第3話 友達であって、友達でない
講堂に入ると、人はだれもいなかった。
気に入っている、前から五番目の右端の席に座った。
まだ買ったばかりで、まだ暖かいお茶を一口含む。
時計を見やり、講義が始まるまで十五分あるのを確認した。
私はカバンの中に手を突っ込み、読みかけの本を取り出した。
円状の音の輪がちかづくように、人が増え、ざわめきがまし、ふと横をみると柚葉が座っていた。
いつものふわふわのショートボブで、スマホをいじっていた。
「いつ座った?全然気配がなかったんだけど」そう声をかけると、スマホから目線を外しきれいなアーモンド型の瞳がこちらを向く。
「10分くらい前」
柚葉は、見た目通りの女の子らしいさらさらした透明な音を発する。
「ほんと?」
「全然気づかなかった」
「本に夢中だったからね」
視線と視線が交わる。
「今日、うちに来る?」
柚葉の冷静な顔と声の中に熱っぽさを感じる。
答えは出ているのだけど、ちょっと考えるふりをし、少しだけ間を置く。ざわめきのなかで、柚葉が抱える不安そうな裏面の顔がのぞかせた。
「うん、いくよ」
そう答えると、柚葉のまとう雰囲気の濃度と色彩がちょっとだけ濃く、鮮やかになる。
「彼氏は、大丈夫?」
「うん、大丈夫。昨日一緒にいたから」
「そっか」
彼女自身が質問しているのに、柚葉の傷ついた「そっか」耳にこびりつく。
教授のぼそぼそと独り言のような講義が続く。
今日の朝の彼のボサボサな髪の毛と、さっき飲んだ温かいお茶と、大学に行く途中であった猫に思いをはせる。
この三つの組み合わせは悪くないな。
肘をついて、手のひらに顎をのせ、視線だけを柚葉に向けた。
賢明にノートをとる姿は、まっすぐ未来をみているような純粋さを感じる。それが、ちょっぴり、うらやましかったりする。
講義が終わり、重なり合う音に紛れて柚葉と講堂を出た。
「じゃあ、後でね」
「うん、じゃあね」そう言って笑う柚葉は、かわいらしさを落としながら次の講義へ向かっていった。
柚葉と別れた後は、一言も話す機会もなく、時間が過ぎるのをじっと待った。
最後の講義が終わると、すぐさま図書館に向かった。
館内は暖房の人工的な空気で飽和し、入った瞬間じとっとした汗をかかせた。
ぐるぐるに巻いていたマフラーをはずし、カバンの中に押し込む。
紙で覆われた空間は、私の呼吸を緩ませる。ふっと息をつき、だだっ広い館内をぐるりと見渡した。
人がまばらで、本が探しやすそうだ。
ゆるゆるとした一定の速度で次々と背表紙のタイトルを見ながら、心に落ちてくる単語を拾い上げる。
拾い上げた単語は逃がしてしまわないようにぎゅっとつかんで、それぞれの文章の元へ離し、その文章が私の世界と融合できるか吟味する。
そうして三冊ほど新しい景色を望む本を選んだ。
外に出、図書館の入り口の横のベンチに座って、柚葉に電話をかけた。
「もしもし、柚葉?いまどこ?」
「図書館に向かっているところ。どうせそこにいるんでしょ?」
「ふふ、よく分かるね」
「分かるよ、夕のことは、なんでも」
「そうだね」
電話越しにきいても、柚葉の声は変容しない。電波に勝る柚葉。強い。
程なくして、私の目の前に柚葉が現れた。
「おまたせ」とすこし息を切らせながら言う柚葉の耳には、シルバーのピアスが揺れていた。
太陽の光を受けて、星のようにひかっていた。そのピアスは、柚葉の小さい顔を、より一層小さく見せ、とても似合っていた。
私がピアスに気をとられていると、柚葉が「どうしたの?」とでも言いたげに顔を困らせていた。
その顔が、無性にかわいくって、ふっと笑ってしまった。
「なんで笑ったの?」柚葉は言った。
「いや、今日はいい日だなーって」
「そう?」
「うん」
私は、話をそらすかのように「ほら、いこっ?」と言い、先を歩き出した。
背後で「うん」と柚葉がつぶやく声が聞こえた。
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