クロスボウ
プールの底に着いた井上は、残った魚を穴に蹴飛ばしながら進んでいく。穴は深く、底が見えなかった。だが、井上は見向きもせず進んでいく。上松と蘭も、その後に続いた。
向こう側に着くと、井上はためらいもせずハシゴを登っていく。上に到着すると、上松と蘭が登って来るのを待った。
ふたりが到着すると、井上は口を開く。
「上松、お前の言うとおりだった。助かったよ。ところで、お前はこのゲームを一度はクリアしたんだよな?」
「あ、ああ。クリアしたよ」
「わからないことがある。ここの構造は、どうなっているんだ?」
「えっ、構造って?」
「俺たちはここに来る前、ハンターをふたり殺した。あと、襲いかかってきた参加者をひとり返り討ちにした」
こともなげに語る井上だが、上松の顔色は青くなっている。三人殺した、などという話を聞かされては、平静でいられないのだろう。
「本当かよ、すげえなあ。あんたといれば安全だな」
愛想笑いをしつつ御世辞を言ったが、井上の表情は変わらぬままだ。
「そのハンターふたりだが、行き止まりになっていた通路から現れたんだよ。ここには、隠し通路みたいなのがあるのは間違いない。一応、叩いたりして調べてみたが、開く気配はなかった」
「そ、そうか」
「ここからが本題だ。お前がクリアした時、隠し通路みたいなのを通った覚えはあるか? ボタンを押したら隠し通路が開いた、みたいなのだ」
「いや、そんなのを通った覚えはないな」
上松が答えると、井上は口元を歪めた。何やら、考え込むような仕草であちこちに視線を移す。この男、全身から暴力的な雰囲気を漂わせている。だが、慎重で思慮深い一面もあるらしい。上松は、緊張した面持ちで次の言葉を待った。
ややあって、井上は再び口を開いた。
「もうひとつ聞きたい。賞金の一千万は、間違いなくもらったんだな?」
「ああ、もらえたよ。トートバッグみたいな袋の中に、現金がボンと入ってたんだよ。思ったより小さかったぜ。こんなもんか、って拍子抜けしたよ」
そう言って、歪んだ笑みを浮かべる。だが、次の瞬間にその笑みは消えた。
「そうか……で、お前はひとりで突破したのか?」
一瞬、上松の表情がこわばる。だが、すぐに元に戻った。
「あ、ああ、そうだよ。なんで、そんなことを聞くんだ?」
「いやな、もし三人でクリアしたら、一千万を三等分するとか言い出すのかと思ってな」
「どうだろうな……いくら何でも、そんなケチなことはしないだろ」
答えると、井上は無言でじっと見つめてくる。こちらの裡にあるものを見透そうとしているかのようだった。上松は、さり気なく目を逸らす。
ややあって、井上も目線を逸らし顔を扉に向けた。
「じゃあ、行くとするか。上松、道案内を頼むぞ」
「えっ、俺が?」
明らかに不満そうな顔の上松だったが、井上はお構い無しに彼の腕を掴んだ。そのまま、低い声で凄む。
「お前が行かないでどうすんだ。道は知っているんだろ。だったら、最短の距離を案内してくれ」
「で、でもさ、俺だってところどころ忘れてるから……」
「問題ねえよ。みんなで闇雲に歩いて探すよかマシだ。歩いていくうちに思い出すこともあるだろう。ほれ、行くぞ』
井上が言った時だった。それまで黙っていた蘭が、ためらいながらも口を開く。
「ちょっと待っててくれる?」
「どうかしたか?」
聞き返す井上から、蘭は目を逸らした。
「あ、あの……トイレに……」
言いながら、プールを指さす。この下で用を足すつもりなのだろう。井上は頷いた。
「わかった。俺たちは、外で待ってるから。落ちないように気をつけろよ」
そう言うと、井上は上松の腕を引いて外に出ていった。扉を閉めると、その場で立ち止まる。
ややあって、不意に上松が口を開いた。
「なあ、あの女を最後まで連れて行く気か?」
「当たり前だ。それがどうした?」
聞き返してきた井上を、上松は不思議そうな表情で見つめる。
「あんたら、どういう関係なんだ?」
「どうも何もあるか。今日、ここで初めて会ったんだよ」
「へえ、そうなのか」
上松が答えた時、扉の向こうから声が聞こえてきた。
「待たせてごめん。今、開けるから」
蘭の声だ。直後、扉が開き彼女が出てきた。すると、今度は上松が口を開いた。
「悪いけど、ちょっと待っててくれ。俺も小便したくなったんだよ。いいかな?」
「お前もか。いいよ、好きにしろ」
「すまねえな。ちょっと待っててくれ」
ペコペコ頭を下げながら、上松ほ部屋に入っていく。扉が閉まったのを確認すると、まっすぐ歩きハシゴを降っていった。プールの底に着くと、辺りを見回す。
やがて、ある物に目をつけた。近くに行くと、そっと拾い上げる。
それは、人間の大腿骨だった。骨となってしまった参加者の一部である。もっとも、完全に白骨化したわけではない。所々に、皮膚や肉がこびりついている。普通の人間なら、触れるのはおろか見ることすら拒絶するだろう。
しかし、上松は気にしていないようだった。大腿骨を右手に持ち、ブンと振ってみる。
続いて、自身の左手をひろげた。その手のひらに、大腿骨を軽く振り下ろしてみる。
バシッという音がした。かなり痛かったらしく、思わず顔をしかめる上松だったが、直後にニヤリと笑う。大腿骨を、リュックの中に入れた。
ハシゴを登ると、そのまま歩き扉を開ける。すると、蘭と井上が小声で話していた。
「な、何を話してたんだ?」
不安げな表情で聞いた。が、井上の態度ほそっけない。
「大したことじゃねえよ。連絡先を聞いてたんだ。ふたりして、ここを生きて出られたら、彼氏に立候補しようと思ってな」
それを聞いた上松は、歪んだ笑みを浮かべる。
「へへっ、そうかい。あんたら、意外とお気楽なんだな」
・・・
当然ながら、そうした行動はカメラに撮られている。上松の行動もまた、全て見ている者がいた。
「上松は、油断のならない男だね」
タブレットから聞こえてきた安藤の声に、直島は同意した。
「そうですね。あの骨を棍棒の代わりにするのでしょうか」
「まあ、彼と井上とでは格が違う。正面から殺り合ったら、上松に勝ち目はないだろう。それは間違いないが、上松は騙し討ちが得意だからね。これは、面白いことになりそうだが……」
そこで、安藤は口を閉じた。少しの間を置き、再び語り出す。
「冬月は、何のためにプールへ行ったのだろうね。何をしているのかと思ったよ」
安藤の言う通りだった。先ほど蘭は「トイレに」などと言いながら、ひとりプールの底に行った。だが、そこで用を足していたわけではなかった。何かブツブツ言いながら、ひとりで深呼吸をしていたのだ。まるで、必死になって自分を落ち着かせようとしているかのように……小声のため、何を言っているかは聞こえなかったが、その姿は異様だった。
「ひょっとしたら、精神的におかしくなりかけているのかもしれないですね」
直島の言葉に、安藤はくすりと笑った。
「フフフ、それはますます興味深い展開だな。となると、冬月が狂いだしてふたりを後ろから刺し殺してしまう……そんな可能性もあるかもね。実に面白くなってきた」
言った後、安藤は視線を移す。
「そして、三番でも面白いことになっているよ。ほら、白川がクロスボウで攻撃している」
その三番モニターでは、通路にて逃げ回る若い男と、それを追う中年男が映し出されていた。
黄色い作業服を着た中年男の白川が、ズンズン進んでいる。髪は短く、顔は厳つい。ヤクザ映画にでも出てきそうな面構えだ。
そんな恐ろしい男が、クロスボウを構え何者かを追っている。クロスボウは、猟銃のような形をしておりボウガンとも呼ばれる武器だ。飛び道具でありながら、アーチェリーで使われる洋弓や、弓道で使われる和弓より扱いは簡単である。
一方、追われているのは銀色の作業服を着た男だ。年齢は二十代から三十代、髪を茶色に染めており、こちらも人相は悪い。公序良俗を尊ぶ人種でないのは一目でわかる。繁華街をうろつくチンピラ、という風貌だ。
そんな彼だが、クロスボウの男に追われ必死の形相で逃げていた。しかし、疲労が限界に達しているのか、その足取りは遅い。両者の距離は、どんどん詰まってきている。
逃げていた男は、不意に立ち止まった。振り向くと、右手の武器を振り上げる。
それは鎌だった。ただし、柄のところに鎖が付いている。そう、これは鎖鎌という武器だ。ただし、素人に使いこなせる武器ではない。使うには、それなりの鍛錬が必要である。
もっとも、そんなことはどうでもいいようだった。
「う、打ってみろ! ぶっ殺してやる!」
喚きながら、鎌を振り上げ突進していく。迷宮内で逃げ続ける緊張に耐えられなくなり、ヤケになってしまったのだ。
戦いは、常に背中を見せずに敵に挑んでいく勇者が勝つとは限らない。時には、逃げることも必要なのだ。しかも、この状況で逃げ続けるには勇気と知恵と体力が必要である。
この男は今、クロスボウを構えている白川に真正面から突進していった。これは、逃げ続けることから生じる恐怖と疲労に耐えられなくなった結果の攻撃……いわば、逃避行動なのだ。あまりにも無謀である。
途端に、クロスボウから矢が放たれる。狙い違わず、腹に命中した。
しかし、男の突進は止まらない。痛みに顔を歪めながらも、さらに接近していく。興奮により、一時的に痛みが麻痺しているのだ。こうなると、クロスボウは不利である。連射が利かないため、一発打つと次射までには時間が必要だ。その間に近づかれると、今度は白兵戦になる。クロスボウでは、白兵戦には役立たない。
だが、白川は落ち着いていた。鎌を振り上げた男が近づいているというのに、怯む様子がない。
銀色の男が接近した時、いきなり白川の左足が伸びた。クロスボウを持ったまま、鋭い横蹴りを放ったのだ。足裏はみぞおちに炸裂し、相手はウッと呻いた。息が詰まりそうなショックを覚え、一瞬ではあるが動きが止まる。
白川の攻撃は止まらなかった。左足を着地させた直後、その足で床を蹴った。再び左足が放たれたのだ。今度は、腰の回転を利かせた上段回し蹴りである。足の甲が、側頭部に炸裂する──
一瞬遅れて、男はガクッと崩れ落ちた。その場にバタリと倒れる。蹴りの衝撃で、脳震盪が起き意識が途絶えてしまったのだ。
人間は戦っている時、興奮状態にある。そのため、少々の切り傷や刺し傷なら耐えられてしまうケースが多い。ところが、脳を揺らされては、どんな強靭な肉体の持ち主でも耐えられない。強制的に、意識をシャットダウンさせてしまう効果があるのだ。
相手を一撃で昏倒させた白川は、そっと近づいていく。やがて足を上げたかと思うと、一気に落としていく──
男の首は、白川の踏みつけにより砕かれた。モニター越しに観ていた直島が、そこで口を開く。
「凄いですね。さすが白川だ、三十年も刑務所にいたのに全く衰えていないとは……」
その声は上擦っていた。
ところが、左派の活動家に出会ってから人生が狂ってしまう。白川は左派の思想に傾倒し、やがて独自に行動するようになる。
優勝の三年後、白川は当時の総理大臣を刃物で襲った……が、複数のSPに取り押さえられ、暗殺は未遂に終わる。ただし、逮捕される前にSPひとりを素手で殺害した。当然ながら、世間は大いに騒ぐ。なにせ、総理大臣暗殺未遂事件であり、SPひとりが死亡したのだ。しかも、その筋では名のしれた空手家が引き起こした事件である。
その事実を重く見られ、懲役三十年の判決を受けた。刑務所の中では模範囚で過ごし、先日に満期出所したばかりなのだ。
タブレットから聞こえる声も、先ほどまでと違っていた。
「刑務所の中でも、きっちり鍛錬を続けていたようだ。実際の話、捕らえる際には苦労したらしい。ウチの人間がふたりも病院送りにさせられたよ」
そこで、安藤の表情が変わる。何か気づいたことがあったらしい。
「そういえば、君は井上をどうやって捕らえたんだ? あれを捕まえるのは苦労しただろう」
「飯の中に薬を仕込みました。あいつを力ずくで拉致するとなると、死者が出ることも覚悟しないといけないですから……ところで、クロスボウとはまた厄介な武器ですね」
「そうだね。拳銃と違い、矢を回収すれば何度でも使える。
「しかも、それを持っているのが空手家の白川ですからね。まさに、鬼に金棒ですよ」
言った時だった。直島もまた、何かに気づいたらしい。おや? とでも言いたげな表情を浮かべる。
「あっ、ところで……次のハンターの投入時間が過ぎてしまいましたが、出てくる気配がないですね。何かトラブルでもあったのですか?」
「気づいたかい。実はね、ちょっと準備に手間取っているんだよ。登場には、もうしばらくかかりそう」
「そうでしたか。早く見てみたいものです」
「それより見たまえ、白川のしていることを」
安藤に言われ、直島は視線を戻す。
モニターでは、白川が鎌を手にしていた。死体となった男を見下ろしている。
その目には、ただならぬ光が宿っている──
「あいつ、首を切り落とす気でしょうか?」
「そのようだね。どうやら、リタイアを念頭に置いているらしい」
「恐ろしい順応力ですね。それにしても皮肉なものです。前回は、橋山が首を切り落とす側だった。今回は、橋山が首を切り落とされる側になってしまいました」
直島は、静かな口調で言った。
橋山は間もなく逮捕され、危険運転致死傷罪により懲役十年を言い渡される。そして出所後、安藤に目を付けられ死願島遊戯に参加させられた。暴走族などと言ってはいるが、ひとりになれば何も出来ない。橋山は、すぐに殺されるはずだった、
ところが、運はこの男に味方する。参加者が次々とハンターに殺されていく中、橋山は上手く立ち回り首をふたつ手に入れる。無論、自分の手で仕留めたのではない。たまたまハンターが仕留めた参加者を見つけ、その生首を手に入れたのだ。さらに、リタイアルームを見つけることにも成功する。橋山は、死願島遊戯初の生還者となったのだ。
しかし今では、その橋山が首を切られる側となっていた。
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