ハンター(1)

 蘭と井上は床に座り、リュックを下ろし話し合っていた。


「お前のリュックには、何が入ってたんだ? 武器は入っていなかったのか?」


 井上に聞かれた蘭は、リュックの中を開けつつ答える。


「ええと、チョコレートバーと水筒と……こんなのしか入ってなかったです」


 言いながら、ベストを取り出した。途端に井上は首を傾げる。


「何だそりゃ? ちょっと見せてくれ」


「はい」


 井上はベストを手に取り、じっくりと眺めた。ややあって、口を開く。

 

「これは、防弾ベストだな」


「えっ?」


「こいつは武器じゃない。防具だ。お前、外れを引いちまったようだな。つくづくツイてない奴だな」


 そんなことを言ったかと思うと、井上はナイフを出した。大型のサバイバルナイフである。刃渡りは二十センチほどありそうだ。ナタのような大きさである。

 井上は、そのナイフでベストを軽くつついてみた。だが、傷はついていない。ひとしきり試してみた後、納得したような表情で頷く。


「防弾だけじゃなく、防刃効果もある」


「これ着ていれば、銃で撃たれても大丈夫なんですか?」


 おずおずとした態度で聞いてきた蘭に、井上は頷いた。


「一応はな。ただし、あんまり過信するな」


「どういうことです?」


「銃で撃たれた時、一番怖いのは体内を弾丸が傷つけることだよ。特に内臓を傷つけられたら、くたばる確率が高くなる。このベストは、そいつを防ぐためのものだ」


 井上は、丁寧な口調で語る。見た目のいかつさとは、完全に真逆だ。

 彼の言ったことは正しい。銃で撃たれた場合、怖いのは内臓が傷つくことである。弾丸の貫通により直接傷つけられるのは言うまでもないが、弾丸が骨に当たれば骨は砕ける。小さな骨の破片が、内臓を切り裂くこともあるのだ。内臓が傷つけば、直ちに病院に行かねばならない。そのまま放置しておけば、命を落とすことになる可能性は高い。

 防弾ベストは、そうした事態を防ぐためのものである。


「じゃあ、これは弾丸の貫通を確実に防げるんですね」  


 蘭の言葉に、井上は頷いた。


「そうだ。しかし、弾丸の衝撃は防げない。弾丸の速さは、ものにもよるが時速数百キロはある。これは、プロボクサーのパンチよりも速いんだよ。骨折くらいは簡単にさせられるってわけだ」


 そう言うと、井上は拳を握りしめブンと振って見せる。蘭は、反射的に避ける仕草をした。


「つまり、こいつを着ていたとしても、弾丸が当たれば死ぬほど痛いってことだよ。骨の一本や二本は、覚悟しないとな」


「あのう……撃たれたこと、あるんですか?」


 聞かれた井上は、ニヤリと笑った。


「あるよ。ほれ」


 言った直後、作業服をずり上げ腹を見せた。

 脂肪のほとんど付いていない腹部だが、丸い傷痕がある。大きさは十円玉くらいだろうか。


「昔、フィリピンで撃たれたんだよ。防弾ベストは着てなかったから、弾丸は貫通していった。もうちょいズレてたらヤバかったけど、何とか命はとりとめたよ。内臓も無事に済んだ」


 軽い口調で語る井上だったが、見ている蘭の顔はみるみるうちに歪んでいった。

 直後、目から大粒の涙がこぼれる──


「おい、何でお前が泣くんだよ。まあ、撃たれた時は泣きたいくらい痛かったけどよ……おかしな奴だな」


 呆れた様子で井上は言った。しかし、蘭の感情は止まらない。どういう心境なのか、下を向き体を震わせて泣いているのだ。

 井上は、ヤレヤレとでも言わんばかりの表情になった。


「今は、泣いている場合じゃねえんだぞ。それよりも、お前が最後に飯を食ったのは何時いつ頃だ?」


 聞かれた蘭は、涙を拭い答える。


「たぶん、昨日の昼頃じゃないかと……」


「だったら、今のうちに食っとけ。食欲がなくても、無理に食うんだ。お前は、丸一日なにも口にしていない状態なんだよ。そんなんで動き回ったら、すぐにぶっ倒れちまうぞ」


 そう言うと、井上は自身のリュックを開けた。中に入っているチョコレートバーを取り出し、口に入れる。


「ほら、お前も早く食っとけ。次に、いつ食えるタイミングがあるかわからねえんだぞ」


 言われた蘭は、オレンジ色のリュックからチョコレートバーを取り出す。まずそうに食べ始めた。どうやら、食欲はないらしい。

 その時だった。突然、天井からチャイムの音が鳴る。次いで、声が聞こえてきた──


「皆さん、三十分が経過しました。では、ハンターを投入します。くれぐれも気をつけてください」


 聞き終えた井上は、顔をしかめた。一方、蘭は怯えた表情で彼を見る。


「ど、どうします?」


「移動しよう。ここに居ても埒があかない。リタイアルームなんて書いてあるが、安全だとは限らないんだ。この部屋に留まって隠れていても、助けが来るわけじゃない。それに、時間が経てば経つほど、こっちが不利になる。とにかく動き続けるんだ」


 そう言うと、井上は立ち上がった。


「ちょっと待ってろ。俺が外を見てくる」


 ・・・


 アナウンスが、迷宮内に放送される。

 それに伴い、井上は扉を慎重に開け外の様子を覗う。他の参加者たちも、一斉に動き出していた。そんな姿を、直島はモニターで眺めている。


「あの女、実はメンヘラちゃんだったんですかね。突然ピイピイ泣き出したりして……情緒不安定にも、程がありますよ」


 呟くように言うと、タブレット越しに安藤が答える。


「いや、ああいう現象は珍しくないよ。このような予想もつかない状況にほうりこまれると、感情のコントロールが出来なくなり、ちょっとしたことで激怒したり号泣したりしてしまうのさ。それよりも、とりあえずはハンターの活躍を見てみようじゃないか」


 楽しそうに語っている。直島は、別のモニターに視線を移した。

 そこには、痩せた男が通路を進んでいく姿が映し出されていた。頭には軍用ヘルメットを被っており、上半身は裸だ。迷彩柄のズボンを履いており、手には抜き身の日本刀を握っている。

 さらに、首には金属製の首輪がはめられていた──


「あいつがハンターですか。何者です?」


「彼の名は中山ナカヤマ慶一郎ケイイチロウくんだ。三年ほど前に、自分の家族と親戚の計五人を日本刀で惨殺した。その後、逃亡先で自殺した……と報道されていたが、実際は警察より先に我々が確保していたのさ。今では、ハンターとして活躍してもらっている」


 安藤は、楽しそうに説明した。

 その中山は、迷うことなく薄暗い通路を進んでいる。彼の進む先には、人の姿があった。四十代と思われる痩せた中年男だ。緑色の作業服を着ており、同じ色のリュックを背負っている。どうやら、迫り来る危険に気づいていないらしい。

 不意に中山は、何を思ったか口から舌をチロチロ出し始めた。舌を出し入れしつつ、上目遣いで進んでいく。その動きは俊敏だ。足音を立てず、忍び寄っていく。

 両者の距離は、みるみるうちに詰まっていった。と、中山の動きが変わる。背を向けている人間めがけ、猛然と襲いかかっていった。

 男の方は、ようやく迫る者に気づいたらしい。振り向き、反撃しようとしたが遅かった。中山は気合いとともに斬りかかる。

 直後、男の悲鳴が響き渡る。胸から腹にかけて、作業服ごと切り裂かれたのだ。一瞬遅れて、血が流れ出す。その姿を見て、中山はニヤリと笑った。楽しくてたまらない、という表情が浮かぶ。

 直後、奇声を発しながら刀を振り上げ、さらに斬りつける。男は倒れ、助けを求める哀れな声を上げた。だが、中山に容赦する気はないらしい。倒れたと見るや、今度は逆手に持ち替えて刺し続ける。迷宮内に、男の悲鳴が響き渡った──

 やがて、男の動きは止まった。どうやら絶命したらしい。それでも、中山は動き続けている。憑かれたような表情で、男の体を切り刻んでいたのだ。その間にも、口からは舌がチロチロ出たり入ったりしている。獲物を狙う蛇のようだ。

 気の弱い者が見れば、おぞましさのあまり吐いてしまう光景だろう。しかし、直島は冷めた目でじっと眺めていた。

 ややあって、タブレットから安藤の声が聞こえてくる。


「ところで……殺された彼だが、名前は何と言ったかな?」


高須博之タカス ヒロユキです。三十年ほど前に、仲間とともに公園にいた男女カップルを襲いました。まず、ふたりから現金や金目のものを奪った後、彼氏を三人がかりでボコボコにしたそうです。さらに彼女を三人で凌辱し、最後に両方とも殺害しました。その後、すぐに逮捕されましたが、犯行当時は十五歳だったため少年法が適用されました。だいぶ軽い刑で済んだようです。ちなみに、共犯のふたりは死刑になりました」


 直島は、何の感情も交えず淡々とした口調で語った。


「ああ、そうだった。強盗殺人、しかも被害者はふたり……成人なら九十九パーセント死刑だったのに、少年だから有期刑で済んだ。しかも、遺族に対し何の弁済もしていない。本当にロクでもない人間だったが、最後には役に立ってくれた」


「あいつは役に立ちましたか?」


「もちろんだよ。こういう死に様を見せることで、視聴者を楽しませてくれた。彼の命も、少しは役に立ってくれたわけだ」


 クスクス笑う声が、タブレットから聞こえてきた。

 一方、画面に映っている中山は動きを止めない。高須が死んだと見るや、彼の体からリュックを外す。中から、チョコレートバーを取り出した。

 途端に、目つきが変わる。袋を開き、一気に食べた──


「なんですか、あれは?」


 直島が尋ねる。


「実のところ、中山にはまともな食事を取らせていない。特に、甘いものに飢えている。常に腹を減らせている状態さ。ところがゲームの時だけは、ひとり殺すごとにチョコレートバーをひとつ食べていいと調教している。だから、血眼になって参加者に襲いかかるのだよ」


「一本のチョコレートバーのために人殺しですか。恐ろしい奴ですね」


「君は、まだまだ甘いね。人間、極限状態になれば倫理など簡単に捨て去る。発展途上国に行けば、パンひとつのために殺し合う人間など、いくらでもいるよ」


 楽しそうな説明する安藤。画面には、その言葉を証明するかのように、チョコレートバーを貪り食う中山が映し出されている。返り血を大量に浴びた姿で菓子を食べる殺人鬼の姿は、異様という表現すら生温いものだった。

 だが直島は、そんな光景を見ながらニヤニヤ笑っているのだ。


「あの男は、一本のチョコレートバーのために、倫理もプライドも捨て去ったわけですか。実に面白いですね」


「君なら、そう言ってくれると思っていたよ。ところで、中山のいる位置にもっとも近いのは、君が推薦した井上と冬月だ。このままだと、否応なしに鉢合わせするわけだが……どんな戦いになるだろうね」


 安藤が語っている間に、中山はもうひとつのチョコレートバーの手を伸ばした。

 途端に、彼の体がビクンと跳ね上がる。座り込んでいた体勢から、いきなり浮き上がったのだ。何か、相当な衝撃を受けたらしい。

 中山ほ憎々しげな表情で立ち上がると、チョコレートバーを放置し立ち上がる。そのまま歩き出した。


「今のは何です?」


 直島の問いに、安藤は楽しそうな表情で答えた。


「中山の付けている首輪は、スイッチひとつで電流が流れる仕組みになっている。彼は今、ひとりしか殺していないのにチョコレートバーを二本たべようとした。だから、罰を与えたのだよ」


「なるほど、面白い仕掛けですね。さすがは安藤さんだ」







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る