7は斜めで、7はざらついて、そして7は濡れている

羊蔵

7は斜めで、7はざらついて、そして7は濡れている



 最近七七七にまつわる話を立て続けに聞いた。

 七七七は番号であったり、文字数であったり、呼称であったりした。そういえば伯父も七七七の書籍コレクションを持っていた。

 七七七という数には人の執着心をくすぐる何かがあるのだろうか。


 そのせいか思い出した事がある。

 あれが夢でないなら私もある種の七七七に接触していた。

 黄色カバーのランドセルが視えるから、あれは小学校低学年の頃。


 そう。当時私は泥団子に凝っていた。

 握った泥に紙切れを埋め、仕上げにつつじを乗せる。

 バカな子供だったので「つつじ寿司」とかいって得意がっていた。

 紙切れはワサビを模したものだ。

 それにお経のイメージもあったと思う。「つつじ寿司」は供物でもあった。


 体育館の軒下の奥に、猫の白骨死体だといわれる何かがあって、それ夜が動くだとか、朝に増えているだとか噂されていた。

 その猫に「つつじ寿司」を供えていた。

 供養というより作品展示という感覚だった。


 ワサビ紙は家の倉庫にあったボロボロの紙束で、今思えば家系図、或いは何かの名簿だった。

 それをどういうつもりか名前ごとで切り取ってお供え物に埋めていた。

 名簿の人たちが知ったら、さぞ嫌な顔をしたことだろう。


 私は妙な拘りに突き動かされ、ひたすら握っては供えを繰り返した。

 とはいえ七七七には遠く及ばなかったはず。


 その日も紙とつつじの傍ら、泥をこねていた。

 妥協なく、肘まで突っこんで念入りに掻き回した。

 砂と水の混合物の中で急に柔らかな、複雑に動く何かにあたった。

 芋虫を想像した時には手首を掴まれていた。

 手だ。泥の中に無数の手がある。

 謎の指が掌を斜めにゆっくりなぞった。


 7  7   7


 確かにそう動いた。

 この日を境に私はお供えをやめた。


 もしお供えを続けたらどうなっていたのだろう?

 これが皆のいう七七七と同じものなのだろうか。

 分からない。

 ただ、事実を思い出した今、無性につつじの香りが恋しい。

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7は斜めで、7はざらついて、そして7は濡れている 羊蔵 @Yozoberg

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