ファンタジー小説世界に転生した原作者ですが、読者も転生してたので帰りたいし溺愛はご遠慮頂きたいです

一匹羊。

1話 ここには現代日本人しかおらんのか?(いません)

 少女は目を覚ます。いつも通りの天蓋が少女を見つめ返しているのを見て、手を上げた。そのほっそりとした15歳の腕には、レースがたっぷりあしらわれたネグリジェの袖。


 どうやら、この悪夢は今日もまだ覚めないらしい。

 少女……ゾフはため息を吐いて起き上がると、洗面台に向かった。

 鏡の中では、萌黄色の髪を肩の辺りで切りそろえたそばかす面がぼんやりとこちらを見返している。


 (頼りない顔だなあ)そう思うと、ゾフは顔を洗うべく蛇口を捻った。


 ――このメラニン色素の存在をガン無視したファンタジー世界に、ただの現代日本人だったゾフが放り込まれてから、もう10年が経つ。

 最初は慌てたものの、慌てた所で元の家に帰れるわけでもない。元の自分の22歳の体に戻れるわけじゃない。

 ゾフは『今』のことを悪夢だと捉えている。たちの悪い、やけに長く感じる夢。


 毎日そうだからか、いまいち生きている心地がしない。


 この部屋から飛び降りれば帰れるのだろうか。だがそこまでの勇気もないまま、自分の本当の名前も忘れかけつつ、『ゾフ』は今日も『ゾフ』として生きている。

王国立学院に入ったり、寮生活をしたり、下らないおしゃべりに興じたり、それなりに派閥争いをしたり、位の高い子息女に気に入られようとしたりして。


 髪を梳かし、着慣れた制服に着替えると、ゾフは自分の部屋を出た。


 ゾフは自分のことをモブだと思っている。生まれた時から伯爵家の長女で、良い結婚をするのが生まれてきた意味。

 ゾフ自身には誰も何も期待などしていない。



「ゾフ! やっと来てくれたのね。はやくわたくしの髪を巻いて頂戴」



 そして、自分がモブだとしたら今目の前にいるガーネット色の公爵令嬢こそ、『主人公』にふさわしいとゾフは思っていた。



「エレーナ様。また夜更かしされたでしょう? 隠しきれていませんわよ」

「あら、本当? じゃあそれもゾフに直してもらおうっと」



 当然とばかりに言い放って椅子に座り、髪を巻くように指示してくるのはエレーナだ。公爵家の長女であり、同じ学院に通う王太子の許嫁である。未来の皇后陛下なのだ。輝かしいお家柄。約束された未来。明るく弾けるような笑顔。


親同士が級友だったため、ゾフはエレーナの遊び相手となった。それこそ、生まれる前からそうなることが決まっていた。


 しかし、ゾフ自身それを悪くは思っていない。


 エレーナのくるくる変わる表情は見ていて面白いし、我儘も可愛らしいものだ。

 例え自分が取り巻きや召使いのように見られているとしても、というか実際今そうなっているのだが、別に構いやしない。


 公爵家の息女とお近づきになれているから、というだけの理由ではない。


 エレーナは、ゾフがゾフになる前に大切にしていた人にとてもよく似ている。世話を焼く理由なんて、それだけで十分だった。


「本当に呼び出しましたの? ええと」

「クラウディア嬢よ。手紙でね。あちらも人目につきたくないでしょうし、見つからないよう礼拝堂の奥を指定したの。お会いするのが楽しみだわ」



 礼拝堂の奥、と聞いてゾフの脳内に一瞬、何かがよぎった。


 ゾフは慣れた調子で黙って閉じて、数を数える。

 1、2、3。

 どうせくだらないデジャビュだ。

 ほら、すぐに霧散した。


 それより、と考える。


 公爵令嬢からの手紙なんてものを受け取ってしまったティアナ・クラウディア嬢には同情する。

 ゾフでさえ受け取りたくないのに、例のティアナは一年前伯爵家の養子となり、この春学院に入学してくる『外部生』だ。


 エレーナに他意がないことはわかっている。

 きっと、外部生なんて珍しい! 皆より先に一目お会いしてみたい! その程度だ、彼女が考えていることなんて。

 しかし、ティアナ嬢は恐ろしい『挨拶』を想像して怯えているに違いない……。


 つきん。また脳の端っこで何かが訴える。



「エレーナ様。お化粧をお直しいたしますので、こちらをお向きになってくださいませ」



 しかし、ゾフはあえてそれを無視した。

 相変わらず化粧が苦手なのかぎゅっと目をつぶるこの可愛らしい幼馴染が、クラウディア嬢を傷つけるなんて――そんなことあるはずがない。


(最近『これ』増えてるなあ。何を訴えたいんだろう)


 エレーナが着いてくるように言うので、ゾフは素直に従った。

 1対2になってしまうが、今のゾフにクラウディア嬢の味方をする理由はないので。



 果たして乙女は礼拝堂の奥にいた。

 当然だ。たかだか伯爵家のそれも養子が、公爵家令嬢からの呼び出しを無視できるはずがない。


 振り向いたその少女の、不安げに揺れる青い瞳とプラチナブロンドの髪を見た瞬間――ゾフは、すべてを思い出した。

 

 これまで感じた数々の違和感やデジャブの正体。

 つきん、つきんと引っ張るそれが何を訴えているのか。


(ここ、私が書いた小説の中じゃん……………!)


 あまり売れた本ではなかった。


 「最近流行ってる悪役令嬢モノって、乙女ゲームだとありえないらしいよ」という誰かの呟きを見て、じゃあ私がそれっぽい話を書いてやると筆を取ったハイファンタジー。

 単行本にして上中下巻。


 下巻の後に外伝を書いていた、このシリーズと並行して他の作品もやっていた。

 それは思い出せても最後にどこにいたのかが思い出せないが、とりあえず。



「とにかく、わたくしは読んでいてクィル様が好きで……戦っている所も、自分の身分に劣等感を抱いているところとか、中巻の、誰よりも先に敵に気づくところなどが」

「非常によく分かりますわ! ルシル殿下に忠誠を誓っている所なども格好良くて……っわたくしあの場面も「俺はお前より誰よりも殿下を見ている。だから分かる」ってティアナを牽制するところが大好きですの!」



 作者の前でキャラ語りをするのはやめてほしい。


 切に願うゾフだったが、手を取り合う2人の乙女には聞こえていない様子だった。


 驚くべきことに、エレーナとティアナも中身は現代日本人だったのだ。それも、この世界を描いたゾフの小説――『十の薔薇とアリアを紡ぐ銀乙女』の大ファン。



 時は少し戻る。緊張しきりの乙女を見つめ、ゾフは動くことができなかった。

 この世界の正体とそれに付随する記憶にゾフが衝撃を受ける横で、エレーナはふら、と脚を一歩踏み出して呟いた。


「うっわ顔がいい……」



 と。

 は? とゾフが聞く間も与えず、ティアナもまたこちらに一歩歩み寄った。



「もしかして……エレーナ様も、ゾフ様も、わたくしと一緒、ですの?」



 エレーナはとにかく、ゾフはまだ名乗っていなかった。

 ゾフは聞き返す。



「あの本のことを知っている方、ですの?」



 エレーナがこちらを向いて呆然とし、かと思うと、はっとした顔をしてティアナの方に走っていって――飛びついた。


「よ、よかった、動ける、よかった……! わたくしここから貴女を虐める羽目になるのかと辛くて辛くて、でも普通に動けたから、本当に嬉しくて、ううう」

「ええ分かりますわ、エレーナ様……。わたくしもそうでしたもの。原作の中で大好きな貴女にお会いできるのに、怯えるこの心を恥じました。けれど、エレーナ様は『わたくしと同じ』でいらっしゃって、わたくしとお話してくださった。これ以上の喜びがありましょうか……」

「ああ、ティアナ様!」

「エレーナ様……!」


 品格高き2人の少女はひっしとお互いに抱きしめ合う。、その様は美しい絵画のように見えた。

 エレーナの、泣きはらした金色の瞳がくるんと他を見て、見つめられたゾフは少したじろぐ。


「ゾフ。ゾフ、貴女はいつから気付いていたの? ここがあの『十の薔薇とアリアを紡ぐ銀乙女』の世界だと」



 ずっと黙りこくっているゾフに、エレーナは優しく語りかける。



「そうよね。言えないわよね。……気付けなくて、ごめんなさい。貴女にも、きっと知らないところでたくさん気遣ってもらったんでしょう」

「いいえ!」


 ゾフは鋭く否定する。


「それは違う……違います……エレーナ様の方がわたくしに何倍も……何倍も……資材も時間も投じて、慈しんでくださいました。『原作』から外れてしまうことを厭わずに。わたくしの方こそ、この世界のことを今まで黙っていて……本当にごめんなさい」

「そんなこと言わないで。わたくしは幸せだった。ずっと最推しのすぐそばにいられたんだもの」

「そうですわ、ゾフ様……。親しき仲だからこそ、言えないことが増えてしまうものですもの……」


 エレーナとティアナが口々に慰めても、ゾフは下唇を噛み、俯いたままであった。



 ゾフは、自分のおかれた状況を理解しつつあった。


 この礼拝堂に集う三人の娘。可憐な制服に身を包んだ令嬢たちは、まあお察しの通り。3人とも現代日本からの転生者であり、ある本――『十の薔薇とアリアを紡ぐ銀乙女』の世界に飲み込まれた者たちだった。


 物語の中における主人公はティアナ。この国の住民にはあり得ない銀髪に青い瞳という特徴を持ち、伯爵家に引き取られたことをきっかけにテリア王立学院に外部入学してきた。博識で優しい性格を持ち、7人の精霊に愛され、一年後このテリア王国に降りかかる厄災に立ち向かう存在である。


 エレーナは、原作では『悪役』であった。王子の婚約者である彼女は、王子の気を引くティアナの行動のことごとくを邪魔せしめんと立ちはだかり、ある時はティアナを殺しかけさえした。が、ティアナが災厄の前に最後に救う人物でもある。


 では、ゾフは何なのかといえば――エレーナの取り巻き1号である。生まれた瞬間からエレーナの幼なじみ、遊び役であることが決まっていたゾフは、取り巻きの2号以下が裏切っても、最後までエレーナに味方して物語から退場する、名前のあるモブ。


 しかし、ここでそのような悲劇が起こることは、もうありえないだろう。何故なら、悪役であるエレーナがティアナにしがみついている有様だし。


 それなのに、ゾフの表情は晴れなかった。

 何で私はゾフに、という思いがそうさせていた。



「あの。エレーナ様はゾフ……わたくしのことが一番お好きだったんですの?」



 ゾフが声を上げると、2人が揃ってこちらを見る。そこに少々いたたまれなさを感じながら、言葉を続けた。



「そういった方は珍しいのでは? ゾフは、ストーリーの進行上名前が与えられているだけの準モブですし……ご不快に思われるかもしれませんが」



 驚くべきことが起きた。どちらかというと控えめで静かに見えていたティアナが、エレーナの言葉を押しのけて「そんなことはありませんわ!」と主張したのだ。

 ぽかんとする2人に、ティアナは白い肌を赤く染め上げて「すみません」と小さな声になってしまった。


「……ティアナ様のおっしゃる通りよ。ゾフはモブなんかじゃないわ。むしろ、エレゾフ尊……いえ、彼女の人気こそが『とおばら』の魅力だと思うの」

「彼女、人気ですのね」

「ええ! わたくしも彼女の献身にはうずうずしていたのですが、こう、中巻であんなことするから、パーンってなってしまって。エレーナが大事にしないなら、もう私がゾフを家に連れて帰る! とさえ思いましたのよ……あのキャラもあのキャラもそうでしたけれど……」

「エゴサをしないから、知りませんでしたわ」


 ゾフがぽつんとつぶやくと、「勿体ないですわ!」とエレーナが人差し指を指してきた。普段のエレーナなら、絶対にそんな無礼な真似はしない。感覚が現代日本に引きずられているらしい。


「ああ……でも、嬉しい。ゾフ様もティアナ様も、今は『エレーナ』のお友達ですのね。あの未来は、訪れないわよね」

「それどころか……この物語を、もっといい形で終わらせることができるかも、しれませんわ。クィル様も、オーガスト様も幸せになる、作者様さえ知らない最高のハッピーエンドを。……私達が、作り出せるかもしれませんわ」


 ティアナの言葉に、ゾフは瞬きする。

 その作者が目の前にいるということは、今後も伝えられそうにない。


 理由は2つ。

 ひとつ、エレーナの金色の双眸がきらきらりと光ったから。

 ゾフはエレーナのこの瞳に勝てた試しがないのだ。

 ゾフはなんだかんだ言ってエレーナを手伝ってしまう。


 もしゾフが作者本人だと告げれば、エレーナの楽しみを奪ってしまうことだろう。


 そして、2つ。


 この物語は、決して『大団円』にはならないからである。


 頷きあうティアナとエレーナを前にゾフは取り敢えず、と目標を定める。


(私が作者であることは、絶対にバレないようにしなきゃ。そして、2人の夢を壊さないために可及的速やかに『ゾフ』に体を返してこの世界からリタイアしよう──!)


 ここから、自分が転生者であることも、転生者の前では『原作』がブレイクされまくることも知らない作者が、『自分』最推しの限界オタクと夢女子な読者に全力で振り回されながら、読者に報いるために頑張る物語が始まる。





 仲良く手を握り合っていたエレーナとティアナだが、ティアナがいきなりハッとして手を離した。



「あの、エレーナ様……。わたくし、もう行かなければ」

「えっ」



 カラーリングからまつ毛のカールまで攻撃的なエレーナが、ぴえんとでも言いそうな顔になった。

 ティアナは申し訳なさそうに続ける。



「学長にお呼ばれしてますの……。この学院の説明を聞いてこなければ」

「導入ですわね!? えっ導入でなくてそれは!? そこで『ティアナ』が一抹の不安としてわたくしに呼び出された今の出来事を回想されるのですわよね!? えっ行きたい。凄まじく行きたい。エレーナは壁になりとうございます」



 ……とりあえず、今はこの幼馴染を止めるのが先になりそうだ。



☪︎┈┈┈┈┈┈✧┈┈┈┈┈┈┈☪︎


 例え元現代日本人だったとしても、長年培ったお嬢様言葉って絶対早々には抜けませんよね。






 

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