ゲームスタート
かつて、そんな不吉な名前の島が存在していた。広さは、約二百平方キロメートル。江戸時代に、罪を犯した者が流される場所として使われていたのだ。罪人の中でも、とりわけ極悪非道な者のみを送り込んでいたと伝えられている。
当時、島の地下には巨大な銀の鉱脈が眠っていたのだ。その銀を掘り出すため、あちこちの罪人たちが多く駆り出されていた。坑道内では、様々な事故が多発しており、囚人が命を落とすような事態ほ日常茶飯事であった。事故に見せかけての殺人も、ここでは珍しくない。
しかも、この島に来た罪人には、御赦免が認められなかった。使い捨ての人夫として、死ぬまで銀を掘らされるのだ。医者もいないため、病気や怪我は自力で治すしかない。死願島という名も、この島に来たら一刻も早く安らかに死ねることを誰もが願う……という哀しい逸話から来ている。
現在、島の正式名称は
日本最大の広域指定暴力団『銀星会』のナンバー2と目されている
今、その施設に十一人の人間が収監された。その事実を知る者は、安藤とその腹心の部下だけである──
どうにも、頭がズキズキ痛む。視界がぼやけており、体も重い。いったい何が起きたのか。
上体を起こした時、違和感に気づいた。いつの間にか、オレンジ色の作業服を着ていたのだ。サイズは彼女にピッタリのものである。こんなものは、今まで見たことがない。当然、買った覚えもない。
視界を移動させると、下に履いているのはオレンジ色の作業ズボンだ。これもまた、彼女が持っていないものである。足には、オレンジ色のスニーカーだ。どちらも、蘭にピッタリなサイズである。
何なんだ、これは? などと思いつつ、周りを見回す。
壁は灰色のコンクリート製だ。床も同様であるが、天井は異様に高い。確実に二メートル以上はあるだろう。身長百六十センチ弱の彼女が思いきりジャンプしても、天井には届かない。部屋の広さは、五畳から六畳ほどだろうか。ひとつの壁には、金属製の扉が付けられている。
この景色にも、全く見覚えはない。いったい何事が起きたのだろう……と思った時、部屋の隅にリュックサックが放れているのを見つけた。派手なオレンジ色のものである。今まで、気づかなかったのが不思議なくらいだ。
そっと近づいていき、リュックを開けてみた。中には、チョコレートバーが五本に水筒、さらにチョッキと一枚の紙が入っている。チョコレートバーを包む袋には、見たこともない国の文字が印刷されていた。水筒は、一リットル入るサイズのものだ。持ってみると、液体がなみなみと入っているのがわかる。
もっとも、今がどういう状況なのかは全くわからない。思わず首を傾げた時だった。突如として、天井から声が聞こえてきた──
「皆さん、目を覚まされたようですね。早速ですが、状況を説明しましょう。あなたたちには、脱出ゲームのプレイヤーとなっていただきます。やるべきことはひとつ、この地下迷宮より、頑張って脱出してください。上手く脱出できた暁には、賞金として一千万円を差し上げます」
機械で作られた声だ。感情も抑揚もなく、事務的に語っている。蘭は無言で、話を聞いていた。
「詳しいルールは、リュックの中に入っているしおりを読んでください。それでは、ただ今よりゲームスタートです」
そこで、チャイムが鳴る。学校で、授業が始まる時に鳴らされるものと全く同じ音色である。
蘭は、紙を手に取ってみた。部屋の明かりは薄暗いものだが、なんとか読むことは出来る。彼女は、最初から読み始めた。
・・・
十一人の皆さんは、幸運にも一攫千金を狙えるこの死願島遊戯の参加者に選ばれました。おめでとうございます!
ここは、死願島の地下に作られた施設です。日本の法律など、存在しないものと思った方がいいでしょう。皆さんは、この迷宮から脱出してください。ルールは……この三つを知っておけば問題ありません。
(1)迷宮の中を探検し、エレベーターを見つけてください。
ここは地下迷宮です。迷宮のどこかに、地上に出られるエレベーターが設置された部屋があります。その部屋を見つけ地上に出ることが出来れば、晴れてゲームクリアとなり賞金の一千万円を手に出来ます。
(2)迷宮内の障害
迷宮内には、トラップが仕掛けられていることがあります。運が良ければ軽傷で済みますが、手足の一本や内臓の一部を失うこともあります。運が悪ければ、死ぬかもしれません。頑張って、トラップを回避してください。
また、開始のアナウンスがあってから三十分経過すると、ハンターが放たれます。このハンターは大変に手ごわい存在であり、また皆さんを殺すつもりで向かって来ます。リュックの中にある武器を用いて、上手く撃退しつつエレベーターを探してください。殺してしまっても構いません。なお、ハンターは三十分ごとに追加されます。
(3)リタイア
ここまで読んで不安になった方、安心してください。このゲームは、リタイアが可能です。無理だと判断したら、すぐにリタイアしてください。ここからは、リタイアについて説明します、迷宮内にはリタイア専用の部屋があります。まずは、その部屋を探し、中に入ってください。部屋は、迷宮内に複数用意されています。
ただし、リタイアには条件があります。あなた以外の参加者ふたりの首を切り落として、リタイア専用部屋に設置されているカメラに掲げてください。首は、最低ふたつ必要です。そうすれば、係員が部屋に現れます。その首を係員に渡せば、リタイアの条件を満たしたことになります。
ちなみに、帰るための足代として参加者の首ひとつにつき百万円で買い取らせていただきます。つまり、リタイアした場合は最低でも二百万円を手に出来るわけです。なお、参加者の大半が親兄弟のいない天涯孤独な人間です。しかも、そのほとんどが、かつて殺人などの重罪を犯した犯罪者でもあります。さらに、死体は我々スタッフがきちんと始末します。死体さえ見つからなければ、世間的にはただの行方不明者です。
なので、あなたは何も気にすることなく他の参加者を殺してしまって構いません。ただし、ハンターを何人殺してもポイントにほなりません。その点は、承知しておいてください。
では、ご健闘を!
・・・
「何なのこれ……」
読み終えた蘭は、唖然とした表情で呟いた。その時になって、前日までの記憶が少しずつ戻ってくる。
昨日の夜、蘭は仕事を終えて自宅へと向かっていた。時刻は、夜の十時である。
直後、彼女の意識は薄れていった──
そして今、蘭はここにいる。この異常な死願島遊戯なるゲームに、強制的にエントリーさせられてしまったらしい。
不安そうな表情で、彼女は再度リュックの中身をチェックしてみた。
・・・・
そんな蘭の映像を、じっと観ているのは直島である。
彼は今、迷宮の上の階に位置する部屋にいた、ここは、ゲームのスタッフのみが入ることを許される場所だ。他にも、数人のスタッフがいる。全員、スーツ姿で屈強な肉体を持ち、拳銃や警棒で武装しているのだ。もっとも、直島は彼らよりも立場は上である。
壁には、いくつものスクリーンが設置されていた。スクリーンひとつに、参加者ひとりが映し出されている。迷宮内のいたるところにカメラが設置されており、自動的に参加者だけを映し出す仕組みになっているのだ。
室内にあるテーブルには、タブレットが置かれている。安藤が、リモートで命令を下すためのものだ。
「さて、ゲームは始まったよ」
安藤の声である。彼もまた、別室で迷宮内の様子を観ているのだ。
「ひとつ、お聞きしたいのですが……あのリュックの中身は、人によって違うのですか?」
タブレットに向かい、直島は尋ねた。
「うん。食料と水は全員に共通だ。武器ほ、人それぞれ違うけどね」
「食料は、全員がチョコレートバーなのですね。参加者の中にアレルギーを持つ者がいたら、違うものに変えたりという措置は──」
「そんな措置、あるわけないじゃないか。アレルギーなど持っていたら、食わなければいいだけだ。君は何を言い出すのかね」
安藤は直島の言葉を遮り、そんなセリフを吐く。直後、楽しそうに笑いだした。だが、すぐに笑いは止まる。
「ところで、君が推薦したふたりだが……片方は
「はい、ありがとうございます」
「だが、あの冬月はどうだろうか。君からもらったデータによれば、年齢は二十七歳。現在『ちびっこのいえ』なる児童養護施設の職員をしており、身寄りのない子供たちの面倒を見ている。犯罪歴はなく、周囲からの評判もいい。それに、顔も綺麗だ。養護施設の職員にしておくにはもったいない美貌の持ち主だよ。そこは認めざるを得ない。だが……」
そこで言葉が途切れた。彼の視線は、別な方へ向けられている。おそらく、モニターに映る彼女の姿を見ているのではないだろうか、直島ほ黙ったまま、安藤の次の言葉を待った。
十秒ほどの間を置き、安藤は口を開いた。
「私にはわからないな。なぜ、あんな女を参加させたのだい? どう見ても、荒事には不向きな性格だ。迷宮内では、十分ももたないのではないかな」
「実はですね、あの女は密かに北村健人と付き合っていたらしいんですよ」
「北村と? 本当かい?」
これは意外だったらしい。さすがの安藤も、表情が変わっている。
「はい、間違いありません。周りには隠していたようですが、将来は北村との結婚も考えていたようです。完全制覇を目前にして亡くなった彼氏のリベンジ、というドラマは、悪くないでしょう。それに、同じ場所で死なせてあげるというのも、面白い趣向なんじゃありませんか」
「なるほど、それはいいかもしれないね」
「それに、ああいう女がもがき苦しむ姿や血を流す様が見たいという層も、少なからず存在していますよ。ひょっとしたら、中でマワされるかもしれませんしね」
そう、この映像を観るのは彼らだけではない。
死願島脱出ゲームの映像は、安藤により選ばれた特定の人間にのみ配信されている。言うまでもなく、安藤や直島のような特殊な嗜好の者たちである。自身は安全な場所にて、そこから他人の死を眺める……それは、一部の人間にとって得も言われぬ快感をもたらす。
しかも、今回は綺麗な顔の女……ともなれば、なおさらだ。実のところ、視聴者からリクエストも来ていた。そろそろ、女の参加者を入れてはどうだ? という内容のものである。ただ、安藤はあまり乗り気ではなかった。女を入れても、すぐに殺されるのがオチだ……そう思っていたのである。
その事実を知ってか知らずか、直島は冬月蘭を参加させたのだ。
「君は、本当にいい性格をしているな」
同類にもかかわらず、そんな皮肉を言った安藤に、直島は真顔で一礼した。
「はっ、ありがとうございます。いっそ、今度は女だらけの死願島遊戯、というのはどうでしょう。不祥事で干された女優やアイドルなんかを集めてみるのも、面白いかもしれませんね」
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