リピーター

 ふたりは、通路を戻っていった。曲がり角の手前にあった扉を開けると、さらに通路がまっすぐ伸びている。

 その通路を道なりに歩いていくと、やがて二手に分かれていた。左右に分かれたT字路になっている。

 井上ほ立ち止まり、蘭に手のひらを向ける。ここで待っていろ、というジェスチャーだろう。彼女は、無言で頷いた。

 ナイフを構え、そっと進んでいく井上。分かれ道の手前で立ち止まると、低い姿勢でまず左側を覗いた。

 途端に、表情か一変する──

 

「お前、そこで止まれ! でないと殺すぞ!」


 怒鳴りながら、ナイフを構え立ち上がる。その罵声は、蘭に向けられたものではない。何者かが、そこにいるのだ。

 蘭は、思わず進み出ていった。彼の前に何者がいるのか、確かめるためだ。そっと井上の背後に回り、何がいるのか覗く。

 すると、声が聞こえてきた。


「ちょっと待ってくれ!」


 叫んだのは、赤い作業服を着た男だ。年齢は三十代から四十代、中肉中背で髪は金色に染まっている。赤いリュックを背負い、右手には小型の斧(いわゆるマサカリ)を持っていた。

 鋭い表情で男を睨みながら、井上はナイフを構えている。両者の距離は、ざっと五メートルから六メートルほどだろうか。

 今にも飛びかかって行きそうな井上に向かい、男はなおも叫ぶ。


「俺は、戦う気はない!」


 そう言うと、男はしゃがみ込んだ。手に持っていたマサカリを、そっと床に置く。井上は、その刃に目を凝らした。

 しかし、それは一瞬である。すぐに目線を男へと向けた。


「ほら、武器は置いたぞ。今、そっちに行くからな」


 言った後、男は近づいて来る。それに対し、井上はナイフの切っ先を彼に向けたまま声を発した。


「待て。それ以上近寄るな。でないと、お前を殺す」


 すると、男はピタッと立ち止まる。両手を挙げ、愛想笑いを浮かべた。


「わかった、止まるよ。だから、話だけでも聞いてくれ」


「聞くだけならいいぜ。で、話ってのは何だ?」


「お、俺の名前は宮村浩一ミヤムラ コウイチだ。昔、このゲームに参加したことがある。リピーターなんだよ。だから、このゲームには詳しい」


「リピーター? 経験者ってことか?」


「ああ、そうだよ。聞いてくれ。このゲームでは、参加者同士が協力し合うことが重要なんだよ。それに、俺は中の構造もだいたい覚えている」


「本当か?」


「本当だよ。この中には今、主催者が放ったハンターとかいう奴がうろついている。そいつらは武器を持ってるし、殺しにも慣れてる。見つかったら、あっという間に殺されちまうぞ。だがな、俺の言う通りにすれば脱出できるんだ。だから、俺と組もうぜ?」


 宮村と名乗った男は、身振り手振りを交え語り続ける。饒舌であり、滑舌もいい。黙っている井上と蘭に向かい、熱を帯びた態度で真剣に語り続ける。


「あんたらだって、組んでいるんだろ? だったら、俺とも組もうぜ。ふたりより三人の方が、より安全に進める。しかも、俺は中の構造も知ってる。俺と一緒に行けば、あんたらは安全にクリア出来るんだよ」


「確認だが、あんたは一度クリアしてるんだな? 賞金の一千万円を手にしたんだな?」


 ようやく口を開いた井上。その表情は冷たい。


「あ、ああ、そうだよ。俺と一緒なら、最短ルートでクリア出来る。みんなで金持ちになって帰れるんだ。迷うことないだろ? さあ、行こうぜ」


 急かす宮村に、井上はかぶりを振った。


「悪いが断る」


「お、おい!? あんた何を言ってんだ!?」


 宮村は、慌てて聞き返した。だが、井上の態度は変わらない。


「お前の言っていることは信用できない。信用できない奴とは組めない。さっさと消えろ」


 冷たい表情で言い放つ。

 宮村は顔を歪めるが、直後に蘭の方を向いた。


「き、君はどうなんだ!?」


「えっ?」 


 いきなり話を振られ、困惑の表情を浮かべる蘭に向かい、宮村は勢いこんで質問する。


「君は、こいつと一緒に行く気なのか!?」


「は、はい」


 戸惑いながらも、蘭は答える。すると、宮村はドスンと足を踏みのらした。


「君はどうかしてるぞ! 俺は、このゲームを一度クリアした。ハンターのことも、中の構造も知ってる。俺と一緒に来れば、安全に進めるんだよ。そんな俺より、この男の方を信用するのか?」


 言いながら、井上を指差した。だが、蘭の態度は変わらない。


「私も、井上さんと同じ気持ちです。あなたは信用できません」


 声を震わせながらも、はっきりと答える。

 その時、宮村は大げさに溜息を吐いた。下を向いたかと思っと、ポケットから何かを取り出す。と同時に顔を上げた。その手には、黒光りする拳銃が握られている──


「あーあ、ざけんじゃねえよ!」


 怒鳴る宮村。握りしめた拳銃の銃口は、井上に向けられている。先ほどまでの真面目そうな印象は剥がれ落ち、悪党の素顔が剥き出しになっていた。


「ったく、弾丸た まは温存しときたかったのによ、こんなトコで使う破目になるとはな!」


 チンピラのような口調で怒鳴りつける宮村に、蘭は思わず後ずさる。拳銃が相手では、いくらなんでも勝てない。

 しかし、井上の態度は変わらなかった。


「お前、それで勝った気でいるのか」


「当たり前だバーカ、お前がいくら強くてもな、こいつには勝てねえんだよ! 今、ぶっ殺してやる!」


 喚いた直後、宮村の前腕がビクンと震えた。見ている蘭もまた、思わずビクンと反応する。

 だが、それだけだった。何も起きない。驚愕の表情を浮かべる宮村に、井上はニヤリと笑った。


「バカは、お前だよ」


 言った直後、井上は襲いかかった──

 瞬時に間合いを詰め、右手に持ったナイフを振る。鋭い切っ先が、宮村の喉を切り裂いた。

 一瞬遅れて、パックリと傷口が開く。血が大量にほとばしり、宮村は左手で喉を押さえる。

 井上の左手が伸びた。宮村の髪を掴み、グイッと引き下ろす。その腕力は強く、抵抗など出来ない。されるがまま、宮村の顔が下を向いた。後頭部を、井上の前に晒す。

 直後、井上はナイフを振り下ろす。いつの間にか、逆手に持ち替えていたのだ。尖った刃は、下に向けられていた。

 宮村の首筋を、刃が貫く。切っ先は延髄まで届き、宮村は絶命した──


「いいか、こいつは安全装置を外さねえと撃てねえんだよ。まあ、今さら知っても遅いけどな」


 動かなくなった宮村に向かい、井上は吐き捨てるような口調で言った。

 宮村の持っていた拳銃ほ、グロック19のコピー品だった。先ほどの宮村は、安全装置のロックが作動している状態でトリガーを引いていたのだ。その状態では、どれだけトリガーを引こうが弾丸は発射されない。本物の拳銃を撃った経験がなかったのだろう。


「し、死んだの?」 

 

 おずおずと聞いてきた蘭に、井上は彼女の方を見もせず答える。


「ああ、殺した。でないと、俺たちが殺されてた」


 言いながら、床に置かれているマサカリを拾った。蘭の方を向き、刃を指差す。


「これ見ろよ」


「えっ?」 


 蘭は、井上の指差す部分に目を凝らす。と、その顔が歪んだ。

 マサカリの刃には、血が付いていたのだ。しかも、体毛や小さな肉片らしきものも付着している。


「もしかして、これが見えたから、あの人の申し出を拒否したの?」


 尋ねる蘭に、井上は口元を歪め頷いた。


「そうだよ。宮村は、こいつでひとり殺してるのほ確実だった。なのに、善人面して手を組もうなんて言ってきやがった。だから、信用できねえと思ったんだよ」


 そんなことを言いながら、井上は宮村の死体からリュックを外す。中を開けた途端、眉間に皺を寄せた。


「うわ、こいつはひでえな」


「何があったの?」


「見ない方がいいぞ。なんたって、人間の生首入りだからな」


「生首!?」


 蘭は、顔をしかめて後ずさる。そう、宮村はリュックの中に生首を入れていたのだ。おそらく死んだばかりなのだろう。血が大量にこびりついており、恐怖の表情を浮かべていた。

 一方、井上は冷静に語る。


「チョコレートバーや水筒なんかと一緒に、そんなものを入れてやがった。悪趣味な野郎だよ」


「何でそんなものを……」


「リュックに入ってた紙に書いてあっただろう。リタイアには、最低ふたり分の生首が必要だと。しかも、生首はひとつ百万円になる。俺たちふたりを殺して首を切れば、こいつは三百万円を手にしてたってわけさ」


「三百万のために、人を殺すの? それも三人も?」


「そうさ。南アフリカなんか行けば、もっと安い金額で人を殺す奴はいくらでもいる。しかもだ、この迷宮から脱出できるんだ。ただでも殺すさ」 


 そこで、井上の表情が険しくなった。


「よく聞くんだ。こいつが何者かは知らない。だがな、ゲームが始まって一時間も経たねえのに人をひとり殺し、生首を切り取った。こんなの、普通の人間に出来ることじゃねえ」


「じゃあ、この宮村は殺人鬼なの?」


「かもしれないが、俺の読みは違う。宮村が経験者だったって話は、嘘じゃないのかもしれない。こいつは前にも、このゲームに参加してる。その経験を活かし、いち早く自分なりのやり方で脱出を目指したってわけだ。出来るだけ早くふたりを殺し首を切り取り、リタイアルームを見つけてさっさと脱出する。それが、宮村にとってもっとも確実な脱出方法だったんだよ」


「そんな……」


 蘭は顔をしかめた。


「ひでえ話だよ。だがな、ひとつわかったことがある。こいつは拳銃を持っていたのに、問答無用で俺たちを撃ち殺そうとしなかった。不意を突いての騙し討ちを狙ってたんだよ。つまり、弾丸を温存しようとしていた。てことは、ここには拳銃でも持ってないと太刀打ちできねえのが出てくるかもしれねえってことだ」


「何が出てくるの?」


「さっきは、日本刀を振り回すイカレ野郎がいた。ひょっとしたら、もっととんでもないのが放たれるかもしれねえ。そうなったら、こんなナイフやマサカリだけじゃ勝ち目は薄いよ」


 そこで、井上はいったん言葉を切った。蘭の顔色が悪くなっている。とんでもない話を次々と聞かされ、気分が悪くなったのかもしれない。


「まずは、水を飲め。少し休んだら、出発するぞ」


 ・・・


 その様子を、例によって直島は別室で観ている。机に置かれたタブレットからは、安藤の声が聞こえてきた。


「さすがは井上だ。冷静に状況を判断できる上に、必要とあれば躊躇なく相手を殺せる。一番人気になるだけのことはあるよ」


「ええ、大したものです」


「ところで、今その井上に殺された宮村だが、いったい何をやったんだったかな?」


「宮村は十六歳の時、仲間と一緒に通りすがりの女子中学生を誘拐し、空き家に監禁して殴る蹴るの暴行を加え強姦しました。その後も、被害者を監禁したまま暴行し続け、挙げ句に死なせてしまいました。その後、宮村たちは逮捕されましたが、全員が少年法による減刑のため十年ほどで出所しました。一年前、共犯者らと共にゲームに参加しましたが、その共犯者ふたりを殺しリタイアに成功しました」


 直島は、すらすらと答える。参加者のデータは、全て頭の中に入っているのだ。

 そして、井上の読みは正解であった。宮村は経験者であり、内部の構造もある程度は知っている。不意討ちを食らわせ殺そうとしていたのも、当たりである。


「そうだった。誰だったか思い出せなくてね」


「あと、もうひとつ。今回、その宮村に殺され首を切られたのは、吉本晃一ヨシモト コウイチという名のチンピラです。自分の子供に、日常的に暴力を振るっていました。挙げ句に虐待死させましたが、六年ほど刑務所に入っただけで済んでいます」


「ほう、どうしようもないクズだね」


「おっしゃる通りです。しかし、今は両方とも死人です。もう、誰のことも傷つけることはありません。ようやく人畜無害の存在になれました」



 


 

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