夜という名のゴミ箱で
葉霜雁景
リセット
夜と書いてゴミ箱と読む、と誰かが言った。
高台から見下ろす夜の街は、キラキラごちゃごちゃしている。古い白に新しい青、道に沿う橙、どぎついネオン。よく言えば玩具箱、悪く言えばゴミ箱といった感じ。
冷たい草と土、緩やかに熱が取られていくコンクリートの匂いに包まれながら、光で守られた箱の中を見下ろす。ここから出たら闇だらけ、足元も見えなくなってしまうから、人は眠ってやり過ごす。
だから、こっそり群れから外れたところで、そう容易くバレはしない。
何となく生きるのが面倒になって、朝を良い気持ちで迎えられる気がしなくて、少しでも暗い中へ逃げてきた。海の奥深くへ沈むように、夜に沈んでしまいたくなった。
どうしてこんなことで悩むのだろう。怠惰極まって動けなくなっているだけ。原因は分かっているのに、解決しようという気にならない。
あの光の箱にいる人たちが羨ましい。やるべきことから逃げない身体が羨ましい。全部放り捨てて逃げてる自分とは大違いだ。箱の中で守られて当然だ。
生きていて楽しいことがあるから、こうして死なずにいるけれど。命を維持するのはあまりに面倒で。体を維持するのも、自分を守る組織に対価を納めるのも面倒で。そんな怠惰な自分が嫌で、きっと社会には邪魔で――そういう時、散歩という名の逃避行をする。
ついさっき見たスマホの時計では、日付がもう変わっていた。新しい一日は始まっている。だけど朝さえ来なければ昨日のままだ。昨日という死骸のままだ。
でも、もう良いかな。もうゴミ箱行きになりたいから、本当の死骸になっても良いかな。動機が情けなさすぎるけど、だって全部どうでもいい。楽しいことがどんなにあっても、ずっと続く面倒臭さの対価にはならない。
人間一人減ったところで、社会にも世界にも影響は無い。それじゃあもう終わりにしよう。ちょうどこの真下はコンクリート製道路だから、ふらっと一歩外れてしまえば。
「いやー、何回読んでもよく分かんないですねー、こういう思考に陥っちゃうの」
白紙のモニターに整然と並んだ明朝体を笑って、青年は画面を閉じる。次いで現れた画面には『消去』を掲げたボタンが
「消去完了しましたー、新しいの入れまーす」
「はーい」
モニターの更に後ろ、ガラス越しに白衣の女性が片手を上げた。
青年が押し慣れたキーを叩けば、彼女の傍らで光るモニターを介し、コードで繋がった人体に送られていく。今や完全な機械となった、現生人類の肉体に。
「よし、今夜の分も終わりだね。お疲れ様」
「おつかれーっす」
搬入された機体を台車に乗せて押しながら、女性が青年の隣へやって来た。立ち上がって伸びをしていた青年が、すぐさま取っ手を代わる。
「別にいいのに。男女の力量差なんて無くなったんだから」
「いやいや。座りっぱなしだったんで、動きたくなっただけですよ。あ、これ運んだあと自販機行きません?
「ほー、いい度胸だな。よろしい、ブラックコーヒーを奢ってあげよう」
「ココアで勘弁してくださいよー」
体育座りをさせた機体を運びながら、同じく機体に白衣を纏った二人は歩いていく。ブラックコーヒーもココアも、味というデータが入ったUSBメモリでしかないが、今の人類は全く気にしなくなった。
精神をデータ化し、肉体を機体に替え、人間は実質的な不老不死を手にした。しかし一定の年齢に達すると、初期化という死を迎え、新生データと新しい機体を得て生まれ変わる。機体は年齢を経るごとに、その年齢として良い水準を保ったモデルを充てがわれるため、老化を脱却しながらも成長を失うことはなかった。
「にしても、この方は結構難儀なデータに当たっちゃったんですねぇ。再構築されるとはいえ、定期的に鬱になっちゃうのってバグなんじゃないですか?」
「そのあたりは仕方ない……というか、そうじゃないと人間じゃない、って感じだと思わない? 完璧なものが一つあったら、その他の何もかもが要らなくなっちゃうんだし。多様性の一つだよ。それに大昔と違って、鬱は完全に消去できるんだから、あってもさほど問題じゃないでしょう。むしろあれば私達が儲かるし」
「なんか、めっちゃ悪いこと言ってません?」
「かもねー。大昔の人からしたら、倫理やら何やらがどうなってんのかって槍玉に上げられそう。でもまあ、これが私達の選び取った進化だもの。生きてるんだから、それでいいじゃない」
気楽に弾む声で言う女性に、青年もふにゃっとした相槌を打つ。廊下に車輪の音を響かせながら、別室で同じ作業に当たる仕事仲間を横目に歩いて行く。
「それにさ。こういうバグが発生した機体は、夜に出歩くよう設定されてて、
「それはそうですねー。旧人類の女性なんて危険が桁違いでしょうし」
「男性でも危ないよ、程度が低いだけで。ともかくみんな良い感じに、適度にアナログを挟みつつ、安心安全の一生を全うできるってワケ」
「急に雑ぅ……」
青年の脱力と同時に、二人はエレベーターの前に到着した。台車も入る都合上、かなり広めな造りとなっている箱に乗って、一階へと降りていく。
待っていた回収業者兼、機体の帰還を担う業者に台車を引き継いで、二人はそのまま自販機へと向かった。壁一面ガラスの窓と向き合い、静かに冷たい光を放つ箱へ。
「何だっけ、ココア?」
「ですです。先輩も何か飲みます? 奢りますよ」
「えー、それじゃあどうしようかねー」
青白い逆光を受ける後ろ姿が、黒い紙を貼り付けたような窓にくっきりと映り込む。暖色の照明に照らされた室内も反射しているが、影のそれらには夜の黒地が薄っすら透けている。
結局、女性は冗談で上げたブラックコーヒーを選んだ。缶のデザインは変わらず、しかしプルタブを開ければコネクタが出てくるそれを、青年の前に掲げる。
「今夜もお疲れ! 運ばれてきた人たちが、すっきり新しい一日を始められるのを祈って、乾杯!」
「かんぱーい! ……先輩、深夜テンション入ってますね」
「だねぇ。あ、大昔の人のこと散々言ったけどさ。ちょっと羨ましいなってところもあるよ。こういうテンションで夜の散歩に繰り出すって、たぶん気分が良いと思うし」
「あー、それはちょっと分かるかもです。でも、仕事終わりもそんな感じじゃないですか?」
「おいおい無粋な奴だな。仕事帰りと自由時間じゃ全然違うだろう」
安心安全、温かな光で満ちた箱の中で、夜という名のゴミ箱にデータを捨てる人々は笑う。彼らもまた朝が来れば、データを更新して、保存して歩いていく。
夜と書いてゴミ箱と読む、と誰かが言った。けれど、完全に消えたデータは、夜の闇にも残らない。かえりみられることもない。
だけど、それでいいじゃないか、と。朝を行く人々は、美しい機械の頭部で、軽やかに笑い軽やかに言った。人間はただ、生きていさえすれば良いのだから。
夜という名のゴミ箱で 葉霜雁景 @skhb-3725
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