ネゴシエーション

 三人は、通路を進んでいく。

 先頭を行く上松は、進むにつれ若干ではあるが不安そうな表情になっていった。やがて、通路は右方向に折れる。上松は、何の気なしに進んでいった。

 そこで井上が声を発する。


「上松、そこで止まれ」


「どうしたんだ?」


 上松が聞くと、井上は後ろを振り返りつつ答えた。


「俺たち以外の足音が聞こえるんだよ」


「ほ、本当?」


 蘭が不安そうに尋ねると、井上は頷いた。


「ああ。仕方ねえから、そこで待ち伏せてやろう」


 言いながら、曲がり角を指さす。

 三人は、角の部分でしゃがみ込んだ。息を潜め、後を追って来ている何者かを待つ。だが、来る気配がない。足音も、ぴたりと止んだ。


「クソ、向こうも待ち伏せを警戒してるらしいな。ならば、試してみるか」


 直後、井上は通路に呼びかける──


「おい、誰かいるのか?」


 ややあって、声が聞こえてきた。


「いたら、どうするというのだ?」


 野太い声だった。かなり年配の男のものと思われる。井上は答えた。


「ハンターに付いて来られるのは迷惑だ。失せろ、でないと殺す」


「嫌だね。それに、俺はハンターではない。ただ、ここを出たいだけだ」


 その返事に、井上はチッと舌打ちした。背負っていたリュックをおろし、再び声をかける。


「ひとつ言っておく。俺たちの後を付け回す気なら殺す。だがな、リタイアなら協力できるぞ」


「どういう意味だ?」


 そこで、井上はリュックを放り投げた。リュックは、通路にどさりと落ちる。


「そのリュックには、生首がひとつ入ってる。間違いなく参加者のものだ」


 そう、今投げたリュックには生首が入っていた。リピーターである宮村の持っていたものだ。井上は、それをリュックに入れたまま今まで持ち歩いていたのである。


「何が言いたい? はっきり言え」


「簡単さ。俺の持っている首をやるよ。その代わり、ここから引き返せってことだ。リタイアルームが、すぐそこにあるのは知ってるだろ」


「首ひとつでは、リタイアは出来ない。それはわかっているな?」


「ああ、わかってる。けどな、あんたは首をひとつは持っている。違うか?」


 井上の問いに、相手は黙り込む。

 少しの間を置き、聞き返してきた。


「なぜ、そう思う?」


「参加者は全部で十一人だ。俺たちはハンターをふたり殺したが、そのハンターは参加者をひとりずつ、計ふたり仕留めている。さらに、襲いかかってきた参加者ふたりを返り討ちにした。その後、トラップで死んだ参加者の死体をひとつ見つけた。これで、死んだ参加者は五人だ。生き残っている参加者は、ここに俺を含め三人いる。残りは他に三人、計六人いるはずだ」


 そこで、井上は言葉を切る。向こうから何か反応があるか窺ったが、無言のままだ。

 ややあって、井上は再び語り出した。


「ところが、さっきの放送では残りが五人だと言っていた。これはハンターの仕業じゃない。つまり、参加者の誰かがひとり殺した可能性が高い……その誰かが、あんたじゃないかと思うわけだよ」


 その時、ようやく声が聞こえてきた。


「その推理は当たりだ。大したものだな」


「なあ、俺は拳銃も持っている。おまけに、こっちにはあとふたりいる。俺たち三人を仕留めるのは、まず無理だぜ。返り討ちにあうのがオチだ。なら、ここで首ふたつ持ってリタイアを狙った方が得だろ」


「で、お前たちはどうする気だ?」


「俺たちは、先に進んでみるよ。何が待っているのか、この目で見てみたいんだ。だがな、あんたを連れてく余裕はねえし、連れて行きたくもねえ。付いてくるなら殺す」


「そういうことか。だったら、俺はリタイアさせてもらおう。お前らと違い、もう若くないのでな」


 言った後、リュックを拾う気配がした。さらに、足音も聞こえる。足音は、徐々に小さくなっていった。

 すると、井上がふたりの方を向く。


「どうやら、いなくなったらしい。先を急ごう」




 三人は、通路に沿って進んでいった。上松の顔色は、さらに悪くなっている。だが、何も言わず進んでいった。

 しばらく進むと、通路は行き止まりになっている。だが、その左右の壁には扉が付いている。先ほどの、コモドオオトカゲがいたトラップルームがあった場所と同じ構造なのだ。


「なんだここは?」


 井上が尋ねると、上松が右側の部屋を指さした。


「こっちは、またリタイアルームだよ。首ふたつあれば、ここがゴールだったのかもしれない」


 次に、左側の扉を指さす。


「こっちが、出口に通じているはずだ」


「そうか……だったら、先を急ごう」


 井上が言った時だった。突然、この世のものとも思えぬ声が聞こえてきた──


「ウエエェェイ! ひとり片付いたぜ! 待ってろよ!」 


 ・・・


 その少し前。

 白川は、生首ふたつが入ったリュックを背に、来た道を戻っていた。扉を開け、先ほど通ってきた部屋に戻る。

 だが、そこには先客がいた。上半身裸で、黒髪を肩まで伸ばした男だ。コモドオオトカゲの死体のそばにしゃがみ込むと、尻尾を指でつついている。

 この男、ハンターの三又軍平であった。 


「可哀想なトカゲちゃん。こんなにボコボコにされちまって、哀れな話だね」


 そんなことを呟く三又を睨みながら、白川は口を開く。


「お前はハンターか?」


「そうだよ。このトカゲちゃんをやったのは、お前か?」


「いいや、違う」


「そっか。まあ、どっちでもいいや。どうせ殺すんだからよ」


 そう言うと、三又はすっと立ち上がった。

 白川は、クロスボウを構える。だが、三又に止まる気配はない。ヘラヘラ笑いながら近づいて来るのだ。こちらに向けられているクロスボウに怯む気配はない。

 舌打ちの直後、白川はクロスボウを射った。矢は、高速で飛んでいく。一瞬で、三又の体を貫く……はずだった。

 ところが、信じられないことが起きる。三又は、ひょいと体の向きを変えた……ようにしか見えなかった。その横を、矢が素通りしていったのだ──

 クロスボウから放たれた矢は、時速二百キロを超えると言われている。プロボクサーのパンチよりも、遥かに速いスピードだ。どんな武術の達人であろうと、至近距離から放たれた矢を躱すことなど不可能である。

 ところが三又ほ、薄ら笑いを浮かべたまま避けてしまったのだ。しかも、体を僅かに傾けただけである。人間には、有りえない反応速度だ。

 白川は、信じられないという表情で目を見張る。だが、それは一瞬であった。すぐさまクロスボウを投げつける。

 三又は平然としている。何の苦もなく、己めがけ投げられたクロスボウを払いのけた。だが、その足に鎖が絡まる。

 直後、鎖が思いきり引かれた──

 白川は、一瞬で武器を持ち替えたのだ。クロスボウを投げつけた直後、得物を鎖鎌に持ち替え分銅付きの鎖を放つ。鎖は、見事に三又の足首に巻き付いた。そのまま、グイッと引っ張る──

 常人ならば、ここでバランスを失い転倒していただろう。だが、三又は倒れなかった。片足のまま、ピョンピョン飛び跳ねているのだ。


「ヒョヒョウ! たーのしいねえぇ!」


 奇怪な叫び声をあげ、片足で飛び跳ねながら白川へと接近してくる。その様は、悪夢に登場する魔物のようだ。

 白川は顔を歪めた。相手が、想像を絶する化け物であることを理解したのだ、

 それでも、ここで逃げるわけにはいかない。戦うしかないのだ。右手で鎖を掴んだまま、鎌を手に徐々に距離を詰めていく──


「シャオラー! やる気になったかい!」


 奇声を発した三又は、ハグでもするかのように両手をあげた。顔には、満面の笑みが浮かんでいる。

 対照的に、白川の表情は険しい。近づいてきた狂気のハンターを睨みながら、鎌を振り上げる。が、これはフェイントだった。そこで、掴んでいた鎖を離す。と同時に、左の横蹴りを放った。三又の右膝めがけ、鋭い蹴りが飛んでいく。

 この関節蹴りが当たれば、当然ながら膝は無事では済まない。タイミングによっては、一撃で膝関節を砕くことも可能だ。そうなった場合、立っていることは出来ない。

 だが、ここでも三又は人間離れした動きを見せる。放たれた関節蹴りを、高く飛び上がって躱したのだ。

 直後、白川の顔面に蹴りが飛ぶ。三又は片足だけで跳躍し、飛び蹴りを放ったのである。無茶苦茶な動きだ。

 さすがの白川も、この動きは予想していなかった。強烈な蹴りが、顔面へと飛んでくる。若い頃ならば、咄嗟に避けられていたのかもしれない。だが、今の白川は現役当時のような反射神経はなかった。

 三又の足裏が、白川の顔面を捉える。次の瞬間、口から砕けた前歯を吹き出しながら、どうと倒れた──

 それを見た三又は、まず足首から鎖を外す。次に白川のそばに近づき、その場でしゃがみ込んだ。


「お前、なかなか手強い奴だった。死ぬ前に、一言だけ聞いてやろう。何か言いたいことはあるか?」


 その言葉に、白川は口を開こうとした。だが、ゴボッと血を吐く。歯が折れ血が逆流し気管につまり、上手く言葉を出すことが出来ない。

 すると、三又はブンブンと首を横に振った。


「やれやれ、申し訳ないが時間切れだ」


 言った後、すっと立ち上がる。

 次の瞬間、足が飛んできた。強烈な踏みつけにより首が折れ、白川は即死した。

 直後、三又は扉を開けた。凄まじい勢いで走り出す。走りながら、上を向いて叫ぶ──


「ウエエェェイ! ひとり片付いたぜ! 待ってろよ!」 


 ・・・


 三又の声は、離れた井上たちのところまで届いていた。井上は、険しい表情を浮かべ立ち止まる。


「クソ、あのジジイ殺られたか。こうなったら、仕方ないな」


 ひとり言のように呟くと、いきなり蘭の腕を掴んだ。そのまま引き寄せる。

 そっと彼女を抱きしめると、耳元で囁いた。


「お前らふたりは、先に行け。俺は、あいつを足止めする」

 

「ちょっと待ってよ……何を行ってるの?」


「いいから、行け」


 言った直後、井上は蘭を突き放した。しかし、蘭は立ち去ろうとしない。それどころか、彼に向かい叫ぶ。


「待ってよ! 三人がかりで行けば、勝てるかも知れないじゃん!」


 だが、井上はかぶりを振った。


「いや、駄目だ。あいつはマジでヤバそうだ。さっきの放送でも言ってたろ、最強のハンターだって。三人残ったところで、全滅させられるかもしれねえ。全滅したら、なんにもならねえんだよ。ここは、俺が行く。いざとなったら、俺が奴を道連れにする」


 そこで、井上は微笑む。


「だから、お前は上松と一緒に行くんだ。ここに三人残って戦った挙げ句に全滅したら、なんのためにここまで来たのかわからねえだろ。そこんとこを、よく考えろ」


「そ、そうだよ。井上の言う通りだ。早く行こうぜ」


 上松も、そんなことを言いながら彼女の腕を引いた。蘭は、きっとなって上松を睨む。だが、その時に奇怪な声が聞こえてきた。


「ウォウウォウ、待っててねえぇぇ! 今、行っちゃうよおぉぉ!」


 先ほど言葉を交わした男の声ではない。間違いなくハンターのものだ。それも、かなり近い位置まで来ている。

 井上は、凄まじい形相で怒鳴りつけた。


「ほら、早く行け! 後のことは頼んだぞ!」


 しかし、蘭はかぶりを振る。


「待ってよ!」


 言いながら、井上の腕を掴む。だが、井上は乱暴に振り払った。


「仕方ねえ奴だな。こいつを見ろ」


 直後、右足の裾をまくりあげた。途端に、醜い傷痕があらわになる。傷口もさることながら、周りの肌も黒ずんでいるのだ。


弾丸た まを節約するため接近戦をやらかしたら、この様だ。あのトカゲは、牙に毒がある。そいつを食らっちまった。もう少ししたら、俺は歩くことすら出来なくなるかもしれない。動ける間に、あいつの足止めをしたいんだ」

 

 井上は淡々と語る。

 コモドオオトカゲという生物と相対した時、何より怖いのは毒だ。噛まれると、歯から体内に毒が注入される。結果、全身を侵されてしまうのだ。コモドオオトカゲは、その毒により命を落とした獲物を食らうのである。しかも、口の中には大量の雑菌がいる。毒に加え、その雑菌もまた傷口を侵す。小さな傷でも、致命傷になり得るのだ。

 井上は、コモドオオトカゲを仕留めた。しかし、戦っている最中にトカゲの歯により足を傷つけられていたのだ。今まで、その事実をずっと隠していた……。

 傷痕を見た蘭は、わなわなと震え出した。井上を見上げ、何か言おうとする。だが、井上は彼女から目を逸らした。

 同時に叫ぶ──


「上松! 蘭を早く連れて行け!」


「わ、わかった」


 答えた上松は、蘭の腕を掴んだ。力ずくで引いていく。蘭は、泣きそうな顔でじっとこちらを見ていた。

 井上も、じっと蘭を見つめる。その顔には、笑みが浮かんでいた。


「元気でな」


 そっと呟くと、すぐに向きを変える。彼女に背を向け、やがて現れるはずの敵を待った。


 ・・・・


 直島と安藤も、その一部始終をモニター越しに観ていた。


「驚きました。白川が、あんなにも呆気なく殺られるとは……」


 驚きの声をあげる直島に、安藤ほ平静な声で応じる。


「そうだね。武術家といえど、三又には勝てなかった。井上も、同じ最期を迎える可能性が高いね。それにしても、ここで井上がひとり残るとは……予想外だったよ。あの男、冬月に本気で恋してしまったのかな」


「そうかもしれないですね。これは意外でした。となると、一番人気の井上もここで脱落でしょうかね」


 直島が残念そうに言うと、モニター越しに笑い声が聞こえてきた。


「君の推薦した井上も、最後に甘さを露呈したか。こうなると、結末はどちらだろうね。上松が生き残るか、冬月が生き残るか」


「あるいは、三又が残り全員を仕留めるかもしれませんね」




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