第10話 弱い『自分』を脱ぎ捨てる

 シレーネ様の言葉に、愕然とする。


(アデルが……亡くなった……?)


 魂の一部がごっそり抜け落ちたような。言い様のない虚しさと、絶望感に襲われる。


 

 目の前が真っ暗になり、何も、考えられない。

 

 

 呆然と虚空を見つめたまま、私はシレーネ様の言葉を聞いた。


「君が療養所へ移送されてから、容態が悪化してね。もともと、お医者様には長くないと言われていたんだ。眠ったあと、そのまま……」


「これは、あの子からあなた宛ての手紙よ。読んであげて」


 受け取った薄水色の封筒には『エスターへ』と書かれていた。

 

 かすれて波打つ文字が、当時のアデルの深刻な病状を物語っている。

 

 身の内を病に蝕まれながら、それでも必死に残してくれた親友からのメッセージ。

 

 私は涙を拭うと、封を開いた。


 

 書き出しは――『私の大切な親友 エスターへ』。

 


『 エスターがこれを読んでいるってことは、私やっぱり死んじゃったのね。


 一緒に共和国へ行こうって約束したのに、守れなくてごめん。


 あなたが私を救ってくれたように、私もエスターを助けたかった。

 

 物語の王子様みたいに、颯爽とあなたを連れ去りたかったんだ。


 でも、ダメだった。

 私じゃ、エスターの王子様にはなれなかったよ。

 

 でもね!私は諦めないよ!

  とっておきの、良い方法を思いついたの!


 ねぇ、エスター。

 生きるのを諦めちゃだめよ!


 私の人生を、全部貴方にあげる。


 私が見たかった景色を、叶えられなかった夢を、みんなが幸せに笑い合う最高の日々を。


 あなたの目を通して、私に見せてちょうだい。


 どんなに離れていても、私はあなたの味方。

 だいすきよ、エスター! 必ず幸せになるの! 約束よ! 』


 

 ぽたりと涙がこぼれ落ちた。

 泣きたくないのに、次から次へと雫が頬を伝う。


「私も……だいすきよ、アデル……」


 手紙を胸に抱いてうつむくと、大きな手が私の頭を撫でた。


 顔を上げると、目を赤くした夫妻がこちらを見ていた。


 シレーネ様が、私に目線を合わせて語りかけてくる。


「エスター、幸せになりなさい。君が悔いのない人生を送ることが、娘の最後の望みであり、私たちの願いだ」

 

「シレーネ様……」


「さぁ、今日はもう休んで。続きは明日にしよう」


 促されてベッドに横たわる。シレーネ夫人が、あやすように私の頭を撫でてくれた。


 悲しくて眠れそうになかったのに、横になった途端、強烈な睡魔に襲われた。


「アデル……」


 私は大切な手紙を胸に抱いたまま、シレーネ夫妻に見守られて眠りについた。



◇◇◇

 

 翌日、目が覚めると、ベッドサイドには私の手を握ったまま眠る夫人と、椅子に腰かけて船をこぐシレーネ様がいた。


 看病させてしまい申し訳なく思っていると「子どもを心配するのは当たり前だ」と言われてしまった。


 

 実の両親は、私が熱を出して寝込んでいても、医者を呼ぶだけで看病などしなかった。異能に影響がないと知るや否や、さっさと部屋を出て行ったのを覚えている。

 

 

(シレーネ様の子どもだったら、もうちょっと幸せな人生だったのかな)



 

 食事を終えると、次は医師の診察だ。

 

 シレーネ様が使用人に「先生をお呼びしなさい」と命じる。


 ほどなくして白い髭をたくわえた、小柄なおじいさん先生が入ってきた。



「先生はアデルの主治医になる予定だったんだ。医学の最先端、メティス共和国の外科医で、腕前は国内随一だよ」


 シレーネ様が紹介する間にも、先生は私の顔をのぞきこみ触診を始める。


「どうですか」とシレーネ様が尋ねると、先生は片手でひげを撫でながら「ふむ」と頷いた。


「難しい手術になるでしょうな。当然、時間も費用もかかります。……が、わしの腕と施術、我が国の化粧技術で、ある程度似せることは可能でしょう。あくまで、わしだから出来る施術ですぞ、他の医師には到底できますまい」


 先生はドヤ顔でふんぞり返った。自分の腕にかなり自信があるらしい。

 

 何をされるのか分からなくて、ちょっと怖い……。けれど口を挟める状況でもないため、私は黙って事の成り行きを見守った。


「それで十分ですよ。もとよりアデルは病弱で、外にも出ず、人と会う機会もありませんでしたから。彼女がエスターだと分からない程度に変えて貰えれば、大丈夫でしょう」


「ふむ。分かった。ではわしは、一足先に共和国へ戻って準備をしておこう」


 先生は白衣をひるがえし、出て行ってしまった。


 

「あの……シレーネ様。似せるっていうのは、どういう……」


 

 おずおずと問いかけると、シレーネ様は「君を置き去りにしてすまなかったね」と言って、ベッドサイドの椅子に座った。


「まずは君に、アデルの残した無茶な計画を説明しなければいけないな」

 

 シレーネ様は穏やかな表情から一転、真剣な顔つきになって、まっすぐ私を見つめる。


 

「エスター。君が自由になる選択肢は、まだ残されている」


 

 

 彼は、言った。


 


 ――『君が、アデルになるんだ』、と。


 

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