第2話 回想~悲劇のはじまり~

(どうしてこんなことに、なってしまったの……)


 病室のベッドの上で膝を抱えてうずくまり、記憶をたどる。


 伯爵家の長女として生まれ、平凡ながらも幸せに暮らしてきた。それが突然、殺人の濡れ衣を着せられ追放されるなんて……。

 

 

 思えば、悲劇はあの夜から始まった。

 

 それは今から数週間前。私の誕生日を祝し、我が家で盛大な夜会が開かれた時のこと――。


 

◇◇◇

 

「エスター、誕生日おめでとう」


 婚約者のダニエルが懐から小箱を取り出し、開けた。

 中にあったのは、ダイヤとエメラルドが煌めく綺麗なネックレス。


 

「ありがとう、ダニエル」


 

 お礼を言うと、ダニエルが後ろに回ってネックレスをつけてくれる。

 

 パーティの出席者が一斉に拍手と歓声を上げ、場はお祝いムード一色に染まった。


「ロザノワール伯爵令嬢とカルミア侯爵子息は、美男美女で実にお似合いですなぁ」


「いやぁ、めでたい! 実にめでたい!」


 声をかけてくる招待客に笑顔で対応していると、ふいに嫌な視線を感じて、私は周囲を見渡した。


 柱の陰から、赤毛の少女が私のことを恨めしげに睨み付けている。

 

 妹のミーティアだ。


(また、なのね)


 私はミーティアから視線を外し、ため息をついた。


 

 一歳年下の妹はひどく我が儘な性格で、他人のもの、特に私のものを何でも欲しがる。今までどれだけの物を盗られてきたか、多すぎて覚えていない。


 

 きっと今日も『そのネックレス頂戴!』と駄々をこねるに違いない。


 面倒事の予感に、私はもう一度ため息をついた。


 

「エスター? ぼんやりして、どうしたんだ? 眠いのか?」


 

 目を覚ますように、ダニエルが私の顔の前で手を振る。その拍子に、彼の手に傷があるのを見つけて、私は「怪我したの?」と尋ねた。

 

 

「ああ、剣の稽古中にね。このくらい平気さ」


「甘く見ちゃだめよ。すぐ治すから、手をかして」


 彼が差し出した掌に、自分の手をかざす。

 意識を集中させると、私の手元が淡く光り、傷がふさがった。


「これでいいわ、気をつけてね」


「ありがとう。いつ見てもエスターの異能はすごいな。物を浮かせたり動かしたりできる異能持ちは多いけど、君のように傷を治せる人は、この王都を探しても、そういないよ」


 

 ダニエルは嬉々とした表情で、私の力をしきりに褒めちぎる。けれど、彼は私を賞賛するように見せかけて、実は自分に酔っているだけ。


 恐らく今も『珍しい異能者の女と結婚できる俺って凄い』と心の中で自画自賛している。私の婚約者ダニエル・カルミアは相当なナルシストなのだ。


 私は適当に相づちを打ちながら聞き流した。

 

「異能持ちの女性から産まれる子は、異能を宿しやすいんだ。だからエスターと俺の子供はきっと凄い能力者になるぞ!」


 ダニエルが子供という単語を口にした瞬間、嫌悪感が込み上げた。

 

 子供は嫌いじゃない。むしろ好き。ただ、近い将来、ダニエルと子供を授かるための営みをすると思うと、憂鬱になる。

 

 私との政略結婚で、ダニエルの生家であるカルミア侯爵家は、貴重な治癒の異能者を手に入れる。


 その見返りとして、うちのロザノワール伯爵家は資金援助を受ける。



(両家の繁栄のために、我慢すべき、なのよね……)


 

 考え事をしているうちに、気付けばダニエルはいなくなっていた。

 

 

(なんだか、疲れてしまったわ)


 

 夜風に当たるためバルコニーへ出ると、中庭にダニエルの姿を見つけた。キョロキョロと周囲を見回し、庭の奥へ去って行く。


 人目を忍ぶような仕草が気にかかった私は、彼を追いかけた。薔薇園を歩いていると、奥の方から話し声が聞こえてくる。

 


「お姉様ばかりずるいわ! あたしにはくれないの?」


「今日は君の誕生日じゃないだろう?」


「ダニエルは、あたしよりお姉様の方が好きなの? 『キスもさせてくれない堅物で潔癖なエスターより、ミーティアの方がいい』って言ってたくせに! 嘘つき!」


「ちょっ、ミーティア、声が大きい。はぁ、分かった、分かったから。君にも同じ物を贈るよ」


「ふふっ、ダニエルだーいすき!」


 ミーティアがダニエルに抱き付き、キスをする。

 

 姉の婚約者に身を任せ甘える妹と、ニヤけた顔でそれを受け入れる未来の夫。


 ダニエルが好色なのは知っていたけれど、まさか妹にも手を出すなんて。

 

 あまりにも不快な光景に、黙っていられなかった。



「何をしているの?」



 冷静に問いかけると、抱き合っていた二人がビクッと振り返る。

 

 ダニエルがミーティアを無理やり引き剥がしながら「違うんだ!」と叫んだ。その横で、ミーティアがふて腐れたように唇を尖らせる。


「エ、エスター。君はきっと誤解してる。これは、そういうんじゃなくて」


「誤解? 弁明は結構よ。私、堅物で潔癖だから、どんな理由でも許せそうにありません」


 破談の危機を察したのか、ダニエルの顔が一気に青ざめた。


「ごめん」「違うんだ」「許してくれ」とすがりついてくる。他にも色々言っていたけれど、私はすべて無視した。


 

 その時ふと、呟きのような恨み言が聞こえてきた。

 

「お姉様って、ずるいよね」



 見れば、ミーティアが憎々しげに私を睨んでいる。

 その、あまりの恨みがましい目に、背筋がぞくりとした。


 自分の妹ながら『何なのこの子』と思った瞬間――ミーティアが走ってきて、正面から私にぶつかった。勢いよく芝生の上に押し倒される。

 

 見上げたミーティアの顔は、鳥肌が立つほど恐ろしかった。


「いつもお姉様だけ褒められて、贈り物も貰えて、ダニエルと結婚もできて! 異能使いって、そんなに偉いわけ? あんただけ幸せになるなんて許せない。要らないなら、ダニエルも、このネックレスも、全部、あたしに頂戴よ!」


 私の胸ぐらをつかんで、ミーティアが暴れ回る。

 強引にネックレスを引っ張られ、首がぐっと絞まった。


「痛いっ、やめて、ミーティア!」

 

 とっさに振り払った私の手がミーティアに当たった。爪がかすり、彼女の頬や腕に傷が走る。


「痛いッ! 何すんのよ! ……許さない。あんたの全てを奪ってやるッ!!!」


 逆上したミーティアがひときわ大きくわめいた瞬間、私達の間で白い火花が弾けた。


「何これ、まぶし――っ」

 

 視界が閃光に塗りつぶされ、目がくらむ。


 しばらくして、近付いてくる無数の足音と「大丈夫か!」という大人達の声が遠くから聞こえてきた。


「う……いまの、何……」

 

 頭を振って数回まばたきすると、ようやく視力が戻ってくる。


 さすがに怒るわよ――と言いかけて、私は言葉を失った。


「はは、あはは。うそ、信じられない。治せる。治せてる。やだ、あたし異能が使えてる。使えてるわ!!」


 ミーティアが手をかざしたところから、彼女の顔や体にあった傷が、あっという間にふさがってゆく。


 まさかと思い、私は擦りむいた自分の肘に手を当てて……愕然とした。



 力が消えていた。いや正確には、ミーティアに奪われたという方が正しいのかもしれない……。


 

「そうよ。やっぱり、そうなんだわ。あたしが黒薔薇姫なのよ! やったぁ、やったわ!」


 

 月の浮かぶ真夜中。大輪の黒薔薇があやしく咲き誇る庭園で、少女のはしゃいだ声が不気味にこだました。

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