幽霊彼女の深夜相談

ケーエス

夜の散歩×資格


 夜道を散歩するには資格が必要である。

 世知辛い世の中になったもんだ。今や夜に外を歩くってのは危険極まりないものになった。


 昔は好きだった。夜中の誰もいない公園を歩く。虫が鳴いている。街灯が誰もいないはずの場所を照らしている。空を見上げれば星が輝いている。そりゃあキャンプ場で見る星々に比べりゃあなんてことはないけどな。ブランコに座る。普段は子どもたちが遊んでいるから乗るわけにはいかない。でもこの時間帯なら童心に帰ってキコキコキコ……。ゆっくり佇んで金属の音を聞くことができる。心の内に暖かいものが広がる。


 ある時、いつものようにブランコに座って夜空を見上げていると、人の気配がした。振り向くと誰もいない。少し胸騒ぎがした。ただ、こんな夜更けの公園に人が現れるわけがない。気のせいだろう。実際その後は何も起こらなかった。俺はいつも通りに家に帰った。


 翌日、ブランコに乗っているとやっぱり人の気配がした。振り向くと誰もいないのも同じだった。

「いったい何なんだ……」

 気味が悪いと思って立ち上がり、人の気配がした方に歩いてみた。公園を囲むように生えている木々の下。確かこの方向だったか。見回してみても誰もいない。

「疲れてんのかな」

 そう思ってきびすを返すと、

「うわっ!」

 ブランコの上に人影があった。俺はひっくりかえってしまった。

「いてて」

 ゆっくりと体を起こすと、ブランコに女性の姿があった。こちらをじーっと見ている。白いワンピース。無表情。突然現れるこの感じ。まさか。


「幽……霊?」

「ええ!?」

 驚いていたのはむしろ向こうの方だった。声が震えている。

「私やっぱり死んでるんですかね?」

「え?」

 まさかの逆質問にポカンとなった。自覚が無いのだろうか。この幽霊は。いやそもそも幽霊なんだろうか。いや死んだのかなって聞いているくらいなんだから。いや幽霊が自分が死んだことくらいわかるんじゃないか? いやいやいや……。脳内議会が紛糾し始めた。


 いやいやちょっと待てよ、議員のひとりが言った。


 この幽霊、めちゃくちゃ綺麗じゃない?


 確かにそうだ、大きな目、彫りの深い顔立ち。シャンゼリゼ通りを歩いてそうな気品。幽霊特有の見てはいけない感が無いのだ。白いカラスというよりは、コンクリートから伸びた小さな花。あと喋り方もほぼ普通の人間のようで……


「すみません、話聞いてます?」

「ああ、聞いてますよ」

俺は勢いよく立ち上がった。

「どうですかね? 私?」

「いやあーどうなんでしょうね」

 それはどっちの意味なんだろうか。心臓がドキドキしてきた。

「座ります?」

 彼女が隣のブランコを指差した。

「座ります」

 俺は恐る恐る隣に座った。


 沈黙。苦しくて夜空を見上げた。変わらず瞬く星。今の気分は仕分けの終わっていない郵便局。


 急に腕がスカッとした。

「ひえっ」

「やっぱり」

 彼女が自分の手を見つめた。触れようとしてみたようだった。やっぱり彼女は幽霊だったのか。怖いんだか嬉しいんだか感情がコンクリートみたいに粘りっこくかき混ぜられる。でも。


「はあ…」

 ため息をついている彼女はとても幽霊じゃないみたいで。

「なんかあったんですか?」

 気づけば尋ねていた。

「え?」

彼女はこちらを見て、しばらく静止した。

「死んじゃいました」

「そうですよね」


 再び沈黙。

「私重い病気で」

 語り出したのは彼女の方だった。

「はい」

「ずっと入院してたんですけど、彼氏がなかなか見舞いに来てくれなくて」

「彼氏」と聞いて思わず彼女の横顔を見てしまった。少し残念がる自分が嫌になる。

「DM送っても電話しても全くつながらなくて。どうしても会いたいんです。会いたくて仕方ないんです」

「はい」

「ある日体が軽くなって、病院を抜け出して彼氏の家に行ったんです。そしたらそこには全然違う女の人がいて。誰も私のこと気づいてくれないし。さまよい歩いたらここにたどりいたんです」

「はあ」

「どうやったら会えますかね?」

 彼女の大きな目に見つめられ、俺は思わず目をそらした。足を掴む手の力が強くなる。

「それは」

 そこまで言って俺は口をつぐんだ。彼女は今にも炎が消え入りそうなろうそくみたいだった。

「きっと会えます。会いたいと思う気持ちがあれば」

「本当に」

「本当です」

 そう返すしかなかった。彼女の顔がパアっと明るくなった。その顔は今見た中で一番美しかった。心のヒビに電撃が走っていった。


「今日はなんかありがとうございます」

「いえいえこちらこそ。話相手がいる夜の散歩もなかなかいいですね」

「ええ。では」

「はい。お気をつけて」

「はい」


 彼女は手を振り、歩き出した。消えた。また星空と自分だけになった。



 それ以来彼女は姿を現していない。彼を見つけて成仏したのだろうか。現実を思い知ってこっちに帰ってきてくれたらいいのに。そう思う自分がいやらしく思えた。


 数十年が立ち、この街は様子を変えてビルが立ち並び始めた。あの公園は酒飲みの溜まり場になり、星も見えず、とても夜道を散歩する雰囲気では無くなってしまった。俺は霊を見る視覚を失い、あの夜道を散歩する資格を失い、どっちにしろ彼女との縁は無かったのだと自覚した。


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幽霊彼女の深夜相談 ケーエス @ks_bazz

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