エピローグ

 十五年前……幼い時の蘭が、施設から去る日の朝。

 力也は、朝の五時に起きた。こっそり蘭を叩き起こすと、人気ひとけのない場所に彼女を連れ出していたのだ。


「どうしたの? こんな朝っぱらから」


 眠い目をこすりながら尋ねる蘭に、力也は真剣な表情で口を開いた。


「お前、このままでいいのかよ?」


「えっ、このままって……」


 困惑する蘭に、力也は強い口調で迫る。


「お前、正樹のこと好きなんだろ? だったら、今のうちに言っちゃえよ!」


 途端に、蘭の頬が真っ赤に染まった。


「は、はあ? 何言ってんの? あたしは──」


「ごまかさなくていいよ。俺にはわかってるから」


 そう……以前から、蘭が密かに正樹に想いを寄せていることを力也は知っていた。彼女が正樹を見る目には、熱い感情が秘められている。

 もっとも、当の正樹は気づいていないらしい。この少年は頭もキレるし行動力もあるが、恋愛沙汰に関しては妙に鈍感なようなのだ。過去にそれとなく聞いてみたことがあるが、きょとんとしているだけだった。

 力也の言葉に、蘭は何も言えず黙り込む。だが、彼はさらに語り続けた。


「健人んところは養親がいい人だがら、俺たちと連絡が取れるよ。でも、蘭の養親はどんな人かわからないだろ。ひょっとしたら、家では凄く厳しい人かもしれないぞ。俺たちみたいなのとは遊ばせない、なんて言うかもしれないだろ」


「そうだよね」


 ようやく、蘭が口を開いた。寂しげな表情だった。


「だったら、今のうちにズバッと言っちゃえよ!」


「大丈夫だよ」


「大丈夫じゃねえよ! 今いえなかったら、すっと後悔するかもしれないんだぞ!」


 その時、蘭の体が震えだした。その表情は、怒りで歪んでいる。


「うるさいんだよ! それは、あたしが決めることだから! あんたには関係ないんだよ!」


 怒鳴り返す蘭の目は、力也の方を見ていない。彼から目を逸らし、あらぬ方向を向いていた。彼女は本気で怒った時、いつもこうなる……ずっと蘭のことを見ていた力也には、よくわかっていた。


「そうかよ。勝手にしろ」


 捨て台詞のように言った力也は、くるりと背を向けた。そのまま去っていく。

 その後、蘭は養親の車に乗り施設を後にする。ふたりは、あの日まで顔を合わせることはなかった。


 ・・・


 それから、十五年が経った今──

 スーツ姿でアタッシュケースを片手に持った直島力也は、歌山市の田舎道を歩いていく。彼にとって、ここは懐かしい風景だ。歩きながら、思わず顔がほころんでいた。

 やがて、目的地へと到着した。かつて、力也たち四人が秘密基地として使っていた空き家である。平屋の一軒家であり、庭の草は伸び放題だ。十五年も経ったというのに、未だ取り壊されることなく残っている。

 中に入ると、先客がいた。ボロボロになった床の上に、あぐらをかいて座り込んでいる。力也が入ってくると、すぐに立ち上がろうとした。だが、直後に崩れ落ちる。床に膝を着き、呻き声を出した。


「あいたたた……」


 それは、冬月蘭だった。パーカーにデニムパンツという格好で、脇腹を押さえ顔をしかめている。顔は少しやつれているが、それでも元気そうだ。


「おいおい、大丈夫かよ。無理しないで座ってろ」


 心配そうに声をかける力也に。蘭は歪んだ表情で頷いた。


「うん……痛いけど、何とか大丈夫。正樹が言ってたんだよね。防弾ベスト着てても、本物の銃で撃たれたら死ぬほど痛いぞって。その通りだったよ。マジで死んだかと思った」 


 そう、あの身体検査の時……力也が渡したのは拳銃だけではなかった。防弾ベストと血糊の袋を、作業服の下に仕込んでいたのである。蘭が安藤を始末した後、力也が蘭を撃つ。これもまた、計画の一部であった。

 防弾ベスト越しだったとはいえ、実弾で撃たれた傷は未だ癒えていないらしい。


「死ぬほど痛いぞ、か。正樹らしいな」


 力也ほ、くすりと笑った。本当に、ストレートな性格の正樹らしい発言だ。

 正樹と蘭、そして力也……この三者の間には、ひとつの取り決めがあった。最後の部屋までふたりが生き残って到着した時は、蘭の手で正樹を殺すことになっていたのだ。最後の部屋から出られるのは、ひとりだけ……ならば、蘭を生き残らせる。これもまた、力也の計画だった。

 幸か不幸か、蘭の手にかかる前に正樹は死んだ。あの化け物のようなハンター三又を道連れに、笑って死んでいった。己の命を失うことすら恐れない、本物の漢だった──


「本当だね。正樹らしいよ」


 蘭が、ポツリと呟く。力也は、またしても涙が零れそうになった。だが、上を向き堪える。

 あの日、力也はカメラ越しに正樹の最期を見届けた。リタイアルームで、三又を道連れにしての爆発……直後、堪えきれなくなりトイレの個室に駆け込む。そこで、声を殺し泣いた。

 裏の世界に足を踏み入れてから、涙などとは縁を切ったはずだった。にもかかわらず、あの時だけは止められなかった。正樹が中で死ぬことも、承知していたはずなのに──

 出来ることなら、死ぬ前に一度だけでも顔を合わせておきたかった。もっともっと、語り合いたかった。


(メンバーの誰かがやられたら、みんなで敵を討つ。それがウルトラバスターズなんだろ? もし俺に何かあったら、今度はお前たちが助けてくれよ。いいな?)


(俺は、絶対に助けにいく……どこにいようが、必ず正樹を助けるから)


 幼い頃、正樹と交わした最後の言葉……果たして、自分のやったことは正樹の救いになったのだろうか──

 こみ上げてくるものを堪えつつ、蘭に向かい微笑む。


「とりあえず、お前は大丈夫だよ。内部の人間で、お前の素性を知ってるのは安藤と俺くらいだからな。てなわけでだ、これを持ってけ」


 言いながら、持っていたアタッシュケースを開けて見せた。

 そこには、札束がぎっしり詰まっている。億は超えているだろう──


「えっ、何これ……」


 唖然となる蘭に、力也は真面目な顔で語り出す。


「実はな、死願島遊戯の裏で悪趣味なゲームが行われていたんだよ。誰が生き残るか当てる、そんなゲームだ。俺はな、お前に賭けていたんだ。それも、最後までクリアする方にな。超大穴だったんだけどよ、そいつが見事に大当たりだ。儲けさせてもらったからな。こいつは、お前の取り分だよ」


 そう、死願島遊戯に参加した者の誰が最後まで生き延びるか……そのトトカルチョで、力也は蘭に賭けていた。無論、関係者はこのトトカルチョに参加することは出来ない。そこで、別人の名義で蘭に賭けていたのである。

 結果は、大勝ちであった。もともと蘭が最後まで生き延びるなど、誰も想像していない。しかも、完全制覇まで成し遂げたのだ。これは、まさに超大穴といっていいだろう。


「そ、そんな……こんな大金、受け取れないよ」


 かぶりを振る蘭だったが、それも当然だろう。こんな額の現金を見たのは初めてだ。


「受け取ってくれや。俺より、お前の方が世のため人のためになる使い方をしてくれるだろうからな」


 言いながら、力也はアタッシュケースを閉じた。蘭の前に置く。

 その時、蘭が尋ねた。


「あんた、これからどうするの?」


「俺は、今まで通りの暮らしに戻るよ。裏の世界で生きていく」


 冷めた口調で、力也は答える。だが、直後に蘭から発せられた言葉は意外なものだった。


「ねえ、あたしと一緒に施設で働かない?」


「はあ? 何を言っているんだよ」


 思わず素っ頓狂な声を出したが、蘭は語り続ける。


「昔のあたしたちみたいな子が、世の中には大勢いるんだよ。その子たちを、あたしみたいな目に遭わせたくない。あんただったら、凄いことが出来るよ」


 語る蘭の表情は、真剣そのものだった。口調も熱を帯びている。

 そんな彼女を見て、力也は改めて悟った。蘭は幼い頃に売春をさせられ、心に深い傷を負わされたのだ。常人なら、そのまま心を病んでいてもおかしくない。

 だが、蘭は乗り越えた。そのトラウマを乗り越えた経験が、彼女を強くしたのだ。でなければ、あのデスゲームをやり遂げることなど出来なかっただろう。

 力也は感慨深いものを感じつつ、彼女の言うことを聞いていた。 


「お願い。試しにやってみるか……みたいなノリでいいからさ。少しの間でいいから、一緒にこの仕事をやってみてよ。お金にはならないけど、やりがいはあるから」


 そこで、ようやく力也は口を挟む。


「無理だよ」


「なんで……」


「俺は今まで、ずっと裏の世界で生きてきた。いろんなことをしてきたし、いろんなものを見てきた。もう、昔のようには生きられない」


 力也の顔つきが、完全に変わっている。先ほどまでとは違い、裏の顔が剥き出しになっていた。声も、凄みの利いたものになっている。その迫力に圧倒され、蘭は思わず後ずさっていた。


「正樹を見ろ。あいつは、俺なんか比較にならないくらい大勢の人間を殺してきた。挙げ句に、劣化ウラン弾で不治の病にかかっちまったよ。最期は、あの暗い地下迷宮の中で、誰にも知られることなく死んじまった。これが、裏の世界で生きて来た人間の末路なんだよ」


 その言葉に、蘭の表情が歪む。力也から目を逸らし、唇を噛み締めた。


「俺も、正樹みたいに生きて、正樹みたいに死ぬよ。だが、お前は違う。真っ当に生きられるんだ。俺たちのことも、死願島で体験したことも全て忘れるんだ。悪い夢を見たと思って、人生をやり直せ。お前なら出来る。ひとりでも多くの子供たちを救ってやってくれ。この金も、そのために使ってくれよ」


 そこで、ようやく力也の顔つきが和む。昔のいたずら好きな少年のものに戻っていた。

 だが、直後に放った言葉は想像もしなかったものだった──


「それにな、俺は安藤を殺したことになってるんだよ。いろんな奴に狙われてんだ」


「えっ……どういうこと?」


 驚愕の表情を浮かべる蘭に、力也はゆっくりとした口調で説明し始めた。


「安藤のいた部屋には、カメラが設置されていた。残されていた映像は、お前が安藤とボディーガードを殺したところと、俺がお前と竹本を殺した部分だ。あの映像を見た奴らは、俺が全てを仕組んだと判断する。俺がお前に安藤を殺させた、その後は用無しになったお前を始末した……そう思っているはずさ。今頃、裏社会の連中は血眼になって俺を探している」


「そ、そんな……あたしのせいで……」


 表情を歪める蘭に、力也はかぶりを振った。


「お前のせいじゃない。これは全部、俺がを描いた計画だ。いわば、俺が主犯だよ。主犯が、一番重い罪を被るのは当然のことだろう」


 言った後、ニヤリと笑う。凄絶な笑みだった。蘭は改めて、正樹や力也の生きてきた世界の凄まじさを垣間見た気がした。同時に、力也の覚悟の深さも……。

 本当に、もう昔のようには戻れないのだ──


「そんなわけで、俺は今あちこちの連中から命を狙われている。もう、日本には居られない。今すぐ、海外に高飛びしないといけないんだよ。さっきも言った通り、この件は全て忘れるんだ。俺たちのことも全て忘れて、真人間として生きろ」


 そこで、力也は右手を出した。別れの握手のつもりだった。が、蘭は目を逸らした。彼を無視し、体を震わせながら、あらぬ方向を向いている。どうやら、完全に機嫌を損ねてしまったらしい。握手にも、応じる気配がない。

 力也は口元を歪めた。十五年のあの時と、同じ展開だ。こんな形で別れたくはなかったが、仕方あるまい。

 いや、むしろこの方がよかったのかもしれない。


「そうかい、まあいいや。じゃあな。もう会うこともないだろうけど、元気でな」


 言った直後、くるりと背を向けた。そのまま歩き出した時──


「バカ言うんじゃないよ! 忘れられるわけないじゃない!」


 蘭の悲痛な声が響く。だが、力也は無視して歩き続ける。

 そんな彼の背中に向かい、蘭はなおも訴えた──


「あたしは忘れないよ! 正樹のことも、健人のことも、力也のことも、絶対に忘れないから! 死んでも忘れないよ……」


 直後、蘭は崩れ落ちた。膝を地面に着け、すすり泣いている。目から涙が溢れ、ボロボロの床を濡らしていった。嗚咽の声は、力也の耳にも届いている……。

 その時、力也が足を止める。ようやく口を開いた。


「へっ、一生覚えてろ。バカ野郎が」


 振り向きもせずに、言葉を返す。吐き捨てるような口調だった。

 

「俺はな、お前のことなんか思い出しゃしねえよ……忘れもしねえけどな」


 言った後、再び歩き出す。力也の脳裏には、幼い頃の映像が浮かんでいた──


(行くぞ力也! 健人と蘭も、早く来い!)


(待ってよ正樹!)


 幼い四人は、楽しそうにケラケラ笑いながら駆けていく。あの日々は、もう二度と返らない。

 だが、あの日々の記憶は今も力也の胸にある。彼にとって、かけがえのない宝物だ。この先、どんな地獄が待っていようとも怖くはない。

 あの世に逝けば、また正樹と健人に会えるから──


「ふたりとも、もうちょい待っててくれ。俺もいずれ、そっちに行くよ。地獄で、ウルトラバスターズの再結成だ」


 力也は、そっと呟いた。

 









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死願島遊戯 板倉恭司 @bakabond

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ