ハンター(4)

 ふたりは、通路を慎重に進んでいく。井上が先に進み、蘭が後を付いていく形だ。彼女は時おり、振り返っては背後からの襲撃にも備えている。


「クソ、思ったよりもずっと広いな。油断すると、同じ場所をぐるぐる回ることになりそうだ」


 井上が、誰にともなく呟いた。だが、次の瞬間に足を止める。


「止まれ。何か変だぞ」


「どうしたの?」


 尋ねる蘭に、井上は小さくかぶりを振った。


「声を出すな。何か聞こえるんだよ。あれは、ヤバい音だ」


 言ったかと思うと、壁にピタリと背中をつけた。蘭も、わけがわからないまま見よう見まねで背中をつける。

 直後、喚くような声が聞こえてきた──


 ・・・


 その少し前。

 ふたりから少し離れた場所で、茶色の作業服を着た男が、通路を進んでいた。中肉中背で、年齢は二十代から三十代といったところか。背中には茶色のリュックを背負い、怯えた態度でキョロキョロしながら進んでいく。

 この男もまた、参加者であった。いきなり意識を失い、気がついたらここに連れて来られたのである。自身が何に巻き込まれたのか、おおよその状況を呑み込んでいた。だが、今そこに迫る危機には、全く気づいていなかった。

 突然、男は立ち止まった。妙な気配を感じ取り、ゆっくりと振り返る。途端に、ヒッと声をあげた。

 巨大な男が、こちらに歩いて来ていたのだ。頭には戦闘用ヘルメットを被り、上半身は裸である。胸板は分厚く腕も太い。もはや、同じ人間とは思えないような大きなサイズの男である。巨人と言っても、誇張にはならないだろう。

 その巨人は、右手に鉄の棒を握っている。ベースボール用のバットほどの長さで、先端付近には鉄のトゲがびっしりと付いている。さながら、漫画などに登場する釘バットのような形状だ。左手には、フリスビーほどの大きさの盾があった。手で持っているのではなく、前腕に括り付けられている。まるで、古代ローマの剣闘士のような出で立ちである。

 言うまでもなく、この巨人は剣闘士などではない。参加者を殺すために先ほど投入された、ハンターの榎本健太である。

 彼は今、獲物を発見したのだ──


「お、おい、何なんだお前はぁ! こっちに来るんじゃねえよ! 来たらブッ殺すぞ!」


 男は威勢よく叫んだが、その声は震えている。直後、何かを前に突き出した。

 バチバチと音が鳴り、器具の先端が光る。その手に握られているのはスタンガンだ。スイッチを押せば、先端に数万から数十万ボルトの電流が発生する。その部分を押し当てることにより、相手に電気ショックを与える護身具だ。その衝撃は相当なものである。これこそが、彼に与えられた唯一の武器であった。

 そこらのチンピラが相手なら、わざわざ押し当てなくとも、見せるだけで脅しの効果はあっただろうが……あいにく榎本は、そこらのチンピラではなかった。数万ボルトの電流を前にしても、恐れる様子がまるでない。むしろ、楽しそうにニィと笑ったのだ。

 次の瞬間、鉄棒を振り上げ突進していく──


「く、来るなって言ってんだろうがぁ!」


 喚きながら、男はスタンガンをぶんぶん振り回した。半ば本能的な動きだったのだろう。バチバチという音が鳴り響く。だが、榎本はお構い無しだ。勢いよく鉄棒を振った──

 悲鳴が響き渡る。男の口から出たものだ。彼の手首は、榎本が振った鉄棒により砕かれた。肉片までもが、こそげ取れるほどの衝撃である。しかも、その一撃により唯一の武器であったスタンガンまでもが、手からすっ飛んでいってしまった。そう、スタンガンは相手に押し当てなければ、何のダメージも与えられないのだ。

 榎本の攻撃は、それでは終わらない。さらに、頭めがけ鉄棒を振り下ろす。男は、咄嗟に左腕を上げた。本能的な防御行為である。

 もっとも、それは無駄な抵抗……いや、抵抗にすらなっていなかった、榎本の怪力から繰り出される打撃は、腕の骨を簡単に粉砕し頭蓋骨を叩き潰す。男は、たった一発の攻撃で即死した。痛みすら感じる間もなく死んだことが、せめてもの救いであっただろう。

 男は即死したが、榎本は止まらない。その場にしゃがみ込むと、死体と化した男の服を剥ぎ取る。あっという間に、男を全裸にしてしまった。

 そこから榎本は、さらなる異様な行動を始める。男の裸体めがけ、鉄棒を振り下ろしたのだ。

 男は……いや、かつて男だった肉塊は、ベチャッという音を立てた。人体は無惨に潰れ、血と肉片が周囲に飛び散る。

 まともな人間なら、見ただけで嘔吐するような光景だろう。しかし、榎本は真逆の反応をした。


「ヒョオォォ! ウエエェェイ!」


 天井を仰いだと思うと、異様な奇声を発したのだ。その顔には、嬉しくてたまらないという表情が浮かんでいる。同時に、鉄棒を振り上げ足を踏み鳴らした。ドスドスという大きな足音が響き渡る。

 その様は、異様としか表現の仕方がなかった。身長二メートルを超える巨人が、むごらしい状態の死体を前にして歓喜の雄叫びを上げ、幼児のように足を踏み鳴らしているのだ。もはや、B級ホラー映画に登場する巨大なモンスターの所業である。

 榎本の奇行は、さらに続く。突然、わけのわからない歌を大音量で口ずさみだした。さらに、その場でピョンと飛び上がる。彼の巨体が飛び上がると、見ている者は地響きでも起きそうな錯覚に襲われるだろう。

 直後、鉄棒を振り下ろした──

 飛び上がっての鉄棒の一撃は、肉塊を容赦なく潰していく。楽しそうな顔で、飛び跳ねながら鉄棒を振り下ろす。それも、一度では終わらない。繰り返し、飛び上がっては鉄棒で叩き続けているのだ……幼児が、おもちゃで遊んでいるかのようである。当然、死体はグチャグチャになる。もはや人の形を留めておらず、常人にはそれが何であるかすらわからないだろう。

 奇声と共に飛び上がり、鉄棒を振り下ろし、原型を留めぬまで死体を潰し歓喜の表情を浮かべている巨人……その模様は、悪夢と表現するのも生ぬるいものであった。

 だが、狂乱のダンスは途中で止まった。榎本の表情が変わり、通路を睨みつける。何かに気づいたのだ。

 巨人は、荒い息を吐きながら歩き出した。


 ・・・


 蘭と井上は、その惨劇の現場からさほど遠くない位置にいた。男の悲鳴や榎本の奇声などが、全て聞こえていたのだ。


「ここで待っていろ。何があったのか見てくる」


 そう言って、井上は歩き出した。だが、蘭は引き止める。


「待ってよ。どうしても見に行かなきゃならないの?」


「ああ。おそらく、この先にハンターがいるだろう。放っておいたら、不意討ちを食らわされるかもしれないんだ。それに、逃げ道もない。逃げているところを、他の連中に狙われる可能性もある。目の前の障害は、ひとつずつ突破していくしかないんだ」


 震えている蘭に囁くと、彼女は頷いた。


「わかった。じゃあ、あたしも一緒に行く」


「いいだろう。だがな、戦うのは俺だ。お前は、離れた位置から後ろを守っていてくれ。誰かが来たら、声をあげて知らせろ。万一、俺が殺られたら、迷わずに逃げるんだ。いいな?」


「わ、わかった」


 蘭は、震えながらも頷いた。




 井上は、音のする方へと近づいていく。その音の源にあるものが何であるか。また何が待ち受けているかは、見るまでもなくわかっていたはずだ。それでも、彼は前進していった。

 と、音が変わる。何か重いものを叩きつける音が止み、代わりに荒い息遣いが聞こえてきた。

 歩みを止める井上。その時──


「そこにいるのは誰だあぁ!」


 人の声だ。もちろん蘭のものではない。さすがの井上も、思わず舌打ちした。足首を立てずここまで来たはずなのに、あっさり気づかれてしまったのだ。犬並みに鼻が利くのだろうか。

 次の瞬間、ばたばたという音が響き渡る。こちらに近づいているのは明白だ。にもかかわらず、井上の方はその場に立ち止まっている。彼に逃げる気はない。ここで逃げても、後でまた出くわすかもしれないのだ。ならば、今ケリをつけるしかない。

 曲がり角から、勢いよく現れたのは……巨人のハンター・榎本健太である。井上を見るなり、ニィと笑った。


「見いぃつけたあぁぁ!」


 言葉そのものは幼児のそれだが、声は獣のようである。吠えた直後、榎本は鉄棒を構えズンズン歩き出す。もちろん、獲物である井上のいる方向にだ。両者の体格差は、大人と子供くらいあるだろう。井上も大柄な方だが、榎本とでは比べものにならない。

 榎本は、自信に満ちた態度で近づいて来る。その顔には、笑みが浮かんでいた。嬉しくて楽しくて仕方ない、そんな表情だ。根っから人殺しが好きなのだろう。いや、好きというより……薬物依存にとっての麻薬のようなものなのかもしれない。

 一方の井上は、低い姿勢でマサカリを構えていた。左手には、防弾ベストの入ったリュックを持っている。先ほど中山と戦った時は、このリュックを盾代わりに使うことが出来た。しかし、榎本を相手にして、その使い方は不可能だろう。この大男の腕力は人間離れしている。体格を見るだけでも明らかだ。

 しかも、武器はトゲの付いた鉄棒である。この鉄棒で殴られたら、リュックごと腕をへし折られてしまうだろう。防弾ベストでは、刃物による切り傷は防げても、殴られることにより生まれる衝撃は防げない。

 状況は、圧倒的に不利だ──





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