2章:『アデル』
第13話 墓参り
エスター・ロザノワール伯爵令嬢の訃報から一年。
季節は一巡し、アストレア王国に再び春が訪れた。
若葉が芽吹く小高い丘の上に、無数の墓石が並ぶ。私は立ち止まり花を手向けた。
墓標に刻まれた名は――エスター・ロザノワール。
ここは、私の墓だ。
(自分のお墓を見下ろすなんて、まるで幽霊になった気分ね)
春風に揺れる髪は、本来の赤毛から淡い栗色に。
顔は天使のごとく可憐な美貌へ。
共和国での施術とケアを受けた私は、エスター・ロザノワールからアデル・シレーネへと変身を遂げた。
エスターとアデルの生死逆転の事実を知っているのは、シレーネ夫妻と共和国の医師。そして私を療養所から救い出してくれた、シレーネ家お抱えの工作員ソニアだけだ。
この先私は、アデルとして生きていく。
(アデル、ありがとう。私、絶対幸せになるから、見ていてね)
心の中で今は亡き親友に誓うと、丘に爽やかな風が吹いた。『エスター、頑張ってね』と言うアデルの声が、聞こえたような気がする。
「お嬢様、そろそろ帰宅した方がよろしいかと。今晩の夜会の準備をしなければ」
背後から侍女のソニアに声をかけられた。私は振り返り、頷く。
密偵であるソニアの仕事は、情報収集や秘密工作。本来なら表に出ることはないのだが、今はシレーネ様の命令で私の侍女と護衛を務めてくれている。
(シレーネ様……いいえ、『お父さま』ったら、心配性なんだから)
親の愛を感じて、胸の内がほっと温かくなる。
私は「さて、そろそろ帰りましょうか!」とソニアに声をかけた。
「では、馬車を呼んで参ります」
「ええ、ありがとう」
ソニアにほほ笑み返し、私は心の中で『いよいよね……』と気を引き締める。
小説では、初春の宮廷舞踏会でメイナードとミーティアの婚約発表イベントが起こる。つまり今日、メイナードが婚約を宣言したら、この世界は【黒薔薇姫】のシナリオどおりに進んでいるということ。
(小説の世界に転生したなんて、ちょっと信じられないけれど……)
考えを巡らせていると、背後から足音が聞こえてきた。
てっきりソニアかと思って笑顔で振り返った私は、驚き固まった。
そこに居たのは、ソニアではなく――美しい顔立ちをした、銀髪碧眼の男性だった。
急に現れた美貌の貴公子に目を奪われる私。
無表情でこちらを見つめる貴公子。
数秒の沈黙のあと、彼が口火を切った。
「驚かせてすまない。俺はシリウス・イヴァン・アストレアだ」
その名を聞いた瞬間、私はとっさに深々と
シリウス殿下が「かしこまらずとも良い」と制す。
「今日は公務ではない。
そう言って、シリウスは私の墓の前に片膝をつき、花を手向けた。
目を閉じて、冥福を願い祈りを捧げる。
彼の横顔を眺めながら、私は困惑していた。
(この国の第二王子が、どうして私のお墓参りに?)
彼は、王子が身にまとうには質素すぎる出で立ちだった。白シャツにジャケットとズボン。お忍びというのは本当らしい。
忙しい公務の合間を縫って、プライベートで訪れたのだろう。
だとすれば、ますます謎が深まる。エスター時代、私はシリウスとは面識がなかったから。
ひっそりと様子を伺っていると、シリウスが私を見た。
「ところで、君は?」
聞きたいことは山ほどあるけれど、私は『エスターの親友アデル』として名乗り、ここに来た理由を述べる。
「私、アデル・シレーネと申します。エスターとは親友でした。私は共和国で療養していたので、まだお墓参りが出来ておらず……今日はエスターの誕生日のため、花をたむけに参りました」
「そうか。……彼女がシレーネ商会に通っていたのは、やはり友人に会うためか」
後半は、あまりに小さな呟きだったため聞こえなかった。
首をかしげる私に、シリウスは「何でもない」と首を振った。そして再び、私の墓標に目を落とす。
その憂いを帯びた横顔は儚げで、悲しそうで……私は目が離せなくなった。
さぁっと風が吹き、墓石を飾る花がかすかに揺れる。
シリウスが持って来たのは、愛らしいネモフィラの花束だった。
ふわふわと風に揺れる淡い水色の花びら。
悲しげに目を伏せるシリウス殿下の横顔。
ぼんやりそれらを眺めていたとき、頭の中におぼろげな光景が蘇った。
――『私たち、ずっと友達よ! === 』
私が、誰かの名前を呼ぶ。
差し出される花。懐かしい子どもの声。
にっこり笑う、===の顔。
突然フラッシュバックした記憶の断片に、私は戸惑う。
今のなに……? と思った瞬間、脳内の光景が、テレビの電源が切れるようにプツリと途絶えた。
「シレーネ令嬢? 顔色が悪いが、大丈夫か」
気付けばシリウスが私の顔を気遣わしげに覗き込んでいた。
彼の青い瞳に見つめられ、鼓動が高鳴る。
なぜか無性に、なつかしいと思った。
「恐れながら、殿下にお尋ねしたいことがございます」
本来なら、平民が気安く王子殿下に話しかけるなど、あってはならないこと。しかし、気付けば私は会話を切り出していた。
「シリウス殿下は、エスターとはどのようなご関係だったのですか? 友人というには、身分が違いすぎるかと」
「彼女を教会孤児院で、何度か見かけたことがある。すれ違ったこともあるが、俺はいつも顔を隠していたから、向こうは気付いていなかっただろう」
そういえば、私が追放される少し前、教会の入り口で転びそうになったのを助けてもらった。あの男性は、お忍び中のシリウスだったのかもしれない。
顔を上げると、こちらを見つめる彼と目が合った。吸い込まれそうなほど透明な青い瞳に、私は、その場に縫い止められたかのように動けなくなった。
無表情だったシリウスが、真剣な顔で話を切り出した。
「これ以降の言葉は、エスターの親友である君にしか言えないことだ。決して他言せず、胸の内にしまっておいてくれるか」
「……はい」
何を、言われるのだろう……。
小説のシリウスは、自分を馬鹿にする者、逆らう者には決して容赦しないキャラで、悪役王子の役割にふさわしい冷酷な人物だった。
シリウスの表情が一層険しくなり――。
「俺は、エスターの死に疑問を抱いている」
やけに確信めいた口ぶりで言った。
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