夜に散歩はいかがかね?

 その日の夜の散歩の場所は、私が提案した。

 場所を告げると、乙は大いに嬉しそうにした。


「ふふ、おじさま。わかってるじゃない!」


 場所は都内某所とないぼうしょの神社である。さびれているが、境内けいだいだけは大きい。仕事用のダークコートに身を包み。私は足を踏み入れた。


「きゃあ!?」


 乙が悲鳴を上げる。ああ、すまない。乙のことを忘れていた。

 微かに身を焼く感覚がある。結界だろう。私はこの程度気にしないが、乙には辛いだろうね。


「すまないね、乙。すぐに壊そう。大丈夫だよ」


 手の一振りで結界を打ち破った。一角が崩された結界は連鎖的に崩壊していく。これで乙が痛がることもないだろう。しかし、ね。これで我らの侵入はバレたね。

 

 さて、ならば次にくるのは……。


 ――符だ。符が飛来した。

 何十枚もの符が、私の上空に漂い、雷撃を落とさんとまばゆく光るのだ。なるほどいい手だ。物量にものをいわせた戦法。広範囲は避けづらいからね。だが、


「――急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう、病身変じて風となる。しっ


 私は老いている。

 あまり動きたくない。とはいえ、そうもいっていられない。神速の風を呼び出し、身を任す。符術で身体を霞と変じた私は一陣の疾風となる。


 術の効果が切れ、降り立った先には、符を放った若手の狩人たちがいた。

 まったく、場所がバレバレだよ。せっかくの奇襲であるのに、固まっているのは愚かとしか言いようがない。


 慌てふためいた彼らが符を投げる。こちらも符をまく。超接近からの符術戦だね。若い頃はよくやった。私に勝てるものはいなかったがね。


「玄武・白虎、閃光となり走れ」


 双方の繰り出す式と符。いくつかは撃ち落とされるが、彼らの操作精度はあまりにつたないようだ。

 すり抜けた符が数枚。彼らに届く。

 この程度とはね……。仕方ない。やってしまいなさい。


 ――ゴウと。

 彼らの顔に張りついた符が焔を噴き上げた。


「ぎゃあああ!! 火がぁ! 火ががあああああ!!!! 」


 火だるまになった顔を抱え走り回る。地に頭をこすり付けるもの。池に飛び込むもの。それぞれだが、火は消えない。

 当たり前だ。まったく嘆かわしい。符術の焔は、符術をもってしか消せぬと教わっていないのかい?


 肉の焦げる匂い、くぐもった悲鳴、断末魔の足掻き。


 それらが止んだ時、あたりは静寂に包まれた。

 誰も動かない。人を相手にするならば、大げさな攻撃は必要ない。頭を焼く。それだけの火力だ。最小限で良い。気道を焼けば呼吸が出来ぬ。呼吸ができねば考えられぬ。考えられねば死ぬだけだ。まったく、人は脆い。



「おじ様、すごーい! かっこいい!」

 乙が声を上げる。


『げははは、ざまぁねぇな、狩人ども! 死ね死ね、みんな死ね!』

 乙に似た何かが声を上げる。


「おじ様、嬉しい。私の家族の仇がやっと取れるのね!」

『なーにが、狩人だ! 何が退魔組織だ! てめぇら自身の術で死にやがれ!』


「頑張れ頑張れ、お、じ、さ、ま!! 素敵素敵、すごーい!」

『このおいぼれを乗っ取ったのは大正解だなぁ! こんな爺が最強だとはよぉ!』


 ――今日の乙はすこぶる饒舌じょうぜつだ。


「本堂の奥の隠し通路の奥だよ。君の仇がいるのは」


 脳の中で、乙が嬉しそうに微笑む。

 脳の中で、乙に似た者がゲハゲハと笑う。


 おそらく先ほど殺したのが、最後の若手だろう。後は私と同じ老人どもだけだ。

 

 ――過去、私には乙に似た娘がいた。

 美しく聡明そうめいな妻に似た娘。最愛の私の家族だった。


 退魔狩人という業の深い仕事をする中でも、彼女たちは私の希望だった。


 だが、ある日。希望は絶望に変わった。

 二人が殺された。妖魔討伐の任から帰った私は、血だまりに沈みバラバラになった彼女たちを見た。半狂乱になった私は、狩人組織の地下牢に監禁された。


 そこで、

 妖魔こそ悪。妖魔を殺せ。今までのような生ぬるいやり方では無く、ことごとくを殺せ。人も殺せ。我らが組織に仇なすものは全て。


 絶対孤独の殺戮者になれ。

 愛する者などなく、撃つべき敵のみを見よ。

 お前に家族などいないのだ――


 と。


 実力はあるが、時に妖魔にまで情けをかける私を、組織の長たちは苦々しく思っていたのだろう。妻子を殺し、絶望の底に落とし、どん底まで弱った私の心に暗示をかけたのだ。


 以来、私は組織に忠実な殺戮者となった。

 手にかけた妖魔は数知れず。手にかけた人間は数知れず。だ。


 そうして老いたあとも暗示は続いていたのだが、ある日、乙がやって来た。


『げはは! おい、おいぼれぇ! 組織をぶっ壊したら、次はお前だぁ! いや、俺たち妖魔を狙うのは、退魔狩人だけじゃねぇからなぁ! 聖教会のやつらもやっちまうか!? その為にはお前は要るもんなぁ? 死ぬまで俺様の手足としてこき使ってやるよぉ!』


 私の頭の中で、乙ががなる。口汚く、下品な声で。


「うんうん。そうだねぇ。ここが終わったら、一緒にお菓子でも食べにいこうかね」


『ぎゃははは! 哀れ哀れ! 死んだ娘の幻影に溺れろやぁ!』


 彼には感謝している。彼は退魔狩人に恨みを持つ寄生型の妖魔であったようだ。彼に憑りつかれた事で、私は全てを思い出す事ができた。また、毎夜繰り返される、夜の散歩という名の“退魔狩人”狩りの中で往年の勘を取り戻す事ができた。その中で彼の支配も次第に薄れていった。


 彼はまだ私が自分の支配下にあると思っているらしいが、私は私の意思で、古巣の組織を滅ぼそうとしている。


「乙には本当に感謝しているよ。こんな老人に付き合ってくれて嬉しいね」


『ぎゃはは! 本当にそうだよなぁ!』


 私は乙と共に行く。もうすぐ妻子の復讐が果たせる。どうやらその後も、彼はいてくれるらしい。嬉しい事だ。孤独は嫌だからね。老人はさみしがり屋なんだ。年をとると多少の事は受け入れられるようになる。


「これからも一緒に夜の散歩をしようね、乙」

『おお、いいぜぇ! 老いぼれが死に絶えるまで使い潰してやるよぉ!』


 彼が一般人を殺せと言い出した時はどうするかな。

 それこそお菓子符術でも与えてみようか。苦痛に泣く乙を見たくはないけれど。


「私が死ぬまで一緒に散歩してくれると嬉しいよ」


 私は本心からの言葉を、彼に投げかけた。


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老残退魔奇譚-夜に散歩はいかがかね? 千八軒 @senno9

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