ウルトラバスターズ(2)
それからの正樹と力也は、計画に沿って行動するようになった。
施設からもらえる僅かな小遣いは、全て貯めておいた。途中で何が起きるかわからないし、必要なものを揃えなくてはならない。また、施設で出される食事や学校での給食の時間には、保存の利きそうなものが出たら取っておく。全ては、蘭に会いに行く時のためである。
普段なら遊んでいるはずの時間を、地図を覚えることに費やすようにもなっていた。蘭の家の住所はわかっていたが、実際に行くとなると一大事である。ましてや、ふたりは自転車で行かなくてはならない。正樹と力也は、院内にある地図で道を調べ、大事なところは書き写した。
また、余った時間は体力の養成に費やす。自転車で登り坂を走ったり、重い荷物を担いだまま長い距離を歩いたりもした。さらに、野宿に備えキャンプの本を読んだりもした。
時は過ぎていき、正樹と力也が待ちに待った夏休みが始まった。
終業式の翌日、ふたりは朝の五時にこっそり起きた。誰にも知られないよう、音を立てず外に出ていく。リュックを背負い、自転車に乗った。頼りは、住所が書かれた紙と地図だけだ。
ふたりは、自転車のペダルを漕いで進んでいった。手製の地図を見ながら国道を進んでいき、疲れたら無理せず休む。これも、正樹の指示だ。
途中で何度か休みながらも、どうにか蘭の家がある……と思われる場所に到着する。既に日は暮れており、空には星が輝いていた。
「こんな時間に押しかけて行ったら、帰れと言われるのがオチだな」
辺りを見回しながら、正樹は誰にともなく言った。
「じゃあ、どうする?」
「仕方ねえ、今日は野宿だ。いいか、警官には見つかるなよ。見つかったら、施設に戻されちまうからな」
「わかった」
正樹と力也は、近くの広い空き地に入り込む。針金の柵が張られていたが、ふたりにとって乗り越えるのは容易いことだ。おあつらえ向きに、伸び放題の雑草と放置された廃材が、少年らの姿を隠してくれている。彼らは、草むらの中で交代しながら眠った。
翌日の朝、ふたりは家の近くまで行ってみた。だが、おかしなことに気づく。
本広の家は塀に囲まれており、庭は広い。洒落た外観の平屋だ。母屋とは別に、庭に小屋がひとつある。広さは物置きくらいだろうか。窓が付いているが、やたら高い位置である。子供が手を伸ばして届く位置ではない。
しかも、小屋の入口には頑丈な南京錠が掛けられているのだ。中にいる何かを、外に出さないためのものにしか見えない。では、それは何なのだろう。
ふたりは、いったん家から離れた。近くの路地裏に入り込み、蘭のいる家を見張る。
「あの家、何だか変だぞ」
正樹が、険しい顔つきでボソッと呟いた。その言葉に、力也が反応する。
「どういうこと?」
尋ねると、正樹は渋い表情になる。どうしたものか、迷っているらしい。
ややあって、答えようとした時だった。突然、正樹の顔つきが変わる。
「あれ、蘭じゃねえか?」
その言葉に、力也は振り向いた。
勝手口から、ひとりの少女が出て来るのが見える。以前より痩せた気がするが、間違いなく蘭だ。
横には、ひとりの女がいる。年齢は三十代だろうか。化粧が濃く派手な顔立ちであり、かなり太目の体格だ。ジャージ姿にサンダルで、昭和の不良娘のような格好であるが、間違いなく本広の妻だ。力也は、はっきりと覚えている。
そんな本広の妻は、義理の娘の手をしっかりと握って出てきた。
「あ、本当だ!」
飛び出して行こうとした力也だったが、正樹が彼の腕を掴んだ。強い力で、ぐいっと引き戻す。
「ちょっと! 何すんだよ!」
いきなりのことに、力也は彼に食ってかかった。が、正樹は冷静だ。
「すまないが、ちょっと静かにして待っていてくれ。蘭の様子がおかしい」
「えっ?」
言われた力也は、そっと蘭を見る。確かに、前より痩せた気はする。だが、他に変わった点は見られない。
ただ、隣にいる義母と思しき女は蘭の手をしっかり握っている。いや、掴んでいるといった方が正しいかもしれない。変と言えば変だが、親子が手を繋いでいるだけのようにも見える。
力也は、そっと尋ねた。
「な、何が変なんだよ?」
「しばらく様子を見よう。だから、もうちょい待ってくれ。頼む」
正樹のただならぬ様子に、力也は戸惑いながらも頷いた。
「わかったよ」
この時の正樹は……薄々ではあるが、何が起きているか気づいていたのだ。彼は幼くして、世の中の闇の部分を間近で見てきている。力也と違い、危険に対する嗅覚も鋭い。
その嗅覚が、蘭に何が起きたかを察知させていたのだ。
その後の親子の行動は、明らかに異様なものだった。
蘭は、女と共に離れの小屋へと入っていく。少しして、女がひとりで出てきた。扉を閉めると、南京錠の鍵をかける。
見ている力也は愕然となっていた。義理とはいえ、自分の娘をあんな小屋で生活させているのか。あれでは、監禁しているも同然ではないか。
「ねえ、蘭は何であんな部屋に入れられてんのかな?」
横にいる正樹に震える声で尋ねると、彼は険しい表情で答える。
「たぶん、ものすごく嫌なことのためだ」
「な、何それ……どういうこと?」
「まあ待てよ。俺の予想が外れてりゃ何の問題もないが、当たってたらかなりヤバいことになるぞ。力也、お前は最後まで付き合う覚悟あるか?」
いきなりの問いに、力也は混乱しながら聞き返す。
「えっ、どういうこと?」
「だから。最後まで付き合う覚悟があんのか、って聞いてんだよ」
なおも聞いてくる正樹に、力也は仕方なく首を縦に振る。
「うん、わかったよ」
この時の力也には、なにもわかっていなかった。正樹の問いは、小学生にはあまりにも重く、辛いものだったのだ。世の中には、想像もつかない世界がある。
綺麗な蝶が、草原をひらひら飛んでいる光景は、一見するとのどかなものであろう。しかし、その綺麗な蝶を狙うものはあちこちにいる。草むらに潜むカマキリ、罠を張るクモ、上空を舞うカラス。そして、無邪気な表情で虫を捕まえ足を引きちぎる幼児。
力也の生きる世界の裏側にも、凶悪な捕食者たちが潜んでいる。彼らは闇に紛れ行動し、蘭のようないたいけな少女を狩って行くのだ。
やがて、蘭の家に客が訪れる。スーツ姿の男だ。年齢は四十代から五十代であろう。背は高からず低からず、小太りで黒ぶちメガネをかけており、顔にはいやらしい表情を浮かべていた。
しばらくすると、中年男は勝手口から出てくる。本広の妻も一緒だ。ふたりは庭を歩き、蘭のいる小屋へと入っていく。
女はすぐに出てきたが、中年男は出てこない。しかも、女は元通り鍵をかけたのだ。
見ていた力也は、愕然となっていた。
「なにしてんだよ、あいつ……」
思わず呟くが、正樹は無言のままだった。
それから、どのくらいの時間が経ったのだろう……母屋から、女が出てきた。小屋の前に立ち、鍵を開ける。すると、中年男がひとりで出てきた。着衣は乱れており、慌てて服を着たような雰囲気だ。顔つきも、入る前と比べて明らかにおかしい。
そこで、正樹が口を開く。
「もう、いちいち言わなくてもわかってんだろ。俺の思った通りだったよ。まさか、こんなことになってるとはな……俺のせいだ、クソ」
吐き捨てるような口調だった。その言葉の奥には、強い怒りがある。力也も同感だった。彼にも、小屋で何が行われているかはわかっていた。
蘭は、売春をさせられているのだ。彼女を引き取った本広夫婦は、表向きはふたりで喫茶店を経営している……ということになっている。だが裏では、離れの小屋にて蘭に客の相手をさせているのだ。客とは、幼い少女が好きな男たちだ。あの小屋の中で、蘭の体を弄んでいるのだ──
力也は、ギリリと奥歯を噛み締める。こうなった以上、彼が取る手段はひとつしかない。
「正樹! 蘭を助けよう!」
「待てよ。あいつらはヤクザかなんかだぞ。それに、今ヘタに動いたらヤバい」
正樹は、顔をしかめながら答えた。
この少年は、米兵の父と売春婦の母との間に生まれ、ヤク中や空き巣や強盗の多発する街で成長してきた。幼くして、世の中の裏側を嫌というほど見てきたのだ。ヤクザや、それに類する連中も大勢見てきている。また、裏社会の人間の怖さも知っている。そんな中で、彼は成長してきたのだ。
過酷な環境は、少年の成長を早める。親が頼りにならないため、否応なしに早くから自立せざるを得なくなるのだ。正樹が他の子供たちより大人びているのは、育ってきた環境の違いである。
正樹は、裏社会の連中の怖さもまた、間近で見てきている。闇の世界の住人たちに対し、子供の自分たちはあまりにも無力である……その事実を、普通の少年よりも理解しているのだ。
しかし、力也にはわかっていなかった。ただ単に、正樹はビビっているとしか思わなかったのだ──
「何だよそれ! じゃあ、助けない気かよ!」
「そうは言ってないだろ。ただ、もう少し様子を見ようってんだよ。とにかく落ち着け」
冷静な口調でたしなめる正樹だったが、力也は引かない。逆にその冷静さが、癇に障ったのだ。蘭がひどい目に遭わされているのに、そんな冷たい言い方ないだろう……という想いが強くなっていく、
ふたりは言い合ったが、平行線を辿るばかりだ。やがて、力也の怒りが爆発した。
「もういい! ゴチャゴチャ理屈ばかり言いやがって! そんな奴だと思わなかったよ! 正樹はここで帰れ! 俺ひとりで助けるから!」
子供らしい態度で喚き散らす力也を、正樹は冷ややかな目で見下ろす。
少しの間を置き、溜息を吐いた。これ以上、話をしても無駄だと判断したらしい。
「そうかよ、お前の好きにしろバカ。後で泣いても知らねえからな」
素っ気ない態度で言うと、背中を向け去っていってしまった。
その後ろ姿に、力也は罵声を浴びせる。
「お前がそんな冷たい奴だとは思わなかったよ! もう友だちでも何でもねえ! さっさと死んじまえ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます