0106

市河はじめ

0106

LINEの受信音で目が覚めた。


カーテンを閉めていない窓から、月の柔らかい光がうっすらと部屋に入ってきている。

時間は23時32分。

床に当たっていた背中が痛む。

いつの間にか眠ってしまっていたようだ。


籠もりきっている部屋には時間が存在していない。部屋から出なくなって、どれくらいが経っただろうか。

暗い部屋の中から、月明かりだけでスマートフォンを探し出し、ロック画面を解除する。

眩しい携帯の明かりに目を細めながら、ほとんど使うことがなく、アップデートすらかけていないLINEを開いた。メッセージは見覚えのない友だちから届いたものだった。


「724106」


イタズラだろうか。

画面を閉じて再び眠りにつこうとベッドへ向かう。また受信音が鳴った。少しの間億劫で放っておいたが、やはり気になってLINEのアイコンをタップする。


「09106」


不可解なメッセージ。

何かの暗号か。気になってメッセージをコピーして検索窓へ貼り付けた。

『ポケベルメッセージの読み方』

ヒットしたサイトにはポケベルでよく使うメッセージが一覧で記載されていた。


『724106』は、何してる

『09106』は、起きてる

よく見て見たらただの数字の語呂合わせだったことに気が付く。ハテナは付いていないが、これは問いかけなのだろうか。

試しに後から来たメッセージをトークに貼りつけて送り返してみる。送信失敗のマークが表示され、再送信を促された。

くだらない。

しかし、スマートフォンの明かりを長時間見てしまったせいで、目が冴えてしまった。

暗い部屋の中、ゲームの電源を点ける。


再び受信音。

「108410」

検索。

『電話して』

どこにだよ。

『03-XXXX-XXXX』

追随して送られてきた番号は固定電話の番号だった。検索したが迷惑電話リストには載っておらず、本当にどこかの民家の番号なのだろう。


電話を掛けたのは、ほんの出来心だった。

夜中に起こされたイライラをぶつけ、謎のメッセージについて少し聞くつもりだった。


数コールで出たのは若い女性だった。


「もしもし、田崎です」


いざ掛けてみたら、なにを話していいのか分からなかった。

もう何ヶ月も人と話していなかったせいで、声が喉につっかえて出てこない。


「もしかして、ほんとに電話くれた?」

電話口の女性は、電話に出た時の少しよそ行きの声から少し低めの声に変えて話し始めた。

「あ、はい」

掠れた声がようやく口から出ることができた。

「わあ、ほんとに来た!」

喜びとも簡単とも驚きとも取れる声で女性、もとい田崎さんは言った。それから、しばらく電話口でぶつぶつと何か呟いて、一呼吸置いてから僕に言った。


「はじめまして。いや、もう会ってるかな。こんばんは」


もう会っているとはどういうことか。

知り合いなのか。


「あの、田崎…さん」

まだ掠れた声はスマートフォンのマイクへすら届かず床へ落ちてしまうくらいか細い。


「なに?」

「会ってる、ってどういう」

「ところで、君の名前は?」

僕の言葉に被せて田崎さんは聞いた。

「福田…福田颯太です」


すると、田崎さんは一段と大きな声を出した。

「福田?!」

「…はい」

「へえ、福田…颯太くんね」


僕の名前に大きく反応したところからも、やはり田崎さんは知り合いのようだ。


「あの、田崎さん」

「ん?」

「僕と田崎さんは知り合い、なんですか?…すみません、田崎という名前に覚えがなくって」


まあ、そりゃそうか。と田崎さんは言い、続けた。


「知ってる、って言うと少し語弊があるなあ。…でも、私は颯太のことをこれから一番知る人になると思う」


その後に何か小さな声で言っていたが、うまく聞き取れなかった。出会い目的か?いや、ないだろう。しかし、僕のことをどうやって知ったんだろうか。急に呼び捨てだし。


「もしかして、Twitterとかやってます?」

「ツイッター?知らない」

「じゃあ、田崎さんはどうして」

それよりさ、と田崎さんは僕の言葉を遮る。


「田崎さん、はやめてよ。私、香織っていうの。呼び捨てでいいよ」

「じゃ…じゃあ香織さん」

「香織」

「…香織はどうして、僕のことを知ったんですか?」


そうだなあ、と彼女は言ったきり少しの間話さなくなった。


「…もしかして、ストーカー?」

「やめてよ、流行ってないし」

「流行りはしてないでしょう」


そして香織さん、いや、香織は少し言葉を詰まらせながら言った。


「いや、ね。信じて欲しいって言うつもりはないんだけど、18歳を迎える誕生日の前日、30分前から10分間だけ将来出会う人と一足先に話をすることができるって都市伝説があるの」

「聞いたことないなあ」

「だろうね」


それでね、と言葉は続く。

「でも、話をするには条件があるの。まず、その相手がいて、送ったメッセージが届くこと。それと、その送る相手が何か悩みを抱えていること」

そこまで聞いて、僕は自分の部屋を見た。

点いたゲーム機の明かりだけで照らされた、開いたままのクローゼットには、皺ひとつない学生服が掛かっている。


「それでさ、悩み、ある?」

少し、戸惑いながら彼女は言う。

「あるよ」


どうせ、ついさっきまで知らなかった相手との電話だ。まして、さっき言っていた都市伝説なんて冗談に決まってる。

そう思ったら言葉が溢れていた。


「僕さ、学校行けてないんだよ」

「なに?いじめ?」

「いや、そういうんじゃないんだよ。なんかさ、急に何もかも嫌になっちゃってさ」

「反抗期?私は少し前まで結構長めの反抗期だったよ」


ははは、と彼女は笑い、そっと僕の言葉を待った。


「反抗期は、ないかな。むしろ期待に応えたかったんだ。でも、少しずつ成績が落ちていくことや、周りの子たちがどんどん進路を決めていくことに焦ったんだよ。それで、周りの子と比べて、自分がすごくダメなヤツに思えてきた」


うん、うん、と僕が話す間、彼女は小さな声で相槌を打っていた。ややあって、彼女は言った。


「颯太」

「なに?」


少し声が震える。初めて口にした自分の感情、弱さに泣き出しそうだった。でも、女性の手前、そこはぐっと堪えた。


「颯太は、誰かに比べられてダメなヤツだって言われたの?例えば、母親とか」

「いや、そんなこと言われたことない。むしろ、僕が徐々に学校行かなくなった時も、『学校が辛いなら行かなくていい。でも、少しでも話したくなったらいつでもリビングに来てね、待ってるよ』って声を掛けてくれてる」

「そっか。それは良かった」

「でも、学校どころか部屋も出れなくなった。母さんはそう言ってくれているけど、本当は僕のこと、ダメなヤツだと思ってるんじゃないかな、と思って」


颯太、彼女は一際優しい声で僕を呼んだ。

話しすぎてしまった、と咄嗟に思った。


「ごめん。僕ばかり話してしまって」

「いいんだよ。色んな人に気を遣って、色んな人の評価を気にして、どうしていいか分からなくなっちゃったんだね」

「そう…みたい」


少し間が空いて、彼女は口を開く。

「颯太いくつ?」

「15」

「私さっきも言ったけど反抗期長くてさ、親にはまあ…迷惑掛けたね。それでも、18歳間際まで迷惑なんてこと考えたこともなかった。進路だって何にも考えてなくて、なんとなく近くの高校行ったし。その年でそこまで考えることないんじゃない?」

「でもさ、周りの子より劣ってたら、親だって悲しむんじゃないかな」


はあ、とため息混じりの声がして、力強い声で彼女は言った。


「親はそんなことで悲しまない。颯太が楽しく毎日を過ごしてたらそれでいい。私が断言する」


なんだよそれ。根拠ないじゃんか。

言おうと思ったが、言葉が出てこなかった。

その根拠のない言葉が、やけに心に響いて、漏れてくる嗚咽を止められなかった。

でも、本当は分かっている。父さんや母さんがそんなことで僕に失望することなんてないことを。


「あのさ、颯太。今私に話してくれたこと、親に話したことある?」

「…ない」

ほとんど言葉になっていなかったが、彼女には伝わっていた。


「話してみな。絶対分かってくれるから。学校のことはそれからゆっくり考えたらいいよ。楽しいことを探すために行く程度でいいんだからさ」


そこまで話して、彼女はあ、と声を上げた。


「もうそろそろ時間だ。これって悩み解決できてるのかな、いや、もしダメでも将来に託すしかないな」

「あの、さ」


たくさん聞きたいことがあった。

ポケベル入力で打たれたメッセージ。

僕と今後どこで出会うのか。


「そういえば、私の今の彼氏も福田くんって言うんだ」


彼女はそれだけ早口で言って、僕の聞きたいことは何ひとつ伝えられないまま、電話は切れてしまった。


不通音をしばらく聞いていた。

なんだか名残惜しくて通話終了ボタンを押すことができなかった。

しかし、勝手に通話画面はホーム画面へ切り替わり、そのまま放っておいたらロック画面へ切り替わった。

時間は23:55。

日付を見たら、あと5分で大切な日だと気が付いた。

手元の携帯から通知音が鳴る。


0106待ってる


LINEを開く。香織から送られてきたトークは消えていた。メッセージの送り主は母だった。



「お母さん、誕生日何か食べに行こうか?」

父さんの声がドア越しに聞こえた。


僕は母さんのメッセージをコピーして検索にかける。そして、2タッチ入力の表を調べてすぐに返信する。


119221044513ありがとう


今年は家で食べましょう、きっと颯太も食べるから、と母さんの声。

前が見えないほど潤んだ目元を、着ていたスウェットの袖口で何度も擦って、僕はドアノブに手を掛けた。


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0106 市河はじめ @kw_1

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