ラストバトル

 やがて、ハンターが姿を現した──

 井上はこれまで、海外で様々な人間を見てきた。犯罪者、マフィア、殺し屋、傭兵などなど……。

 そんな井上の目から見ても、この三又は異様な風貌の男であった。頬は異常にこけており、目つきは鋭く奇妙な光を放っている。瞳の下には隈が出来ており、数日間寝ていないような雰囲気だ。鼻は潰れており、唇は曲がっている。思考や性格の歪みが、そのまま顔に現れているのかもしれない。

 裸の上半身には、余分な脂肪はほとんど付いていない。手足は長く、両方の上腕にはケロイド状の傷痕が大量に付いている。おそらく、同じ場所に何度も注射をし続けたことによるものだろう。井上は海外にいた時、こんな腕をしたヤク中を大勢みてきた。

 身長は百七十センチ前後、体重も七十キロないくらいだろう。井上と比べれば、体格的には明らかに見劣りしている。にもかかわらず、全身から放たれる何かが、彼をより巨大なものへと錯覚させていた。

 この男こそ、最強のハンター三又軍平である。井上を見るなり、楽しそうな表情で口を開いた。


「ああ、確かあと三人残っていると聞いたな。で、お前を殺せば……えーっと、三ひく二で、残りはひとりか」


 とぼけた口調だった。先ほど、人をひとり殺してのけた男と同一人物とは思えない。


「お前は何を言っているんだ。残ってるのは三人で、ここにいるのは俺ひとり。つまり、三ひく一だよ。引き算も出来ねえアホなのか」


 井上がそう言うと、相手は目を丸くした。


「あ! そっか! お前はひとりしかいねえから、三ひく一か! そうだった! そうだった!」


 真顔でそんなことを言う三又に、井上は思わず顔をしかめていた。この男、何もかもがおかしい。常識がまるきり通じない男だ。薬物のせいで、おかしくなっているらしい。

 しかし、コカインやヘロインのような薬物でおかしくなっている男とも、また違う空気を放っている。この男、何もかもが異質だ──

 その異質な男は、いきなり首をぐるぐる回しだした。


「あとふたりも残ってるのか。面倒くせえから、パパッと終わらそうぜ」


「そりゃ無理だ。お前は、ここでくたばるんだよ!」


 怒鳴ると同時に、井上は鉄棒を振り上げた。

 全身の力を込め、一気にブンと振り回す。棒は空気を切り裂くような音を立て、三又の顔面めがけて打ち込まれる。まともに当たれば、確実に勝敗は決していただろう。

 しかし、三又には当たらなかった。その場でパッとしゃがみ込むと、頭上を鉄棒が通過していく。

 直後、今度は三又が動く。しゃがみ込んだ体勢から、真上に向けて蹴りを放ったのだ。サッカーのオーバーヘッドキックのような蹴りが、井上の腕を捉えた。

 井上の口から声が漏れる。ほぼ同時に、鉄棒が手から落ちていった。三又が放った一発の蹴りで、右腕が折れてしまったのだ。

 しかも、三又はさらに動き続けている。足を着地させた瞬間、勢いをそのままに飛び上がった。

 井上の顔面に、強烈の飛び回し蹴りが炸裂する。その衝撃力は尋常なものではなかった。さすがの井上も、耐えきれずにバタリと倒れた。


「これで左の上腕骨が骨折! そして、頬骨と前歯もイカれた!」


 着地と同時に、ガッツポーズをしながら吠える三又。

 井上の方は、口から歯の欠片を吐き出しながら立ち上がる。折れた右腕を押さえながら、三又を睨んだ。だが、突然くるりと背中を向ける。

 次の瞬間、逃げ出したのだ──


「おいおい逃げんのかよ。つまんねえ奴だなあ」


 三又の言葉を無視し、井上は走っていく。脇目も振らず通路を進んだかと思うと、いきなり扉を開け中へと飛び込む。

 そこはリタイアルームである。何もない空っぽの部屋だ。ここに入れば、もはや逃げ場はない。恐怖のあまり錯乱したのか──

 井上の無様な姿を見て、三又はヘラヘラ笑いながら扉に手をかける。


「駄目よ駄目駄目駄目なのよん。逃してあげないから。リタイアさせてもらえると思ってんのかあぁぁい! 無理無理無理!」


 ふざけた口調で言いながら、中へと入っていく。三又も、このリタイアルームには他に出口がないことはわかっている。井上は、完全に袋のネズミ状態だ。

 その井上は、壁にもたれかかり荒い息を吐いている。折れた右腕を左手で押さえながら、三又を睨んでいた。

 

「さあて、とどめ刺しちゃうよん!」


 叫んだ直後、三又はおもむろに歩き出した。何のためらいもなく。スタスタと歩いて近づいて来たのだ。

 井上は、ギリリと奥歯を噛みしめる。このハンターは、自分を全く恐れていない。勝利を確信しきっているのだ。

 

「クソがぉ! ナメんじゃねえ!」


 怒鳴ると同時に、井上の左足が動いた。鋭い前蹴りが、三又めがけて放たれる。

 三又は薄ら笑いを浮かべたまま、即座に反応した。飛んできた前蹴りを、パッと横に動いて躱した。この男ほ、全身の力を常に脱力させている状態なのだ。そのため、余分な力みがない。水のように自在に、動きや体勢を変化させられるのだ。

 同時に、両者の間合いは一気に縮まる。三又の振り回すようなパンチが、井上の腹に炸裂した。

 息がつまるような衝撃を受け、井上は呻いた。だが、三又の攻撃は続く。次は、顔面めがけて拳を放った──

 三又の拳は、井上の顔面に炸裂した。だが、同時に井上の手も伸びる。

 次の瞬間、井上の手が三又の首を掴んでいた。相撲で言う喉輪のどわの形である。そう、井上はこの瞬間を待っていたのだ。掴んでしまえば、自分の方がパワーは上のはず。このチャンスを活かすしかない。


「この野郎! くたばれ!」


 喚くと同時に、三又の体を壁へと叩きつける。背中と後頭部をまともに打ち、最強のハンターはうめき声をあげた。常人が相手なら、この時点で勝敗が決していたかもしれない。

 だが、三又も普通ではなかった。後頭部をしたたかに打ちながらも、彼の足が放たれていたのだ。爪先での蹴りが、井上の鳩尾みぞおちに突き刺そる。

 息がつまるような衝撃を覚え、井上は呻いた。同時に、首を掴んでいる手が緩む。

 直後、三又はするりと抜け出した。飛び上がり、強烈な頭突きを叩き込む──

 全体重を乗せた額の一撃が、まともに顔面に入った。井上は鼻骨と前歯を砕かれ、仰向けに倒れる。

 三又は、その場でダンスのようなステップを踏みながら、倒れている井上を見下ろす。

 不意にしゃがみ込むと、ニヤリと笑った。


「お前、なかなか面白い奴だったぜ。そんなお前に敬意を表し、最期の言葉を聞いてやろう。さあ、何か言ってみろ」


 すると、井上の唇が動く。


「お前、レオンって映画を観たことあるが?」


 小さな声だった。同時に、ゆっくりと左手が上がる。腕はプルプル震えており、何かを握りしめていた、

 しかし、三又は気にも止めていないらしい。思い切り首を傾げて見せる。


「はあ? んなもん観たことねえよ。そんなしょうもねえのが、最後の言葉か?」


「そうだ。俺はな、あの映画が大好きなんだよ。特に、スタンスフィールドってアホの死に様がな……」


 言いながら、握りしめた左手をパッと開く。

 それは、ピンを外された手榴弾だった。井上の手に、しっかりと握られていたのだ。

 三又は、井上が何をしようとしているか瞬時に察した。同時に、己がハメられたことも悟る──


「この、クソッタレがあぁ!」 


 吠えると同時に、素早く飛び退こうとした。だが、動けない。いつの間にか、井上の右手が三又のズボンの裾を掴んでいたのだ。腕が折れ激痛が走る状態のはずなのに、ズボンの裾を掴み離さない。

 しかも、その間にも手榴弾は落ちていく。床へと落下していく手榴弾を見ながら、井上はニヤリと笑う。


「へっ、ざまあみろ。蘭、後は頼んだぜ……」


 直後、手榴弾は爆発した──

 三又は、まともに爆発に巻き込まれる。当然ながら、無事で済むはずがない。不死身と恐れられた男も、ついに絶命した。

 井上もまた、無事では済まなかった。言うまでもなく、三又とともに命を落とす。もっとも、死ぬ間際の両者には大きな隔たりがある。

 死を目前にした時の三又は、ひどく無様な顔をしていた。何人もの人間の命を奪い、何者をも恐れていなかったはずの最強のハンターが、いざ己の死を間近にした時、顔を醜く歪め怯えていたのだ。醜い表情で、少しでも手榴弾から離れようともがいている体勢で死んでいった。

 一方、死を目前にした井上の顔は、とても満足げであった。重要な仕事をやり遂げた……そんな表情を浮かべ、笑いながら死んでいった。


 ・・・


 両者の最後は、しっかりカメラに収められていた。直島と安藤は、ふたりの最期を見届ける形となったのだ。


「いやあ、驚いたねえ。井上が、あんな手段に出るとは思わなかったよ」


 タブレットから聞こえてくる安藤の声には、なにがしかの感情がこもっていた。裏社会の大物といえど、あの死に様に何かしら心動かされるものがあったらしい。

 対照的に、直島の表情は暗い。手榴弾の爆発により、井上と三又の体は原型を留めていない状態だった、そんな両者を見て、気分が悪くなったのだろうか。

 突然、直島が立ち上がった。


「すみません。ちょっとトイレ行ってきます」


 タブレットに向かい早口で言った彼を見て、安藤はくすりと笑った。


「おいおい、もったいないことをするね。冬月と上松、最後にどちらが生き残るか……ここからが、見どころじゃないか」


 そう言ったが、直島は言葉の途中で顔を押さえていた。よほど気分が悪いのか、慌ただしい勢いで部屋を出ていく。

 安藤は、溜息を吐いた。


「残念だな。彼もしょせんは、ここまでの人間なのか。見どころがあるかと思ったのだが……」



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