ハティ

洞貝 渉

ハティ

 なんで夜は暗いの?

 それは、お日様が居眠りしてるから。


 なんでお月様はずっとついて来るの?

 あなたのことが羨ましくて、いつか隙を見つけて入れ替わってやろうと思っているの。


 なんであなたは夜遅くにお散歩するの?

 それは、——だから。


「あれ?」

 明るい部屋の中で目を覚ました。

 なにか、すごく大切な夢を見ていたような気がするのに、思い出せない。

 カーテンを開けると外は真っ暗で、大きな月が出ている。

 時計の短針は三をさしていた。もちろん、昼の三時だ。

 

 世界のどこかには、夜の来ない時期のある国があるみたいだけど、今の世界には朝が来ない。

 いつからこうなったのかは覚えていない。

 みんな自然とこの状況を受け入れているから、ずっと前からこうだったのかもしれない、と思う。

 でも、こうじゃなかった時があったような気がする。月が空を横切り、お日様が顔を出して朝がやって来ていた、ような気がする。


 深夜の散歩で起きた出来事がどうしても思い出せなかった。

 思い出せたら、夜から抜け出せるのかもしれない。

 夜から抜け出したい、というよりも、夜を追い出さなければならない、という義務感があった。人間には朝が必要なんだと、あのヒトが言っていたから。


 まん丸い月が、ふいに嗤ったような気がした。

 私は軽く髪を整えてから、外に出る。

 幼いころ、私は上手に眠ることができなかった。

 夜を持て余し、こっそり家を抜け出しては深夜の散歩をしていた。

 

 あのヒトと出会ったのはそんな深夜の散歩中のことだった。

 今して思えば、子どもが一人で歩いているのを心配して、見守ってくれていたんだと思う。あの頃はただただ不思議なヒトだと思っていた。



 なんで夜は暗いの?

 それは、お日様が居眠りしてるから。


 なんでお月様はずっとついて来るの?

 あなたのことが羨ましくて、いつか隙を見つけて入れ替わってやろうと思っているの。



 深夜のような真昼の空の下、目的地もなくただ漫然と足を動かしていると、思考が沈み込み、唐突に思いもよらないことを思い出したりする。くだらない私の質問に、茶目っ気たっぷりに返してくれたあのヒトのことを想い、自然と頬が緩む。

 あのヒトと交わした、大切でかけがえのない言葉。

 ——大切で、かけがえのない、最後の言葉。



 なんであなたは夜遅くにお散歩するの?

 それは、月が大嫌いだから。



 その時、明後日の方を向いていたあのヒトがどんな顔をしていたのか、私にはわからない。

 ただ、軽い口調の中に何か黒々としたものが垣間見えたような気がする。

 気がするだけかもしれない。今となってはもう、何もわからない。

 

 あのヒトはこの言葉の次の瞬間には、上から落ちてきた人に押し潰されてしまったから。

 深夜に人がいるとは思わなかったのだろう。

 死ぬ気で落ちてきたその人は、あのヒトをクッションにして助かった。

 クッションになったあのヒトは、二度と目覚めなかったけれど。


 そうだ、そうだった。

 思い出した。

 私はあれ以来ずっと、あのヒトのことを忘れてしまい、代わりのように夜が怖くてたまらなくなった。

 意味もわからず夜が怖いまま成長し、大人になり、そして。


 真昼の空に月を見つけたんだ。

 あの時の私は疲れ切っていた。なにもかもが苦痛に感じて、常に目の前が真っ暗闇に見えていた。

 深夜のような真昼の空の下、目的地もなくただ漫然と足を動かしていると、思考が沈み込み、唐突に思いもよらないことを思い出したりする。

 深夜の散歩で起きたあの出来事を、その時に思い出したのだ。

 そして、あの日の深夜の散歩の続きがしたくなった。どうしても、したくてたまらなくなった私は、目についた建物の階段を上り……。


 

 顔を上げると、あのヒトが手招いているのが見えた。

 あのヒトが大嫌いと嘯いたお月様の下で。

 あの日の深夜の散歩の続きをするために。

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ハティ 洞貝 渉 @horagai

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