第2話 血
目を覚ますと、そこには見慣れた天井があった。自室の天井だ。こんな変なシミを付けた天井なんてそうそうないから。
少しだけ体が痺れているが、動かせないほどじゃない。
状況を確認してみたが、どうやらベッドにひとり仰向けで寝ているらしい。着ている服装にも変化はなく乱れもない。
何とか起き上がり、地面に足をつく。
「……天音。そうだ、天音は?」
辺りを見渡しても姿はない。少しだけ開いていたはずの窓が閉まっている様子から黙って帰ったのかもしれない。
夜の寒さから来たのか、突然押し寄せた尿意に俺は立ちあがる。
ふらつきながら壁に手をついて、ゆっくりとした足取りで廊下を進み、階段を下りる。午前零時の我が家には灯りはなく、階段下のスイッチを入れてトイレまで急いだ。
「何とか間に合ったな」
ズボンに手をかけてパンツと一緒に脱ぐ。
――ッ!?
ナニに手を添えて排尿しようとした時だった。
「……血」
微かだが俺のナニに血が付いていた。見たところ腫れやイボもない。先端ではなく、竿の部分だから先から出た物でもない。
――ッ!?!?
不安に苛まれる俺に追い打ちをかける。
「これって……オナニーしたあとの」
尿に少しだけ白が混じり、透明の汁が先から糸を引く。
頭が真っ白になっていく。
意識が朦朧としていた時、あの部屋にいたのは天音と俺だけだ。もしかしたら天音が俺に睡眠薬を飲ませて、俺が寝ている間に……。
いやいや待て、それだと天音が俺のことを好きみたいじゃないか。天音は俺みたいなヤツに惹かれない。好意を示されたことだって一度もない。
それに深月の話題の時、相手がいないと言っていたし。
そうだ、ただ激しい眠気がきて、眠っている間にいやらしい夢でも見て夢精した、とか。それだと合点がいく。
……いや、いくのか?
それだと竿に付いている血の根拠が足りない。
いやしかし、そもそも天音は処女なのか?
あれほどの美少女なら俺の知らない間に大人の階段を上っていたりしないだろうか。
いやそうに違いない。あれほどの天使様だ、きっと。
……いや、天使様がそんな軽いはずがない。
どう考えても結論には辿り着けそうになく、考えることを放棄した俺は自室に戻り、朝まで寝てしまった。
※※※
珍しく起床予定時刻より前に起きた。
天音が訪ねてくる様子はなく、家にいても不安ばかり。
それならば、と制服に着替え始める。どうせそろそろ小テストでもあるだろうし。
着替え終わった俺はふと思い出す。
あのペットボトルを誰からもらったのか、を。
急いで隣の部屋のドアをノックする。
「おいっ! 姉貴! 出て来い!」
どれほどノックしても返事がない。
しぶしぶドアを開けてみたが、姉は居なかった。
「まだ六時過ぎだぞ……」
不信に思いつつダイニングに行ってみると、テーブルの上に置手紙がされていた。
『陽翔へ。引きこもりの罰としてお前抜きで羽を伸ばしてくる。温泉から見える富士山、想像するだけで最高だろ。留守番よろしくな。愛しの父より』
「クソがっ!!」
置手紙を破り捨て、台所に向かう。たった一週間学校をサボっただけで引きこもり扱いするんじゃない。
もしかすると母さんが朝食を作ってくれているかもしれない、そう信じて冷蔵庫を開けてみた。
もぬけの殻の冷蔵庫に置手紙がされていた。
『陽翔へ。楽しようなんて甘いわ。月に代わってお仕置きよ。愛しの母より』
「クソがっ!!」
二度目の破り捨て。
イラつきながらカバンを持ち、玄関へ向かった。
「途中で何か食わねえと」
靴を履こうとした時、玄関口のマットの上の置手紙に気づく。
『陽翔へ。天音ちゃんにもっと優しくしてあげなさいよ。わたし、義妹は天音ちゃんがいいなぁ。あっ、ごめ~ん、陽翔なんかが選ばれるわけないかぁ~、てへぺろ♪ 愛しの姉より』
「クソッたれがぁーーーっ!!」
三度の破り捨てを終え、俺は玄関を開けた。
一週間ぶりに出た外は異様に陽射しが眩しく感じた。サボる前には満開だった桜並木は半分程度に散っていた。
しばらく歩いたところにあるコンビニに立ち寄って朝食を選ぶ。
「あっ、そういえば今日ジャンクの発売日じゃん」
週刊少年ジャンクがレジ横に積みあがっているのを確認する。
店員は棚出しをしていてレジにいない。
俺は静かにサンドイッチの棚から移動し、一冊のジャンクを手に取る。
読みたい作品が一つだけなのに金を払うのは忍びない。
しゃがみ込みながら読むこと五分、見知った顔が入店してくる。
「天音……っ」
いつも早めに登校して教室の掃除や整理をしている天使様がふらりと歩いてくる。
急いで棚の影に隠れた。
しばらくしゃがんでいると、
「こらー。立ち読み禁止ー」
店員のオジサンが大きな声で注意してきた。
「ハルくん」
その声に反応した天音が俺に気づく。
「……よぉ」
長めの前髪をシャッター代わりに使って俺は目を隠した。
棚にジャンクを返し、サンドイッチと紅茶だけを買って店先に出た。
「今日は学校行くんだね」
「まぁ」
店から歩き始めるが、天音はなぜか無言。表情もどことなく険しく見える。
「ねえハルくん」
しばらくして天音が言い始めた。
頭に浮かんだのは、ナニに付いていた血だった。
「昨日……わたしに何かした、よね?」
「え!?」
「昨日、意識がなくなってから、気づいたら自分の部屋のベッドで寝てたんだけど」
自分と全く同じシチュエーションだ。
「トイレに行ったらさ……その……生理でもないのに血が」
「えっ!?!?」
また頭が真っ白になる。
「それって、つまりさ……処女じゃなくなっちゃったってこと――」
「待てよ! 何で俺なんだよ!」
「だって! 昨日あの部屋に居たのわたしたちだけだもん!」
「いやでも俺だって夜中まで意識なかったんだぜ。無意識でそんなことできるかよ!」
「そう……なんだ。てっきりハルくんは意識があったんだと」
「早とちりすんなよ!」
「じゃあさじゃあさ、何か妙なことなかった?」
「――ッ!!」
思わず声にならない声をあげる。
また頭によぎるナニの血。
「その顔! なんかあったんだよね?」
「……………………俺も付いてた」
「え? なにが?」
「血。アソコに」
「――ッ!?!?」
手で口を覆いながら天音が涙目になる。
「やっぱりハルくんなんだ」
「ち、違う! 俺も被害者だ!」
「――ッ!!」
突然天音が走り出した。
俺はその背中を見ることしかできなかった。
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