ダブルトラップ

 爆音は、離れた蘭の耳にも聞こえていた。

 それが耳に届いた瞬間、彼女はその場に崩れ落ちる。一瞬の間を置き、目から涙が溢れ落ちた。涙は次々と流れていき、床を濡らしていく。口からは嗚咽の声を漏らし、体を震わせている。全身で悲しむ姿は、あまりにも痛々しいものだった。まともな人間なら、誰しもが慰めの言葉をかけたくなるだろう。

 しかし、上松にそんな人間らしい気持ちはないらしい。おもむろに彼女の腕を掴み、無理やり立ちおがらせる。


「おい、先を急ぐぞ」


 だが彼女は、手を振り払い怒鳴りつけた。


「待ってよ! 正樹が生きてるかもしれないんだ! 待っててやらなきゃ!」


 すると、上松の表情が変わる。怒りの感情が、顔にはっきりと現れていた。


「俺はな、早くしろって言ってんだよ! 聞こえねえのかよ!」


 吠えた直後、いきなり拳を振るう。拳は、蘭の頬に炸裂した。彼女は、またしても崩れ落ちる。

 倒れた蘭を、上松はじっと見下ろしていた。実のところ、今すぐにでも彼女を殺したい気分なのである。どうせ、最後に待つ扉から出られるのは、ひとりだけなのだ。

 しかし、そうするわけにはいかない事情がある。もう少し、この女と行動を共にしなくてはならない。上松は、すっとしゃがみ込んだ。その顔には、優しげな表情が浮かんでいる。


「なあ、落ち着いて聞いてくれ。あとはクリアするだけなんだよ。ゴールは、もう少しだ。殴ったのは悪かった。だから、早く行こうぜ。もしかしたら、あのハンターが生きてるかもしれない。そしたら、俺たち全員ここで死ぬ。そんなのは、井上だって望んじゃいないはずだぜ」


 顔ばかりでなく、口調も優しく語りかける。

 この男にはDV癖があった。付きあった女性が自分に逆らった場合、まずは殴る。その後は、優しい言葉をかけてフォローするのだ。場合によっては、泣きながら土下座しつつ謝罪することもある。

 相手にしてみれば「殴られる」という非日常の体験により精神的に混乱している時、優しい言葉をかけられれば心が動いてしまう。いわば、意図的に吊り橋効果を演出しているのだ。ストックホルム症候群と呼ばれる状態とも、共通する部分がある。

 しかも上松の場合、泣きながら土下座し「俺はどうしようもないクズだ!」などと叫ぶ……そんな姿を見せることで、何人もの女性を洗脳に近い状態に陥れてきた。

 今も、その手口で蘭に言うことをきかせようとしていた。


「冬月ちゃん、頼む。な、この通りだ」


 そう言うと、上松はその墓に這いつくばった。額を床に擦り付ける。土下座のポーズだ。この男、必要とあらば土下座でも何でもする。力ずくで引きずっていくことも出来ないことはないが、そうなると余計な時間がかかる。

 上松は、頭の中でさもしく計算していた。井上とハンターが共倒れになっていてくれるのが理想だが、どちらかが生きていて、後を追って来られたらマズい。

 ならば、土下座でも何でもして蘭の気持ちを変えさせる。それで駄目なら、力ずくで引きずっていくしかない。

 しかし、蘭は素直に頷いた。


「そうだね。あんたの言う通りだよ」


 答えると、彼女は歩き出した。上松も、慌てて後を追う。




 やがて、ふたりは立ち止まった。通彼らの前には壁があり、進めなくなっている。

 一見すると袋小路のようだが、突き当たりの壁は鉄製である。壁の真ん中には切れ目がある。大型エレベーターに設置されている両開きドアのような形状だ。

 さらに、ドアの左右に位置する壁には、それぞれ手型が付いている。なんとも異様な光景だ。

 すると、上松が口を開く。


「ここは、ふたりの人間が協力しないと開かないんだ。ふたりの手を、ここに当てなきゃならないんだよ。そうすれば、この扉は開く」


「わかった」


 蘭は頷いた。

 ふたりは、両端に分かれる。上松が、右の壁に設置された手型に右の手のひらを当てる。蘭は、左の壁に設置された手型に左の手のひらを当てた。

 一秒後、扉が音を立てて開いていく。これまでのものと違い、鉄板が真ん中から分かれて左右の壁へと収納されていくタイプだ。

 見る見るうちに、隙間は大きくなっていった。やがて、人が通れるほどのスペースが空いた時、予想外のことが起きる。突然、蘭が動いたのだ。手型から手を抜いたかと思うと、扉の向こう側へと走り出す。

 突然のことに、上松は呆気にとられる。だが、彼女の行動が何をもたらすか、すぐに気づいたらしい。


「おい! ちょっと待てよ!」


 叫ぶと同時に、上松も走り出す。万が一、自分よりも先に部屋に入ってしまったらどうなるか……もしかしたら、殺し合いをさせる前に、あの女を出してしまうかもしれない──

 上松は、走りながら隠し持っていた得物を出す。隠しておいた大腿骨だ。棍棒の代わりにはなるだろう。

 こうなった以上、もはや演技をする必要はない。蘭の協力が必要なのは、先ほどの扉までだ。ここから先は、ひとりでも問題ない。ならば、今すぐに殺してしまっても構わない。あんな女を殺すには、一撃で充分のはずだ──

 両者の距離は、どんどん縮まっていく。と、蘭がピタリと止まった。パッと振り向く。 

 その途端に、上松の動きも止まった。蘭は、拳銃を構えていたのだ。確かに、井上が持っていたはずのものである。いつの間に渡されていたのか。

 上松は、思わず後ずさる。その時、思い出したことがあった。ほんの十分ほど前、井上がこの女を引き寄せたのだ。


(お前らふたりは、先に行け。俺は、あいつを足止めする)


 あの時だ。井上は、抱き締めながら拳銃を渡していたのだ。こうなることを予期していたのか。

 いや、そんなことはどうでもいい。まずは、拳銃を降ろさせなくては──


「お、おい、お前は何を考えてるんだよ。さっきのこと、怒ってんのか? だったら謝るよ。なあ、俺たちが戦う必要はないんだ。だから落ち着けよ」


 ヘラヘラ笑いながら、どうにかなだめようと試みる。しかし、蘭は拳銃を降ろさない。


「あんた、さっきあたしを殴ったよね。それにさ、何よそれ? 今度は、その棒であたしを殴る気?」


 静かな声で言いながら、上松を睨みつける。その目からは、本物の殺意を放っていた。手にした拳銃は、彼に向けられたままだ。逸らされる気配はない。


「ち、違うよ。誤解だ。これはな、万一に備えて持ってたんだよ」


 上松は苦しい言い訳をしつつ、大腿骨を投げ捨てた。怯えた表情で後ずさる。この女、本気で俺を殺す気なのか? いや、有りえない話だ。この女に、人を殺せるはずがない。だが、このままだと銃が暴発するかもしれないのだ。

 こうなったら、なだめすかして隙が生まれるのを待つしかない。上松は、両手をあげた。


「そ、そんな……あれは仕方なかったんだよ。あんただって、わかるよな? 急がないと、他のハンターが来るかもしれねえし……そ、そりゃ、殴ったのほ悪かったよ。でも仕方なかったんだ」


 早口で喋る。何とかして丸め込むのだ。この女は、殺しには慣れていないだろう。それに、今までのやり取りから、甘さも消えていないことはわかっている。どうにか気持ちを変えさせれば、隙は生まれるはず──

 しかし、蘭の気持ちは変わらないようだった。


「それだけじゃない。あんたは、他にも殺している人がいる。あたしはね、あんたのことを殺したくて仕方なかったんだよ。ここまで、ずっと我慢してた」


「は、はい? な、何のことだよ? 何を言ってるんだ? なあ、俺を生かしておかないと後悔するぞ。ここから、ふたりで協力しなきゃならないトラップがあるんだよ」


 必死で丸め込もうとする上松だったが、蘭の態度は変わらなかった。


「そうなんだ。でも、もうあんたの協力はいらない。あんたさ、あたしたちを利用してたつもりなんだろうけど、利用してたのはあたしたちの方なんだよ」


 冷たい口調だった。先ほど、涙をこぼしていた姿からは想像もつかない。

 この女、本気だ……そう思った時、上松の頭にある考えが浮かぶ。一か八かの賭けだが、これしかない。


「その拳銃、よく見たら安全装置がかかったままだぜ。それじゃあ、弾丸は出ねえよ」


 同時に、口からそんな言葉が出ていた。

 以前に観たアクション映画で、そんなシーンがあったのだ。拳銃を向けられた主人公が、敵に同じセリフを吐く。目線が逸れ、銃口も逸れた瞬間に襲いかかる……自分も、同じ手を使うしかない。銃口が逸れた瞬間に飛びかかる。素手での闘いに持ち込めば、百パーセント自分が勝つ。

 この状況では、それしかない。上松は、ニヤリと笑ってみせる。もちろんハッタリだ。この男は、今まで口先三寸と不意討ちで世の中を渡ってきたのだ。手のひらには汗をグッショリかいているが、そんな気配など顔には出していない。

 しかし、蘭の方も笑い返してきた──


「あっ、そうなんだ。じゃあ、撃っても弾丸た まは出ないはずだよね。あんたの言うことが本当か、試してみようか」


 直後、銃声が轟く──

 一瞬遅れて、上松はバタリと倒れた。その額には、穴が空いている。言うまでもなく、銃弾によるものだ。

 これまで十度開催された死願島遊戯。唯一の完全制覇者であった上松守は、実にあっけなく死んでしまった。その顔には、間抜けな表情が浮かんでいる。まだ、自分が死んだことにすら気づいていないかのようだった。

 そんな上松を、蘭は冷たい目で見下ろす。


「申し訳ないけどさ、あたしは本物の銃を何度も撃ってるんだよね。あんたより、ずっと扱いには詳しいんだよ。この嘘つき野郎」


 吐き捨てるような口調で言った後、蘭は目線を逸らし去っていく。通路を進んでいき、前にある扉を開けた。

 部屋の広さは八畳ほどだろうか。外の通路と同じく、灰色のコンクリートに四方を囲まれている。ただし、通路よりも明かりは強い。今では、部屋に付いている細かい染みまではっきりと見える状態だ。

 さらに、入って来た扉の向かい側に位置する壁には、もうひとつの扉がある。これまた金属製の頑丈そうなものだ。

 蘭が周りを見回していた時、不意に天井から声が聞こえてきた──


(よくぞ、こごまで生き残った。冬月蘭さん、君の名前は忘れないよ。この死願島遊戯を完全制覇した女性として、記憶に留めておくとしよう。そこの扉を開ければ、この地獄から出られる。だが、その前に……申し訳ないが、武器とリュックをそこに置いてくれ。でないと、扉はいつまで経っても開かないよ)


 言われた通り、蘭はリュックと武器を床に置く。すると、再び声が聞こえてきた。


(今、その扉が開く。後は、賞金を受け取るだけだよ)


 直後、扉が開かれる。黒いスーツを着た男がふたり入ってきた。

 彼らは、有無を言わさぬ勢いで蘭に手錠をかける。だが彼女には、もはや抵抗する気力はないようだった。

 そのまま、両脇を抱えられ部屋から連れ出される。エレベーターに乗せられ、上の階へと上がって行った──







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