ハンター(5)
じりじりと近づいて来る榎本。その顔には、不気味な表情が浮かんでいる、
井上が、このハンターにマサカリの一撃を入れるには、懐に飛び込まなくてはならない。だが、それを実行するには、巨人の振り回す鉄棒をかいくぐる必要がある。あの巨体から繰り出される打撃を一発でももらえば、その瞬間に勝敗は決する。頭に当たれば即死だろうし、胴に当たれば、骨折プラス内臓破裂は間違いない。こちらの場合も、一撃で終わりである。
榎本も、それがわかっている。だからこそ、無闇に突進してきたり棒を振り回したりはしない。勝つには、一撃いれれば充分である。じっくり慎重に追い詰めていくつもりなのだ。
井上の方は、その場にて留まっている。不利な状況にもかかわらず、動く気配がない。低い姿勢のまま、じっと目の前の巨人を見つめている。顔には冷めきった表情が浮かんでおり、怒りも怯えもない。何を考えているのかすら、顔つきからは読み取れない。
両者の間合いが、徐々に縮まってきた。二メートルを切った瞬間、ようやく井上が動いた。リュックを、相手の顔めがけ投げつける──
榎本は、鉄棒を振るい飛んできたリュックを弾き落とす。リュックは、壁に叩きつけられた。彼の視線が、一瞬ではあるが井上から逸れる。
と同時に、井上は攻撃を開始していた。その場にて軽く跳躍したかと思うと、体を地面と平行に滑らせていく。サッカーのスライディングタックルだ。いや、超低空の飛び足刀横蹴りといった方が正確だろう。
全体重を乗せた蹴りが、榎本の左足首に炸裂した。ボキッという音の直後、大男の口から呻き声が漏れる。井上の全体重をかけた蹴りにより、足首が砕かれたのだ。そうなると、この巨体が文字通りの重荷となる。折れた足首では体を支えきれず、どすんと片膝を着く。
井上の方は、さらに追撃していった。寝たままの体勢から、マサカリを振る──
その刃は、左脇腹に突き刺さる。痛みのあまり、榎本は吠えた。並の人間なら、その一撃で勝負は決していたかもしれない。しかし、榎本の腹周りには脂肪と筋肉が分厚く付いている。その肉が壁の役目を果たし、致命傷となるのを防いだのだ。
直後、獣のような咆哮と同時に、榎本はぶんと左腕を振った。ラリアット気味の裏拳、のような攻撃だ。さすがの井上も避けきれず、その一撃をまともに受けてしまう。力任せに腕をブンと振っただけの攻撃だが、そもそも腕自体が大きい上、力自体も人間離れしている。丸太のような腕でぶん殴られ、井上は軽々と吹っ飛ばされた。為す術なく、通路を転がっていく。
榎本は、憤怒の形相で左脇腹を睨む。そこには、マサカリが刺さったままになっていた。
再び吠えたかと思うと、彼はマサカリを掴んだ。脇腹から、一気に引き抜く。
途端に、傷口から大量の血が吹き出した。しかし、榎本は構わずマサカリの柄を両手で握る。いまいましげな表情で見つめた。
次の瞬間、腕に力を込める。一秒もかけすに、マサカリをへし折ってしまったのだ。恐ろしい怪力である……が、その動きは今の状況では無意味なものだった。マサカリをへし折る暇があるなら、井上が何をしているか見ておくべきだったのだ。
戦いでは、絶対に相手から目を離してはいけない。基本中の基本であるが、榎本は生まれつきの強者である。苦戦などしたことがない。相手から目を離していても、鼻歌まじりで勝てるような相手としか戦っていなかったのだ。そこが明暗を分けた。
井上はというと、この千載一遇のチャンスを逃す男ではない。榎本の背中に飛びつき、両足を彼の腹に絡めた。同時に、右腕を首へと巻きつけ絞める。バックチョークが、完璧な形で入ったのだ。
この技は、首の動脈や気道を腕で絞め意識を失わさせる。がっちり極まれば、人間の腕力で外すことなど出来ない。完璧な形で入れば、女性でも屈強な大男を絞め落とすことが可能だ。
突然のことに、榎本は何が起きたかわからず必死でもがく。しかし、井上は腕を狭めて絞め上げていく。これだけの体格の差と腕力の差があっても、がっちり極まったバックチョークを外すことは出来ないのだ。しかも、井上は素人ではない。これまでに、戦いの中で何度もバックチョークを使い、相手を絞め落としている男なのだ。
時間の経過とともに、ジタバタもがいていた榎本の動きが止まる。振り回されていた太い腕も、ダランと力なく垂れ下がる。脳への血流が途絶え、意識を失ったのだ。いわゆる「落ちた」状態である。
井上は、それでも腕を離さない。万一、息を吹き返し追いかけて来たりしたら面倒だ。このまま、完全に絶命するまで絞め続ける──
「終わったぞ」
井上の声に、蘭ははっとなった。ナイフを握りしめ、立ち上がる。
「こっち来て見てみろよ。こんなデカい日本人、見たことねえぜ」
その言葉に、蘭は恐る恐る近づいていく。途端に、小さな声を上げる。
巨大な男が、うつ伏せで倒れている。蘭のこれまでの人生で見てきた中で、もっとも大きなサイズの人間だろう。海岸に打ち上げられたアザラシを連想させる巨体だ。先ほど見たハンターと同じく、頭には軍事用ヘルメットを被っており上半身は裸だ。
「この人、死んでるの?」
そっと尋ねると、井上は頷いた。
「ああ、死んでるよ。でなきゃ、お前を連れて来ないからな。それにしても、とんでもねえ奴だったよ。見た感じ、こいつもハンターのようだな」
言いながら、いまいましげに死体を蹴飛ばす。だが、びくともしない。大きさのみならず、重さも相当なもののようだ。井上は、さらに言葉を続ける。
「この野郎、俺のマサカリをへし折りやがった。仕方ねえから、こいつを使わせてもらうか」
言った後、床に落ちているものを拾い上げた。
それは、榎本が使用していた鉄棒である。長さは六十センチから七十センチほどあり、ずしりと重い。おそらく二キロから三キロくらいだろう。ダンベルなら軽いサイズだが。この鉄棒は長い上に先端が重く作られている。そのため、実際の重量よりも遥かに重く感じるし、扱いづらいのだ。
井上は、試しに片手で振ってみた。だが、すぐに苦い表情になる。扱いづらそうだ。普通の人間なら、両手でなければ振り回せないだろう。腕力のある井上でも、片手で扱うのは楽ではない。
「全く、とんでもねえ化け物だな。こんなもん、よく片手で使えたよ。その点だけは褒めてやる」
死体と化した榎本に呟くと、井上は武器を両手で持ち直した。バットのように、ブンブン振ってみる。
「よし、これなら何とかなりそうだ」
・・・
当然ながら、その一部始終もちゃんと中継されていた。直島らは、その模様をずっと見守っていたのだ。
やがて、机の上のタブレットから声が聞こえてきた。安藤のものである。
「あの井上は、本当に大した男だな。僕は感動したよ。こうなったら、是非とも彼に会ってみたくなったな」
声からは、感嘆の思いが感じられた。この言葉は、本気なのだろう。
「そう言っていただけると、僕も嬉しいです。いやあ、奴を参加させて良かったですよ」
そう返した直島の表情は、本当に嬉しそうだった。まるで、自分が褒められたかのようである。
「それに比べると、あの石丸はだらしないねえ。暴走族総長だったというから、少しはやれるかと思っていたのだがね……期待外れもいいところだ」
吐き捨てるような口調で語った安藤。直島も、ウンウンと同調の意を表す。
幼い頃から、手のつけられない悪ガキとして近隣でも有名だった。成長して不良少年の仲間入りをすると、『鬼武者』なる地元の暴走族に入る。ほどなくして総長になると、メンバーを率いてバイクであちこち走り回っていた。もちろん、ただ走るのではない。集団での暴走、喧嘩、恐喝などなど、「ヤンチャ」と呼ばれることは一通り経験していた。
やがて、ヤンチャでは済まないことをやってしまう。ある日、仲間らと大量に酒を飲んだ後、バイクを走らせていた。そこで、家族連れの車にクラクションを鳴らされ、頭に来てバイクで散々に煽った。挙げ句、車は彼から逃れようと無茶な運転をし、ガードレールに激突してしまったのである。父は死亡、母は車椅子生活を余儀なくされ、娘は脳に障害を負った。
石丸は、危険運転致死傷罪で逮捕される。にもかかわらず、当時は少年であったため十年に満たない刑期で出所した。
「まあ暴走族なんて奴らは、しょせんガキの遊びレベルの戦いしかしてこなかった連中ですからね。仕方ないですよ。武器も外れでしたしね。このゲームでは、スタンガンは外れと言ってもいいんじゃないですか?」
軽い口調で聞いた直島に、安藤ほくすりと笑った。
「まあ、当たりか外れかでいうなら外れだろうね。ただ、それを言うなら冬月蘭の武器は完璧な外れだよ。何せ、防弾ベストだからね。にもかかわらず、彼女は生き延びている」
そう、彼らの武器は全てランダムで選ばれている。スタッフが、誰に何を持たせるか決めているわけではないのだ。当然、当たり外れという要素も大きい。拳銃から防弾ベストに至るまで、実に様々なものが用意されている。
もっとも、武器の良し悪しが戦いを決定するとは限らない。現に、拳銃を引き当てることの出来た吉本は、宮村の不意討ちで殺されてしまった。
吉本を殺し拳銃を奪った宮村はといえば、井上にあっさりと殺られてしまった。どちらも、一発の発砲も出来ずに命を奪われている。優れた武器があっても、使いこなすことが出来なければ宝の持ち腐れでしかない。
「そうですね。蘭の運の強さは大したものです」
「しかし、あの榎本がこんなに呆気なくやられるとはね。完全に予想外だったよ。こうなると、こちらも隠し球を出そうかな」
「隠し球? 何です、それは?」
不安そうに尋ねる直島に、安藤は嬉しそうな顔で答える。
「君は以前、言っていたよね。人間を超越したハンターがいると聞いた……と。そのハンターを、特別に投入するよ」
「本当ですか!?」
「うん。君の秘蔵っ子である井上が、奴とどう戦うのかな。実に興味深い」
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