ぐちゃぐちゃパラダイス

oxygendes

第1話

 作戦を成功させるためには、綿密な計画と機密の保持が必要不可欠である。パラダイス作戦の成功に向け、我が部隊の精鋭三名は着実に準備を進めていった。

 必要な物資のリストアップと調達のタイムテーブルの作成が第一歩であった。調達した物資が敵の目に触れれば作戦の破綻を招きかねない。ぎりぎりのタイミングで作戦の場所である我が家のダイニングキッチンに運び込むのだ。


 作戦三日前、我が部隊は作戦を隠ぺいするためのニセ情報を発信した。ここでは、紗耶香さやか羽瑠香はるかの両隊員が重要な役割を担った。

 敵がテレビのリモコンを操作している瞬間に私が切り出す。

「お前たち、日曜日の晩ごはんにリクエストはあるか?」

「えっ、パパが作ってくれるの? じゃあね、チキンライスがいい。ケチャップで甘ーく味付けしたやつ」

 紗耶香がすばやく答え、

「あたしもチキンライスがいい」

 羽瑠香が同調する。

「じゃあ、そうしよう。おいしいのを作るからな、楽しみにしておけよ」

 こうして、実にさりげなくニセ情報の発信が完了した。ちらりと様子を窺うと、敵は何の疑いも持っていないようだった。

「あなたたち、よかったわね。じゃあ、お父さん、よろしくお願いします」

「ああ、任せておけ」

 そう、今回の作戦の敵はわが妻である。彼女が同窓会に出かけている間に作戦を実行するのだ。


 作戦前日、私は必要不可欠な物資であるカトラリーの調達を行った。会社の帰りに駅のそばの大型日用品店に立ち寄る。食卓用品売り場には目指すカトラリーが何種類も並んでいた。先端の形状、柄の部分の堅牢さを吟味し最上のものを選択する。それを三本購入し、準備しておいた茶色い紙袋に入れて、通勤バッグの内側ポケットに収めた。これはXデーまでバッグの中に隠し続けることにする。


 そして、作戦当日になった。作戦開始は夕方であり、午前中はまったりと過ごした。午後になってから行動を開始する。まず、残りの必要物資の調達だ。これはニセ情報で提示した偽装を利用して行われる。


「晩ごはんの材料を買って来る。ええと、鶏肉と……、玉ねぎはあるかな?」

「買い置きがあるわよ」

「そうか、じゃあ鶏肉と後何か適当に買って来る」

「お願いね」

 偽装は完璧に機能しているようだった。


 私はスーパーで物資を調達した。まず、鶏のこま切れ肉、そしてかまぼこを買った。これらはチキンライスの具にもなる。そしていよいよ重要物資である。物資Eは食料品売り場にあった。六個入りを二パック購入する。物資Gは乾物売り場だ。十個入りのもの一つを購入した。物資Sは野菜売り場だ。並んでいるたくさんのパックを比較、選別し、艶やかで色が鮮やかなものを選んだ。


 家に帰る時刻は三時四十分すると打ち合わせ済みだ。紗耶香、羽瑠香はこの時刻の少し前から敵をマークし、家に入った私のレジ袋がチェックされるのを防ぐ段取りだ。

「ただいま」

 私の声に返答は無かった。玄関にいた紗耶香が無言で二階を指さす。妻は二階でお出かけの支度をしているようだ。すばやくダイニングキッチンに入り、物資を冷蔵庫に格納する。物資Eは冷蔵室の奥に押し込み、その前に鶏のこま切れ肉とかまぼこを置く。物資Gはピスタチオナッツの陰、物資Sは野菜室のトマトの後ろに入れる。木を隠すなら森の中に、の教え通りだ。


 格納を終え、リビングで待機しているところへ妻が下りて来た。パステルピンクのレディーススーツで化粧をきっちり決めている。

「じゃあ、行ってきます。晩ごはんはよろしくね」

「はーい」

 紗耶香、羽瑠香が声を揃えて答え、妻は出かけて行った。いよいよ作戦開始である。


 まず調理からだ。冷蔵庫から物資を取り出し調理台に並べる。物資G、銀杏は三個を紙封筒に入れ電子レンジで三十秒チン、その間に材料をカットする。鶏のこま切れ肉は食べやすい大きさに、かまぼこは三分の一は五ミリの厚さに切り、残りはさいの目切りにする。玉ねぎは粗めのみじん切りだ。

 コンロでお湯を沸かし、和風だしの素を入れて出汁を作る。冷めるのを待つ間に銀杏を取り出して殻を取り、薄皮を剥いた。

 そして物資E、玉子の出番である。まず三個を割ってボールに入れ、泡立てないようによくかきかき混ぜてから濾器で濾す。茶碗蒸しの容器三個に薄切りのかまぼこと鶏肉の一部を入れ、銀杏は一個にだけ入れる。紗耶香、羽瑠香は好きでないと言うのだから仕方ない。卵液を注ぎ、蓋をして、湯気の立った蒸し器にかけた。

 いよいよメインディシュである。フライパンを火にかけてバターを溶かし、鶏肉、玉ねぎ、さいの目切りのかまぼこを入れて炒める。玉ねぎが透き通って来たところでご飯を加え、フライ返しで切るようにして混ぜる。ほぐれたところでケチャップを加え、塩コショウで味を調える。ここまではチキンライスの工程だ。出来たものを三つに分けて皿に入れ、形を整えておく。

 さあ本番である。卵三個をボールで溶いて牛乳を加え、熱してバターを引いたフライパンに注ぐ。力強くかき混ぜ、塊ができ始めたところで弱火にし、端から包み込むようにしてひっくり返していき、中が半熟のオムレツ状態にする。それを慎重にチキンライスの上に載せた。そう、作っているのはふわとろタイプのオムライスだ。妻が作るのは固焼きタイプのオムライスだ。それを行儀よくスプーンで切り取り、玉子がチキンライスの上の状態で食べることが求められる。だが、オムライスの神髄はそんなものではない。今夜は‥‥‥、

 いや、そんなことを言っている暇は無い。続けて二つのオムレツを作り、チキンライスに載せた。

 最後に物資S、イチゴである。塩水で洗ってヘタを取り、三つのガラス容器に分けた。イチゴスプーンも取り出して、その横に置く。


 とて、至福の時間の始まりである。三人で出来上がった料理をテーブルに運んだ。

「では、これよりぐちゃぐちゃパラダイスを開始する」

「おーっ」

 紗耶香、羽瑠香が鬨の声を上げる。

「「「いっただきまーす」」」


 まずは茶碗蒸しだ。妻の好みは一さじずつ行儀よく食べることだが、そんなものは×××××だ。

 スプーンを突っ込んでかき混ぜぐちゃぐちゃにする。容器を口に付け、ずるずるとすすり込んで食べる、うまい、喉を通る時のどろどろとした感触が心地よい。

「「「ぐちゃぐちゃはステキだ―っ」」」

「「「ぐちゃぐちゃはおいしい―っ」」」

「「「ぐちゃぐちゃは正しい―っ」」」

 鬨の声を上げた後で、残ったかまぼこと鶏肉、そして銀杏を味わう。うむ、ほくほくしていておいしい。


 そしてオムライスだ。玉子にナイフを入れると二つに割れてどろりと広がった。その上にケチャップをかけてから、全体をスプーンでかき混ぜる、かき混ぜにかき混ぜ、ぐちゃぐちゃにまざったところで、スプーンですくい味わう。とろとろの卵を噛みしめると中のご飯粒が崩れ、甘さと酸っぱさが口の中に広がる。時折交ざる鶏肉とかまぼこの弾力のある歯ごたえがいいアクセントになる。うまい。

「「「ぐちゃぐちゃはステキだ―っ」」」

「「「ぐちゃぐちゃはおいしい―っ」」」

「「「ぐちゃぐちゃは正しい―っ」」」


 最後にイチゴだ。牛乳と砂糖をかけ、イチゴスプーンでぐちゃぐちゃに潰す。ほんのりとピンクに染まった牛乳の中に潰れた赤い果肉の島が盛り上がり、溶け切らない砂糖の粒がシャーベットのように乗っている。それをイチゴスプーンで掬って口に入れる。濃厚な甘みと、イチゴの香り、かすかな酸っぱさが心地よい。

「「「ぐちゃぐちゃはステキだ―っ」」」

「「「ぐちゃぐちゃはおいしい―っ」」」

「「「ぐちゃぐちゃは正しい―っ」」」


 こうして我々はぐちゃぐちゃを堪能した。だが、片付けまでが作戦である。三人で食器を洗い、調理で出たゴミを分別してゴミ箱に入れた。


 帰って来た妻は片付いたキッチンに感心していた。ゴミ箱の玉子パックを見て、目を細めたような気がしたが、それはまさに気のせいであろう。


                終わり

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