死願島遊戯

板倉恭司

プロローグ

 ふたりの男が、通路を歩いている。

 天井には電灯らしきものが設置されているが、その光量は小さく通路は薄暗い。壁と床は灰色のコンクリートだ。天井は高く、三メートル以上はあるだろう。だが、横幅は狭い。ふたり並んで歩くのがやっとである。

 そんな通路を歩いている男たちは、異様な雰囲気を漂わせていた。片方はオレンジ色の作業服、もう片方ほ黒い作業服を着ている。ただし、服のあちこちが破れており、得体の知れない染みが大量にこびりついていた。しかも、双方ともに傷だらけだ。

 黒い作業服を着た男は短髪で、額には布を巻いている。ハチマキのようだが、実のところ額に出来た傷を覆っているのだ。その布には、べっとりと血がこびりついていた。体つきは筋肉質でがっちりしており、手のひらは分厚くタコが出来ている。剣道か、あるいは棒術などの武術経験者に特有のものだ。

 オレンジ色の作業服を着た男は、背は高く手足の長い体型だ。肩まで髪が伸びているが、その髪にも血ともゴミともつかないものが付着していた。首や前腕には、タトゥーが入っている。本来ならば、見る者を怯えさせるようないかつい風貌なのだろう。しかし、今は疲れ切った顔をしており迫力がない。進む足取りも重く、疲労困憊しているのは本人に聞くまでもなかった。

 やがて、ふたりは立ち止まった。両者の目の前には、鉄製の扉がある。それを開けない限り、進むことは出来ない。

 短髪の男が、取っ手に手をかける。慎重に捻り、引いてみた。

 重々しい金属音とともに、扉は開く──


 中は真っ暗だ……と思いきや、いきなり明かりがついた。同時に、周囲の様子が明らかになる。

 広さは八畳ほどだろうか。外の通路と同じく、灰色のコンクリートに四方を囲まれている。ただし、通路よりも明かりは強い。今では、部屋に付いている細かい染みまではっきりと見える状態だ。

 さらに、入って来た扉の向かい側に位置する壁には、もうひとつの扉がある。これまた金属製の頑丈そうなものだ。

 ふたりが唖然としながら周りを見回していた時、天井から声が聞こえてきた──


「よくぞ、ここまで生き残ったね。北村健人キタムラ ケントくん、それに上松守ウエマツ マモルくん。君らの名前は忘れないよ。この死願島遊戯を完全制覇した人間として、記憶に留めておくとしよう。そこの扉を開ければ、この地獄から出られる」


 人間の声にしては変だ。おそらく、機械により作られたものだろう。だが、このふたりにはそんなことはどうでもよかった。慌ただしい勢いで、扉を開けようとする。だが開かない。鍵がかかっているのだ。


「鍵がかかってるじゃねえか! さっさと出せよ!」


 喚きながら、扉を蹴飛ばしたのは長髪の上松だ。しかし、北村が制した。


「上松、落ち着け。もうじき出られるんだ」


 そう言った時、天井からまたしても声が聞こえてきた。


「すまない、ひとつ言い忘れていたことがある。実を言うと、このドアから生きて出られるのは、ひとりだけなんだ。つまり、君らのどちらかは、ここに残ってもらうことになる」


 聞いた途端、上松が怒鳴りつける。

 

「そ、そんなの聞いてねえぞ!」


 その声は上擦っていた。表情はみるみるうちに歪んでいき、今にも泣き出しそうである、

 しかし、そんなことはお構い無しに声は流れてくる。


「うん、聞いてないだろうね。なにせ、教えていないのだから。そこで、ひとつ提案がある。申し訳ないとは思うが、そこで殺し合ってくれないか。生き残った方を、優勝者として脱出させよう。それが嫌なら、この中で永住してくれ」


「この極悪人が……」


 低い声で毒づきながら、スピーカーを睨みつける北村。だが、そんな彼の背後に忍び寄る者があった。言うまでもなく上松である。いつの間に抜いていたのだろうか、その手にはナイフが握られていた。ダガーナイフと呼ぼれる先の尖った両刃のものだ。ナイフというより、短剣と呼ぶべきかもしれない。刃渡りは短いが、それでも殺傷能力は充分にあるだろう。

 次の瞬間、そのナイフが振り下ろされる──

 完全に不意を突かれ、為す術などあるわけがなかった。北村の口から、悲鳴とも怒号ともつかない声が上がる。反射的に手をバタバタ振り回し、何とか逃れようとした。

 それは無駄な努力だった。上松は、背後から全体重をかけ彼にのしかかる。返り血を浴びながら、なおもナイフで刺し続けた──


「てめえ! 早く死ねや! 俺に命令ばっかしやがって! 俺はな、ずっとてめえが気に入らなかったんだよ!」


 喚きながら、ナイフを突き刺していく。北村は必死でもがいていたが、その間にも血はどくどくと流れていった。コンクリートの床は、血で赤く染まっていく。それに伴い、段々と動きも弱くなっていった。

 やがて、完全に動かなくなった。北村は、ゴールを目前にして息絶えたのだ──

 少しの間を置き、上松は立ち上がった。返り血で真っ赤に染まった顔を上げ、天井に向かい叫ぶ。


「こ、これでいいんだろ!? これで、俺は出してもらえるんだよな!?」


「ああ、出してあげるよ。完全制覇、おめでとう」


 声の直後、扉が開かれた。上松は、よろよろと進んでいく。


 ・・・


 そこで、映像は終わっていた。


「これが、前回の結果だよ。この上松が、これまでで唯一の完全制覇者だ」


 テーブルの上に置かれているタブレットから、声が聞こえてきた。

 壁に設置された大型モニターの画面には、開いた扉から上松が出ていく姿が映し出されている。ソファーに座り、その様を観ているのは直島力也ナオシマ リキヤだ。現在二十七歳、長い黒髪を後ろで束ねており、色白で細面の整った顔立ちだ。切れ長の瞳からは、野性味と同時に知性を感じさせる。

 着ているスーツは、ブランド物の高級品である。一見すると地味なデザインだが、わかる人には違いがわかる……そういうタイプのものだ。体つきは細くしなやかで、顔立ちも相まってシャープな印象を与える。


「少し調べさせていただきましたが、この上松は、今も生きているようですね」


 直島の言葉に対し、タブレットからは笑い声が聞こえてきた。


「ああ、そうだろうね。上松みたいなタイプは、殺しても死なないよ。なにせ彼は、北村がいなければ迷宮を生き延びられなかった。命の恩人だ。その恩人を、奴は何のためらいもなく、あっさり殺してのけたんだよ。ま、死んだ北村が愚かだったせいもあるけどね。あの状況で、敵になった者に背中を向けるのは良くない」


 聞こえてくる声は、妙にはきはきしており早口である。と同時に、自分に対し抱いている自信の大きさを、聞く者に感じさせた。


「なるほど、さすが安藤さんですね」


「いいかい、直島くん。わかっているとは思うけど……情は自分を殺すが、非情は敵を殺す。しょせん情なんてものは、極限状況で生き延びる上では不要なものだよ。僕は、ビジネスでもそれを実践してきた」


「はい、おっしゃる通りです」


 ウンウンと頷く直島に、タブレットに映る人物は目を細めた。

 この人物の名は、安藤敏行アンドウ トシユキという。現在、三十五歳のはずだが、実年齢よりもずっと若く見える。着ているものは緑色のTシャツで、どこにでもいる普通のお兄ちゃん、という感じである。直島に比べると、凄みには欠けている。

 もっとも、実際のところは安藤の方が遥かに格上なのだ。なにせ、この男は日本の裏社会において五本の指に入る存在である。直島ごときでは、直接会って話をすることすら叶わない大物なのだ。


「ところで、君はこの仕事を志願した。それも熱心に、ね。君ほどの熱意を持った人間は、今まで見たことがないよ」


「いや、当然ですよ。ここは、まさに夢の王国ですからね」


「夢の王国?」


 訝しげな表情の安藤に、直島は大きく頷く。


「はい。ここは、普通に生きていたら見られないものの宝庫ですよ。有名な美術館も、ここで見られるものに比べれば幼稚園児のお絵描きレベルになるでしょうね」


「ほう。面白いことを言うね」


「僕は本気ですよ。大半の人間は、くだらん常識や法律に縛られ、挙げ句に自分以外の何かに支配されたまま一生を終えていきます。自分が本当に欲しているものは何なのか、それを知っている者は少ない……おそらく、百人にひとりもいないでしょう。その本当に欲しているものを手に出来る者は、さらに少ない」


 熱く語る直島。手は、いつの間にか固く握られている。その握った拳を、どんとテーブルに振り下ろした。


「僕はあなたと出会い、ようやく自分が何を欲しているかを知ることが出来たんです。迷宮の中を蠢く人の皮を被った怪物。その怪物との戦いに敗れ、暗い迷宮の中で無様に死んでいく者たち……これは、まさに芸術ですよ」


「芸術?」


「はい。これは、立派な芸術です。たとえば、迷宮内に蠢くハンターたち……あれなど、凡人には一生かかっても会うことのできないものでしょう。あれだけでも、ひとつの作品です。そう言っても過言ではないでしょうね。そういえば、ハンターの中には、人間を超越してしまった者もいると聞きました」


 その言葉に、安藤はくすりと笑った。


「人間を超越、か。確かに、それらしき者もひとりいるね」


「実に素晴らしいですね。凡人どもは、その存在すら知らないのでしょうなあ……是非とも、見てみたいものです」


 恍惚とした表情で、直島は語っている。いつの間にか、目からは涙が流れていた。感動の涙であろうか……その勢いに、安藤は若干ではあるが引いている様子だ。もっとも、悪い気分ではないらしい。

 直島の言う通り、あの地下迷宮には人の皮を被った化け物がいる。人の命を奪うことが、三度の食事と同じくらい好きな快楽殺人鬼たちである。本来ならば逮捕され死刑になっているような者たちだが、安藤が高い金を積み、警察に逮捕される前に独自のルートで捕らえたのだ。

 彼らは、普段は地下で生活している。だが、この死願島遊戯なるデスゲームが開催される際には、時間の経過とともにハンターとして迷宮内へと放たれる。参加した……いや、させられた者は、迷宮内に仕掛けられた罠で命を奪われるか、このハンターたちに殺されるかして脱落する。ゲームはこれまで九回おこなわれているが、突破できた者は上松だけである。

 そのゲームに、今回よりスタッフとして参加することとなっているのが直島だ。この男は最近、裏の世界で名を上げてきた半グレである。まだ二十七歳だが、ヤクザや半グレの間では有名な存在だ。

 そんな直島だが、どこから噂を聞いたのか、安藤に対し熱烈な売り込みをかけてきたのだ。このデスゲームのスタッフな加えてくれ……と。

 慎重なる審査の末、スタッフになることを安藤自らが許可したのである。もっとも、ふたりが直接顔を合わせたことはない。やり取りは、もっぱらリモートである。


「ところで、次の大会だが……ひとつ困ったことがある。今回は、めぼしい人材がいないのだよ。目玉になりそうな奴がいなくてね」


 ぼやいた安藤に、直島は勢いよく語りかける。


「それなんですが、僕から提案があります!」


「なんだい?」


「たったひとりの制覇者である上松を、また参加させてはどうでしょうか?」


「うーん、それも考えたんだ。しかしね、彼は今ひとつインパクトに欠ける。しょせん、ただのチンピラだからね。完全制覇できたのも、北村の働きによる部分が大きい。目玉にはなりそうもないな」


 安藤の言っていることほ正しい。今しがた映像を観た直島にも、それはよくわかっている。

 上松守は、今年で二十六歳になる。十六歳の時、喧嘩で人を殴り殺してしまった。だが、少年法のため四年ほどで出所する。その後も、更生する気配はなくチンピラとして生きていた。ゲームから生還した今も、定職に就かず遊び呆けているらしい。

 どうしようもないロクデナシでおり、インパクトも弱い。能力的にも、少しばかり喧嘩の強いチンピラ……としか評価のしようがない男だ。見ていて面白いタイプではない。

 しかし、直島に引く気配はなかった。さらに語り続ける。


「加えて、過去にリタイアが認められた者がふたりいましたよね? そのふたりも、特別に参加させましょう。今回は経験者も混ぜた特别な会、という特別な要素を入れるのです。十回記念に相応しいイベントではないでしょうか」


 そう、このゲームには救済措置がある。迷宮内にて、ある条件をクリアした者のみ、リタイアが可能なのだ。ただし、その条件は非常に厳しい。無事にリタイア出来た者は、これまでふたりしかいないのだ。

 そのふたりを、再度ゲームに参加させるというのだ。提案を聞いた安藤の表情が変わる。


「なるほど。それは面白いかもね」


「さらに、もうひとつ目玉を考えております。つきましては、参加者の枠をふたつ僕にいただけませんか?」


「つまり、ふたりの参加者を君に選ばせて欲しい、ということか?」


「はい。ゲームを盛り上げる面白いメンバーを見つけております。あなたの期待を裏切らないものになるでしょう」





 



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