ハンター(3)

 通路には、宮村の死体が転がっている。

 その顔には、苦悶の表情が浮かんでいた。死体と化した今も、死ぬ間際に感じた苦痛と恐怖は消えていないらしい。大量の血が流れ、床をドス黒い色に染めていた。

 死体の傍らでは、蘭が床に座り込み、水筒に口をつけている。目を覚ましてから一時間も経っていないはずなのに、ひどくやつれた表情をしていた。丸三日間、不眠不休で歩き続けたと言われても信じられるほどだ。顔色の悪さという点では、死体である宮村とさほど変わらない状態である。

 それも仕方ないだろう。この短い間に、ふたりの死体を見たのだ。しかも、うちひとりは先ほどまで生きていたのである。動く姿を見て会話も交わした人間が、死体へと変わる瞬間を間近で見てしまったのだ。その精神的ダメージは、計り知れないものがある。普通に生きていれば、絶対に見ることのないものだ。また、見たくもないものでもある。

 一方、井上はというと……人を立て続けにふたり殺した直後だというのに、休むことなく動き続けているのだ。今もマサカリをチェックし、切れ味を確かめたり軽く振ったりしている。

 この迷宮に入ってから、まだ一時間も経っていないだろう。にもかかわらず、ここまでの行動を見れば、井上という男がこれまで過ごしてきた人生がどんな内容のものなのか、誰でも容易に想像がつくだろう。蘭は、彼を複雑な表情で見つめていた。

 やがて、井上の顔は蘭に向けられた。


「このマサカリは、俺が使おう。ナイフは、お前が使え」


「あたしが?」


 急に話を振られ、蘭は彼の方を向いた。


「当たり前だ。このマサカリは片手用だし、振り回すにも腕力がいる。しかも、使い方は切ることだけだ」


 言いながら、井上はナイフを手にした。蘭の前で、振ったり突いたりして見せる。


「一方、このナイフは切るだけじゃない。刺すことも出来る。力のないお前でも扱える。お前がナイフを使い、俺がマサカリを使う。これが適材適所ってヤツだよ」


 言いながら、ナイフの柄を向けて差し出してきた。


「う、うん、わかった」


 蘭は頷くと、ナイフを受け取る。剥き出しの刃を、じっと見つめた。

 そんな彼女に向かい、井上はさらに語り続ける。


「いいか、こいつには二種類の使い方がある。相手を牽制し近寄らせたくない時は、こうやって振るようにするんだ。相手が手なんか伸ばして来た時は、そこを狙って切る。こんな風にな」


 言ったかと思うと、井上は立ち上がった。蘭の目の前で、ナイフを振って見せる。その動きは滑らかで、彼がこうした凶器の扱いに慣れているのは明白だった。


「ただし、相手を殺す時は両手で持つんだ。体でぶつかるつもりで刺す。刺した後はえぐるように動かして、内臓を切り裂く。わかったな?」


「殺す時?」


 蘭は、歪んだ表情で聞き返す。人を殺したくない、という気持ちが、全身から滲みでていた。

 その態度を見て、井上は不快そうな表情を浮かべる。


「当然だよ。こんな奴らが他にもいるんだぞ。殺らなきゃ、こっちが殺られるんだ。それとも、お前はこんな場所で死にたいのか?」


「そう……だよね。これを使う時も、あるかもしれないんだね。殺さなきゃ、ならないんだよね」


 蘭は手にしたナイフに視線を落とし、自分に言い聞かせるかのように呟いた。

 一方、井上は静かな口調で語り続ける。

 

「そうだ、殺さなきゃならないんだよ。さっきも言ったが、お前が俺の背中を守るんだ。その代わり、俺が正面から戦う。お互いの能力を考えた役割分担だよ。いいな?」


 その問いに、蘭はこくんと頷いた。すると井上は、リュックを背負い立ち上がる。


「そろそろ出発しよう。歩けるな?」


「大丈夫、歩けるよ」






 話が終わり、ふたりは通路を歩いていく。先ほど宮村がいた場所とは、反対の方向へと進んでいった。

 マサカリを右手に持った井上が先頭に立ち、ナイフを握りしめた蘭が続く。T字路を右方向に曲がり、慎重に歩いていった。

 しばらくすると、通路は左方向へと曲がっている。井上が立ち止まり、曲がり角をそっと除いた時だった。またしてもチャイムが鳴り響く。

 蘭はビクリとなり、不安げに井上を見つめる。その井上は立ち止まり、油断なく周囲を見回した。

 もう一度、チャイムが鳴る。次いで、アナウンスが聞こえてきた──


「皆さん、最初のハンターが投入されてから三十分が経過しました。それでは、次のハンターを投入します。くれぐれも気をつけてください。では、幸運を」


「な、なにそれ……またなの」


 蘭は、怯えた表情で周囲を見る。井上は、そっと彼女の腕を掴んだ。


「ああ、まただよ。さっきの刀野郎みたいなのが投入されたんだ。うかうかしていられない。急ぐぞ」


「急ぐって、どこに?」


「ここじゃない場所だよ。さっきも言ったが、立ち止まっていたら不利になる。じっとしていても、誰も助けてくれない。自力で突破するしかないんだ」


 そう言うと、井上は彼女の腕を引き進んでいく。蘭は、言う通りにするしかなかった。


 ・・・


 そんな両者の姿を、直島は別室にてじっと眺めている。机に置かれたタブレットからは、安藤の声が聞こえてきた。


「それにしても、井上と冬月はどうしたんだろうね。ついさっき会ったばかりなのに、今ではお互いを信頼しきってるじゃないか。何十年と連れ添った夫婦でも、ああまでお互いを信頼しちゃいないだろう。何なんだろうね」


「冬月蘭は、根っからの善人ですからね。井上正樹の方は、根っからの悪人です。頼れる者のない冬月は、井上を信用するしかないんでしょうね。井上は、冬月のそうした部分を見抜き、上手く利用しようとしている。それだけですよ」


 そう、冬月蘭は井上正樹に頼る以外の選択肢がないのだ。ひとりだったら、今ごろ死んていたであろう。


「なるほどな。全く、今回は予想外のことだらけだな。いっそ、このままふたりが最後まで行く姿を見たくなってきたよ。そして、あの放送を聞いた時にどんな顔をするか……実に興味深いね」


 言った直後、安藤のくすくす笑う声が聞こえてきた。あの放送とは、最後の部屋にて流れる「出られるのはひとりだけ」というアナウンスだ。


「そうですね。まあ、井上が冬月を殺して終わりでしょうが……」


 そう言う直島の視線の先には、誰も映っていないモニターがある。他のものには参加者たちが映し出されているが、直島は何者も映っていない画面を注視しているのだ。

 見ているうちに、映し出されている場所は急激に変化していく。まず、壁の一部が動く。コンクリート製の壁が、自動ドアのように開かれたのだ。出来た空間から、さらに異様な格好をした者が登場する。

 その男は、中山と同じく軍用ヘルメットを被っていた。上半身に、何も着ていない点も同じである。だが、持っている武器は違っていた。右手には、先端とその周辺に大量のびょうを打ち付けた鉄棒を握っている。左の前腕には、円形の鉄板が括り付けられていた。古代ローマの剣闘士を思わせる出で立ちである。

 背は異様に高い上、肩幅も広くがっちりした体格だ。とはいえ、ボディービルダーのような体脂肪の低い体ではない。髭は濃く、目には残忍な光が宿っている。


「これはまた、とんでもないのが出てきましたね。あれは何者です?」


 直島が尋ねると、安藤は小さく頷きながら答える。


「確かに、アレはとんでもない奴だよ。名前は榎本健太エノモト ケンタといい、これまで八人の女性を強姦し殺害した。しかも、殺した女性の頭蓋骨を戦利品として保管していたんだよ。典型的な快楽殺人鬼さ」


「そんな奴がいたとは、知りませんでしたよ」


「知らないのも仕方ないさ。何せ、この連続殺人事件の詳細はマスコミには伏せられていたからね。捜査の結果、榎本健太が容疑者として浮かび上がったが……奴は山の中に逃げた。そこを、我々が拉致したのさ。榎本は、公には山の中で死んだことになっている」


「そうでしたか。それにしてもデカいですね。日本人とは思えない体格です。欧米人でも、あそこまでデカいのは珍しいんじゃないですか」


 そう、モニターに映る姿は熊のように大きかった。それも、腕の筋肉が盛り上がっているとか胸筋が発達しているとか、そういう体ではない。人体のひとつひとつのパーツが、常識外れの大きさなのだ。手のひらはキャッチャーミットのように大きく、足も三十センチを優に超えるサイズである。遠目から見れば、ゴリラと間違われていてもおかしくない。

 安藤は、くすりと笑いながら言葉を返す。


「彼の身長は二メートル十センチ、体重は百四十キロだ。しかも、腕力は尋常ではない。特にスポーツに打ち込んでいたとか鍛えていたとかいうわけではないらしいのだが、握力は百キロ、背筋力は三百キロ以上あったらしい。まさに、神が強者として作り出した者としか言いようがないね」


 聞いた途端、直島は溜息を吐いた。呆れるのと感心とが入り混じった溜息だ。


「それは凄い。しかし。実にもったいないですね。相撲でもやれば、横綱になれたかもしれないのに」


「無理だよ。あの榎本は、相撲部屋のしきたりや細かいルールを守れるような男じゃない。それに、彼は相撲よりも人殺しの方が好きなんだよ。幼い頃、プロレスごっこのつもりで同級生を殺して以来、ずっと殺人の魅力に憑かれている」


「そうでしたか。前回にも、あれは参戦していたんですか?」


「いや、今回が彼の初陣だ。ひょっとしたら、榎本ひとりで参加者を全滅させてしまうかもしれないよ」


 聞いていた直島は、またしても溜息を吐く。


「本当に素晴らしい。ここは、まさに夢の国です」


 恍惚とした表情で呟く。その目は、モニターに映っている大男を凝視していた。






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