

深夜の散歩で起こされた

「幽霊、出ないねぇ……」


 深夜一時のどんぐり公園の駐車場で、美咲みさき真鶴まづるは退屈していた。免許取り立ての美咲の軽自動車の中には、新車特有の匂いが充満している。


「あたしは幽霊じゃなくて不審者だと思う。ふらふらと左右に揺れて歩くってことは、足があるわけでしょ? 日本の幽霊には足がないんだよ?」


 力説する美咲にスティックゼリーを渡しながら、助手席の真鶴はあくびを噛みころした。


  美咲の演説は続く。


「くるぶしまである白ワンピース姿でいつも現れるんでしょ? いかにも『ワレこそは幽霊でござい!』ってアピってるみたいじゃない?」


「ほら、でもまだ丑三つ時じゃないから……」


 真鶴が言い終わらないうちに、後部座席からイビキが聞こえ始める。

 蓮っ葉の六花りっかだ。


 美咲、真鶴、六花の三人は、小学校からの腐れ縁でつるんでいる。


「自分が言い出しっぺのくせに寝てるし」


 真鶴が自分のコートを六花に掛けてやりながら文句を言うと、美咲はなにを思ったのか、急にニヤついた。


「うちら、大学生にもなって肝試しとか、思えばガキのままだね」


「言えてる。あたしも眠くなってきたし……どうしよっか。帰る?」


「ここまで来て帰るの、悔しい。真鶴は寝てなよ。不審者が出てきたら起こすから。起こす間もなく車を走らせて逃げるかもだけど」


「〝不審者〟じゃなく〝幽霊〟ね」


 連日のバイト三昧で疲れ果てていた真鶴は、美咲の言葉に甘えて助手席で眠ることにした。



  ❀❀❀



「真鶴、真鶴、ねぇ、起きて!」と叩き起こされたとき、真鶴は公園のベンチに座っていた。


「え……?」


 寝ぼけて状況を把握できていない真鶴は、目をこすりながら周囲を見渡す。美咲と六花が血相を変えて、真鶴の顔を覗き込んでいる。


「……ふたりともどうしたの?」

「真鶴、憶えてないの?」


 美咲の顔が、いつになく強張っている。


「なにを?」


 逆質問する真鶴に、六花が「マジかよ……」と呟いた。不気味な生物を見るような目をして。


 ふたりの話はこうだ。


 深夜二時、美咲が寝ずの番をしていると、助手席で寝ていた真鶴がむっくと身体を起こした。「起きた?」と訊ねる美咲に答えず、真鶴は突然、助手席のドアを開けて外に出ていった。


「ちょっと真鶴、どこに行くの? そっちは池だよ」


 声をかけるも、真鶴は答えない。左右に揺れて、ふらふらと歩いていく。


 美咲の心に警鐘が鳴った。


 美咲は後部座席の六花を叩き起こすと、ふたりで真鶴を追いかけ、捕まえた。


「ねぇ、どうしたの?」

「なんとか言えよ、おい」


 美咲と六花の呼びかけが聞こえていない様子で、真鶴はふらふらと歩き続ける。このままでは池に落ちてしまう。


 美咲と六花が体を張って真鶴を止めると、真鶴は火事場の馬鹿力のような勢いで抵抗してくる。ふたりを振り切って、なんとしても池に向かいたいようなのだ。


 美咲と六花は真鶴の前後に立ち、力ずくで真鶴を押したり引っぱったりして、引きずるようにそばのベンチに座らせた。


 すると、これまでの抵抗が嘘のように、真鶴の四股はだらんと垂れ、動かなくなった。


「で、すぐに起こしたってわけだよ。なぁ真鶴、本当に記憶にないわけ?」


 ベンチの背あてにもたれかかり、六花が探偵のような面持ちで訊ねる。


「ごめん、憶えてない。……でも」


 真鶴は少し口籠もり、決心したように続けた。


「あたし、じつは夢遊病なんだ。ベッドで寝たはずなのに、朝起きたらリビングのソファにいたり、パパの車の中にいたりする日があって。まさか家の敷地の外まで出歩いてるとは思わなかったけど……」


 美咲と六花は言葉を失い、しばしの沈黙が流れた。

 柳を揺らす風音が、この沈黙を強調するように耳を打つ。


「なにそれ、初めて聞くんだけど」

「うちも」


 見えない棘を含む語調のふたりに、真鶴は小さくなって「ごめん」と謝る。


「いや、言いにくいことだろうし、別にいいけどさ」


 別にいい、と言いながら、六花は明らかに機嫌を損ねている。


「じゃあ、幽霊の正体は真鶴だったってこと?」


 不安げな視線を投げてくる美咲に、真鶴は困ったような笑顔で「そうみたい」と応える。


「くるぶしまである白ワンピース……たぶん、ネグリジェだ。正確にはクリーム色とかパステルピンクとか種類があるけど」


「街灯の下じゃ全部白に見えるってわけか……」


 納得した六花が頷いた。


「あたし、夢遊病のことを調べたことあるんだ。異常行動はノンレム睡眠のときに発現するから、起こそうとしたら癇癪を起こしたり暴れたりするらしい。だから筋は通ってるよ」


「なんで六花が夢遊病のこと調べてんの?」


 今度は真鶴が訊ねる番だ。


 すると、なぜか六花はみるみる顔を赤くし、そっぽを向いてしまった。


「え? やだ、隠し事?」

「さっきは真鶴のこと不満そうだったくせに?」

「あ、わかった。男だ、男。」

「ああ、夢遊病の人と付き合い始めたとか?」

「ちげぇ! そんなんじゃないから!」


 ふたりに詰められて逃げ場を失くした六花は、そっぽを向いたままぼそっと呟いた。


「そりゃあさ……み……つをさ……るから……」

「え? なに?」

「聞こえない」


 六花は観念して怒鳴った。


「ミステリー小説を書いてるから! それで調べたんだよ!」

「へ? 六花が小説を?」


 青天の霹靂で、美咲も真鶴もキョトンと顔を見合わせた。


「六花ってミステリー好きだったっけ」

「漫画読んでるのしか見たことないけど」

 

 六花は「うるさいなぁ」と頭を掻く。


「高校のときにドハマりしたんだよ。だいぶ読んだよ。江戸川乱歩だろ? コナン・ドイルだろ? アガサ・クリスティーだろ? こいつらの小説はおおかた読んだ」


「凄ぉい! 六花が読書家になってるなんて、知らなかった!」

「ねぇ、六花の小説、今度読ませてよ!」

「うっせぇ、誰が読ませるか!」


 ベンチ上の街灯が照らし出す三人の乙女は、深夜の静謐をこれでもかというくらい引っ掻き回して笑い合う。


 時計は、午前三時を指している。


「さ、そろそろ帰ろっか」


 立ち上がる美咲に、真鶴と六花も続く。





 そのとき。





 美咲の笑顔が硬直する。


 瞳からみるみるうちに光が失われ、口は半開きに。その唇は恐怖にわなないている。


「あ……あれ……」


 美咲の視線の先を振り返った真鶴と六花も、次の瞬間、全身の毛が逆立った。


「嘘だろ……どうして池の上に立てるんだ……」


 六花の戦慄する声が、恐怖をさらに掻き立てる。


 長い黒髪の女だ。


 くるぶしまである白ワンピースの女が、まるで池に氷でも張られているかのように立っている。


 右に、左に、また右に。


 不安定に揺れ動きながら、はゆっくりと近づいてくる。


 三人は我を忘れて絶叫し、一目散に車へ駆けると、脇目も振らずに飛び乗って公園をあとにした。



    ❀❀❀



 誰もいなくなった公園に風は吹き、柳が揺れる。


 女の幽霊はしばらく辺りを歩き回ったあと、白みはじめた空の中に姿を消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その女、幽霊? それとも不審者? 釣舟草 @TSURIFUNESO

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ