プール(1)

 ふたりは少し休んだ後、探索を再開するため立ち上がった。数メートル先には、右側に折れる曲がり角が見える。蘭がそちらを覗こうとしたが、井上が止めた。


「待て」


「どうしたの?」


「ちょっと、ここで待ってろ。すぐ戻るから」


 そう言うと、井上は曲がり角の手前で立ち止まり、そっと覗き込んだ。途端に、顔をしかめる。


「うわ、こりゃあひでえな」


 思わず発した言葉に、蘭が反応した。 


「だ、大丈夫?」


「ちょっと待て! 来るな!」


 井上が、慌てて怒鳴る。だが遅かった。蘭は、既に彼の背後に来ていたのだ。肩越しに、そっと覗き込む。

 最初は、何だかわからなかったようだ。しかし、一瞬遅れて目の前に何があるのか理解したらしい。途端に、表情が一変した。

 それだけでは済まなかった。蘭は、耐えきれず崩れ落ちる。直後、床に嘔吐した──

 その反応も仕方ないだろう。そこには、ぐちゃぐちゃに潰された死体があったのだ。頭は原型を留めておらず、頭蓋骨は砕かれ中のものが流れ出ている。体は無惨に潰されており、周囲には血と体液と肉片が大量に飛び散っている。手足も、原型を留めていない。

 剥ぎ取られた衣服は、脇に放置されていた。無造作に投げ捨てた、という感じである。

 

「たぶん、あのデカい奴がやったんだろう。わざわざ服を脱がして叩き潰すとは、やることがえげつないな」


 井上の声は、冷静そのものである。どうやら、死体を見慣れているらしい。


「なんで、こんなことを……」


 呟くような蘭の言葉に、井上は首を横に振った。


「さおな。俺にはわからないよ。ただ世の中には、人殺しがやみつきになっちまう奴がいる。あのデカブツも、そのひとりだろう。あのデカさと馬鹿力で人殺しが趣味じゃあ、まともに暮らすことは出来ねえだろうな」 


 言いながら、井上はしゃがみ込んだ。死体をじっくりと眺める。

 少しの間を置き、口を開いた。


「これじゃあ、生首をもらうことは出来ないな。ぐちゃぐちゃに潰されてるよ」


「生首?」


「ああ。紙に書いてあったろ、リタイアすんのに参加者の生首がふたつ必要だって。しかも、ハンターの首じゃ駄目なんだよ。参加者のものでないとな」


「じゃあ、あたしたちに殺し合いさせるために……」


「まあ、そうだろうな。殺し合いをさせるため、リタイアのシステムがあるんだよ。このゲームを考えた奴は、本当に性格が悪いぜ」


 井上が答えると、蘭の体がわなわな震えだした。恐怖によるものではなさそうだ。


「誰が、こんなルール考えたんだろうね……」


 ややあって、呟くように言った。その声音には、怒りがこもっている。

 井上は、くすりと笑った。


「本当だよな。生首持ってくりゃ金に換えるなんざ、発想が戦国時代だよ」


「許せない……こんなの考えた奴には、絶対に報いを受けさせてやる。人の命を、なんだと思ってるの……」


 冗談めいた口調の井上とは対照的に、蘭の声は震えていた。壁を睨みながら、ブツブツと毒づいている。そこに、憎い何者かの顔が浮かんでいるようだった……。

 その姿を見て、井上が声をかける。


「そうだよ、その意気だ。報いを受けさせるためにも、まずは生き延びようぜ」


 


 

 ふたりは、通路を進んでいく。通路は一本道で、前に進すむ以外の選択肢がない状態だ。

 だが、その単純な一本道はいきなり終わりを告げた。


「何か変だぞ。妙な音がしてる」


 言いながら、井上はしゃがみ込んだ。その姿勢から、慎重に扉を引いていく。すると、扉は簡単に開いた。井上は、中を慎重に覗き込む。

 そこは巨大な部屋だった。今までのものとは、広さがまるで違う。部屋というより、大広間といった方が正確だろう。どこかの学校の体育館くらいの大きさだ。

 大広間の中央には、巨大なプールのようなものが設置されている。床がすっぽり切り取られており、中には並々と水が入っているのだ。水は汚く濁っており、底の様子は見えない。また、サイズはかなりの広さだ。スポーツジムの屋内プールほどの大きさだろうか。向こう側まで、二十メートルはありそうだ。言うまでもなく、飛び越えられるような長さではない。プールサイドには、鉄製のハシゴが設置されている。

 プールの向こう側には、扉があった。後から入ってきた蘭は、不安げな顔つきで尋ねる。


「このプールを渡らないといけないの?」


「向こう側の扉を開けるには、渡るしかない。だが、それには問題がある」


 そう言うと、井上は鉄棒を手にした。プールに近づき、先端の部分から水面に浸していく。

 次の瞬間、水面が泡立った。同時に、鉄棒がぶるぶる震える。感触からして、水の中に潜む何かが攻撃を仕掛けているらしい。それも一匹や二匹ではない。数十という数のようだ。

 井上は顔をしかめ、さっと鉄棒を引き上げた。渋い表情を浮かべ、蘭の方を向く。


「見ろ、何か襲って来やがった。たぶん魚だろう。この中には、飢えた魚が大量に泳いでやがる。ふざけた話だよ」


「魚? ピラニアがいるの?」


「どうだろうな。ピラニアってのは、実は臆病な魚なんだよ。こんな積極的に、人を襲うことはないはずなんだよ」


 井上は、呟くように言った。そう、本来ピラニアは臆病な魚である。水の中に落ちた動物を襲い、一瞬で骨に変える……そんなイメージが強いが、実際には自分より大きな生物を襲うことはほとんどないと言われている。


「じゃあ、何がいるの?」


 蘭が口にした疑問に、井上はかぶりを振った。


「わからない。もしかしたら、見たこともない種類の魚かもな。あるいは、興奮剤か何かで凶暴にさせられている可能性もある。いずれにしても、ここを泳いで渡るのは危険すぎる。魚に襲われるのがオチだ。引き返そう」


「わかった」


 ふたりは、引き返そうと向きを変えた。だが、井上の表情が変わる。 


「静かにしろ。誰かが、こっちに近づいてる」


 低い声で言うと、鉄棒を握った。蘭もナイフを構える。

 足音が聞こえる。それも、こちらに近づいていた。隠す気がないらしい。不用心なのか、それとも余程の自信があるのか。

 やがて、ドアノブが回される。金属音とともに、ドアは開いた。

 同時に、井上が怒鳴る。


「おい止まれ! 入って来たら殺すぞ!」


 すると、外から声が聞こえてきた。


「ちょっと待て! 止まるから、まずは話を聞いてくれ!」


 そう言って入って来たのは、ひとりの男だった。年齢は二十代から三十代前半だろう。背は高く、井上とほぼ同じくらいか。首にはタトゥーが入っており、顔は厳つい。昼のオフィス街より、夜の繁華街が似合うタイプだ。青い作業服を着て、同じ色のリュックを背負っている。

 そんな男が、入口のところで両手をあげ立ち止まった。その体勢で、話を続ける。


「俺は昔、このゲームをクリアしたことがある。ここの仕掛けも知ってるんだ。この中には、プールの付いた部屋があるだろ? 中に、おっかない魚がうようよいるプールだ」


「ああ、あるよ。それがどうした?」


 井上が聞き返す。


「あの部屋を抜ければ、ゴールまではほぼ一本道だ。迷うようなところはない。俺は、あのプールの渡り方を知ってるんだ」


 そう言うと、男は笑みを浮かべる。ただし、その笑顔はこわばっていた。蘭と井上は、無言のまま話を聞いている。


「なあ、あんたら俺と組もうぜ。そうすれば、あのプールの部屋を突破できるんだ。それだけじゃない。最短ルートでクリア出来るんだよ。ここには、他にもヤバいトラップが仕掛けられている。俺がいれば、そんなもんに引っかかる心配がなくなるんだ」


 身振り手振りを交えつつ、男は語り続ける。と、ここで井上が口を開いた。


「俺たちは、ついさっき同じ参加者に会った。そいつもな、自分はリピーターだとか言ってやがったんだよ。組もうと言って来たが、信用できねえから断った。すると、そいつは襲いかかってきたんだよ。何とか返り討ちにしたけどな、あいつは本気で俺たちを殺す気だった」


「いや、俺はそいつとは違うぜ──」


 男が口を挟んだが、井上はじろりと睨んだ。


「黙って最後まで聞け。あいつは、本当にリピーターだったんだと思う。俺たちふたりを殺して、リタイアを狙ってたらしい。それが、もっとも手っ取り早くここから出る手段だろうからな。あんたが、同じことをしないという保証はあるのか?」


 凄みの利いた声で尋ねる井上に、男は怯えた顔つきで後ずさる。が、その表情が明るくなった。


「だったら、俺の武器をあんたに預ける。これでどうだ?」


 言ったかと思うと、男はその場にしゃがみ込んだ。リュックの中から何かを取り出し、床の上に置く。

 それは手榴弾だった。アクション映画で見られるような球状の形をしており、ピンが付いている。この状況で爆発すれば、本人はもちろん井上もただでは済むまい。

 そんな物騒なものを、男はそっと床に置いた。


「これが、お前の武器なのか? これひとつか?」


 井上の問いに、男は頷いた。


「ああ、そうだよ。こんなのひとつじゃあ、まともに戦えねえからな。下手に爆発させたら、こっちの身も危ないし。なあ、これでどうよ?」


 そう言うと、男は笑った。もっとも、それは卑屈な笑い方であった。

 井上はしゃがみ込むと、そっと手榴弾を拾った。途端に、男はビクッと反応する。

 だが、井上はそのまま手榴弾をポケットに入れた。直後、口を開く。


「わかった。信用しよう。お前、名前は?」


「上松だ。上松守だよ」


「そうか。俺は井上正樹、こっちは冬月蘭だ。よろしくな」


「井上さんに冬月さんだな。こちらこそよろしく」


 ぺこぺこ頭を下げながら、上松は室内に入って来る。蘭は固い表情を浮かべながらも、軽く頭を下げた。

 その時、井上が彼に近づいた。肩に触れたかと思うと、じろりと睨みつける。


「上松よう、ひとつ言っておくぞ。俺、もしくは冬月にちょっとでも妙な真似をしたら、その場でぶっ殺すぞ。いいな?」


 凄みの利いた声だった。上松は、慌ててうんうんと頷く。


「わ、わかってるよ。まずは、このプールをクリアしないと話にならないからな。俺に付いて来てくれ」


「はあ? どういうことだよ」


「別の部屋に、プールの水を抜くスイッチがあるんだ。そっちに行ってみよう」





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