第3話 怪奇現象

 河川敷でひとり、サンドイッチを食べながら思う。なぜ、追いかけなかったのか、と。

 運動神経抜群の天音でも女は女だ。本気で走れば追いつけたはずだ。

 でも、怖かった。

 絶交して天音に良い学園生活を届けてやろうと思ったのに、まさか俺みたいなクズとセ……。


「あぁぁ!! クソっ!!」


 座りながら右足を地面に叩きつけた。


 いっそこのまま帰った方が、そう思ってはみたものの、頭には教室で机に突っ伏す天音が浮かんだ。


「けど、ホントにしたのか確証が……」


 気になる点がひとつある。

 天音が自分の部屋のベッドで目が覚めたと言ったことだ。俺も同じだった。

 仮に天音が嘘をついていたとするのなら、下を脱がせて行為に及んだあと穿かせ直したことになるが、そうなると多少のしわや歪みがあるものだ。だが、俺のズボンには一切の違和感はなかった。上着の裾の入れ方もパンツの食い込み方も俺しか知らない癖だ。

 つまりはだ。そもそもズボンやパンツを脱いでいないのでは、と思う。けど、それだと行為に及べない。


 意味の分からない負のループに陥っていると、河川敷の上を登校していく学生たちの姿が見えた。


「やべっ、遅刻する」


 サンドイッチの容器とペットボトルを鞄に入れて走り出した。




 久しぶりの校門、久しぶりの下駄箱、久しぶりの階段。

 その全てを噛み締めながら教室へ向かうと、ひとりの女子が廊下に立っていた。


 艶やかな長い黒髪から覗かせる鋭い眼差しに捕まった。


「佐倉……っ」


 腕組みしながら仁王立ちしていた美少女が俺の下へ歩いてくる。


「ちょっといい?」

「……はぃ」


 その覇気に圧倒されながら、佐倉のあとに続く。


 もうすぐ始業時間だという逆方向にあるトイレ前で立ち止まる。


「ねえアンタ、天音に何かした?」


 再び腕を組みながら佐倉が尋ねてくる。


「い、いいや別に」

「ウソっ! じゃあ何で朝から泣いてんのよ!」

「俺が知るわけねえだろ! 一週間も休んでたんだし」

「休んでた間も毎日会ってたんでしょ?」

「うっ……」


 図星ね、という表情を佐倉は送ってくる。


「アンタ、まさか……っ」

「えっ!?」


 何かを察知したのか、佐倉の表情が曇る。


「天音が可愛すぎるからって、おっぱい触ったりしたんでしょ?」

「は、はぁ!? するわけねーだろ! 天音のおっぱいに興味なんてねーよ」

「アンタ、貧乳好きなの?」

「はぁ!? なんでそうなる……」


 そんな最悪なタイミングで視線に入ったのは、佐倉の慎ましやかな胸元だった。


「どこ見てんのよっ!! 死ね!!」

「痛っ!!」


 かなり本気のローキックを入れられてしゃがみ込む。

 怒り心頭で歩いていく佐倉の背中が見えた。


 程なくしてチャイムが鳴り、俺は教室へ急いだ。




 恐る恐る教室に入ると、一週間ぶりの陰キャに対して汚物を見るような視線をクラスメイトから受ける。そんな中にひとり、机に突っ伏している女子がいた。


 ――やっぱりか。悩みがあるといつもアレだからな。


 佐倉からも軽く睨まれながら、俺は自席に着いた。


「はいはーい、みんな座ってー」


 すぐに担任のかしわ先生が入ってきた。見た目は豊満でゆるふわ系女子だが意外と厳しい。


「突然だけど、今日の朝、校長先生から渡された注意文書を読むわね」


 いつになく神妙な面持ちの担任に、教室中がざわめく。


「最近、高校生男女にのみ発生する怪奇現象が問題視されています。それは、無意識のうちに異性に対して…………」


 そこまで読んで担任が声を詰まらせる。「どしたんキョーコ先生?」とか「顔真っ赤じゃん」とかあちらこちらで声が飛ぶ。


「ご、ごほん……。ちょっと待って……」


 そう言って軽く二度ほど深呼吸をしたあと覚悟を決めたかのように言い始めた。


「それは、無意識のうちに異性に対して、エ、エ……エッチぃことをすることですぅ」


 教室中に歓声が上がる。真面目な担任から出る意外な単語のせいだ。


「ぐ、具体的には、ちゅ~したり、舐め回したり……い、い……(入れたり)ですぅ」


 最後の言葉はほとんど聞こえなかった。


 大爆笑の教室の中で、ひとり俺は悩んでいた。

 まるで俺たちに起こったことみたいじゃないか。ともすれば無意識のうちにお互いに……。


 そう思いながら、ふと天音を見てみると、真っ赤な顔をして俺の方を向いていた。

 目が合ってすぐ黒板の方に向き直った。


「なぜこんな現象が起こるのか、原因究明を急いでいるようですが、未だ手掛かりはないそうです。みんなもくれぐれも気を付けてね。高校生なのにハレンチなことしちゃダメですよ」

「え~、でも~、無意識なんだったら仕方なくない~? ヤリまくっちゃうかも~」

「コラそこ、ハレンチです!」


 ギャル系の生徒が軽いノリで笑っていた。


 俺に笑いなどなかった。

 そうだ、俺たちはきっと、その訳の分からない怪奇現象に巻き込まれたんだ。原因はそう、あの飲み物しかない!


 そう思い立った俺は、スマホの電話帳アプリから姉の名前を探していた。

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