迷路ゲーム

ムラサキハルカ

もらった地図が示すのは

 通っている大学が春の長期休暇に入ったばかりのある日。加原芙蘭かはらふらんは学友の武浪蒔たけなみまきから呼びだされるや否や、一枚の紙切れを渡された。

「地図?」

「そう、地図」

 笑顔で頷いてすぐ、武浪は自らが渡した紙切れの中身を話しだす。曰く、この地図は武浪の知り合いの親戚の親戚が作ったという大型迷路のものらしい。そして、とりあえず大学が長めの休暇に入ったばかりで時間がありそうなこの青年に、ちゃんと道順通りになっているかを実際に歩いて確認して欲しいと頼んできたらしい。

「それをなんであたしに見せるわけ」

「こういうの初めてだし、一人だと心細くてさ」

 武浪の言に、芙蘭はいたく納得する。そも、大学でつるんでいる時も肝が小さく、常に緊張し通しで頼りない場面を幾度も見ていたから。

「一応、聞いておくけど、他の人には頼んでみたの」

「なんで? 僕の友だちって君くらいしかいないし」

 キョトンとした様子の武浪を見て、溜め息を吐く。おそらく、芙蘭が断わってしまえば、青年本人が言うところの心細さを味わうことになってしまうだろう。この学友の情けなさに思うところがなくもないが、だからといって助けを求めてくる相手をさっと切り捨てられるほどの冷たさも持ち合わせてはいない。なによりも、芙蘭としては、武浪が(半ば選択肢がなかったとはいえ)、真っ先に自分を頼ってきたのがほんの少し嬉しかった。

「いいけど、あたしもバイト代はもらえるんだよね」

「うん。もちろん。このくらいなんだけど」

 そうして武浪が提示してきた金額は、二等分であるにもかかわらず下手なアルバイトよりもかなり高めに設定されていた。

 迷路を楽しんだ上にバイト代をもらえるなんてすごくお得なのでは。心の中でしめしめと思いながら、目の前でほっと胸を撫で下ろす武浪の姿を温かく見守っていた。


 数日後。

「えっと、順番通りに戻ってきたはずだよね?」

「うん。あたしも一緒に確認してたし間違いない」

 廊下脇のランタンに照らされた石造りの道の途中で足を止めた芙蘭は、武浪の不安げな視線を鬱陶しく感じた。そうしながらも、ノートにあらためて書き直した地図を食入るように見下ろす。

 細心の注意を払ったはずである。とはいえ、嫌な予感自体は、武浪に連れられてきた洞窟型の出入り口を見た瞬間からあった。その予感は、入ってすぐ道々に明かりこそ取り付けられているものの、薄暗い路地を見て、半ば確信に変わった。この時点で、もう止めておいた方がいいんじゃないか、という気持ちが芽生えはじめていたが、先日提示されたバイト代が頭の端にチラついたのもあり、最低限の仕事はこなすか、と腹を括った。代わりに、長い直線に入ったり、曲がり角の前にくる度など、細かいチェックを入れて進むよう心がけた。相棒の武浪も前述した通り小心者だったこともあり、この慎重な行動指針には反論も出ず、二人はゆっくりゆっくりと迷路内を確かめていった。そして、早くも愕然とすることとなる。

 。つまり、ほぼほぼ正しいことが書いていないといえた。こうなると、もはや渡された地図は×だらけどころの話ではないため、あらかじめもってきた筆記具で一から書き直していくかたちとなり、芙蘭も武浪もなんでこんな役に立たないものを渡されなくてはならないのか、と愚痴を口にしながら、作業を進めていった。

 そして、数時間歩き書いて回った結果、想像以上(当然、ぐちゃぐちゃの地図が示していたものよりもはるか)に広い迷路を今日一日で制覇するの不可能だという結論にいたり、新たに書き直した地図を使って道を引き返した……はずが、一向に出口にたどり着かないというのが現状である。

「どうしようか? 助けが来るまで待つ?」

 あからさまに目を泳がせる武浪の言葉に、芙蘭は少し考えてから、

「今日の行き先って、あたし以外の誰かに伝えてるの?」

 とりあえずより現状を把握しなくてはと尋ね返す。

「いや。両親にはバイトに行くとだけは言ったけど、どこに行くのかまでは伝えなかった気がする。加原さんは?」

「あたしは、今、下宿してるから親にも伝わってないね。だとすると、頼みの綱は雇い主になるけど……」

 そこまで言って、全く頼りにならないのでは? という心の声が響く。なにせ、こんななにも正しくないぐちゃぐちゃな地図を渡してくるような人間である。ならば、まず、仕事らしい仕事ができないのではないのか、という疑惑が生じる。仮に時間が経っても帰ってこない芙蘭たちを案じて救助に乗りだしてくれるにしても、雇い主の持っている地図が自分たちに渡したものと同じであれば、合流はおろか、二次遭難の危険すら出てくる。

「とりあえず、少し休憩をとったらまた出口を探そう。それでバイト終了時刻までにみつからなかったら、できるだけ出口に近そうなところで待機する。それでどう?」

 結局、芙蘭が出したのは折衷案だった。救助隊が来るとすれば、報告予定時刻以降なのだから、かなり遅くになる。その時に出口近くにいられれば、発見される確率は高くなるだろう。それまでに出口を発見できれば良し。できなければ、素直に大人しく救助を待つ。これが今できる精一杯なのではないのか、と芙蘭は考えた。

「僕もそれでいいと思う」

 武浪も覚悟が決まったらしく、深く頷いてみせる。芙蘭自身も、後はどうにかするだけだ、と腹をくくった。


「ここ、どこだろう」

「さあ」

 ぞんざいに応じながら芙蘭は壁に寄りかかりぐったりとする。芙蘭の腕時計がおそらく、六回ほど一周したあとも、二人はまだ迷路内にいた。来ているかどうかもわからない救助とも合流できず、出口に繋がる道は一向に発見できないままである。手持ちの食料と飲料は既に底を尽き、石の上でのザコ寝を繰り返しているせいもあり、疲労も頂点に達しかけていた。

「加原さん、ごめんね」

「何度も聞いたよ」

 武浪のなよなよとした声にイラつく気力も体力もなくなってきた。たしかに、バイトに誘ったのはこの男であるが、道順は一緒にたしかめていたにもかかわらず迷ったので連帯責任である。その上、平時と同じく腰が低いおかげで、責める気にもならず、むしろいつも通りでいてくれるので助かっているまであった。

「たぶん、このままだと」

「その先は言わないでよ」

 考えたくもないことだ。だとしても、危機が間近に迫ってきているのはいくら頭に栄養が回ってなくてもわかる。

「もしも、僕が」

「だから」

「いや。たぶん、僕の方が先だから言っておかないと」

 弱々しくはあるが、どこか悟ったような声音。そこに芙蘭は小さくない恐怖をおぼえた。

「生きるって強く思わないとダメだって」

 半ば縋るように、喉から声を振り絞った。しかし、聞こえているのかいないのか、武浪は薄く笑ってみせる。

「とりあえず、僕がいなくなったら」

「やめてってば」

「僕の体を食べてよ。そうすれば、多少は生き残れる確率があがるだろうから」

「だから!」

「もしも迷路から出られたら、バイト代も加原さんが全部持っていって。それどころじゃないかもしれにないけど」

 心から楽しそうに吹きだす青年。なにがおかしいのだ、と苛立つものの、怒りを盛大に噴出させるだけの力は残っていない。

「ちょっと、寝るね。どうにも眠くて」

「待って」

「寝るだけだから。すぐに起きるからさ」

「だから、待っててば!」

 石造りの道に芙蘭の声が響いたが、武浪はそのまま目蓋を閉じてしまい動かなくなった。


「なんか、言うことは」

「……ごめんなさい」

 しょげたように頭を下げる武浪。その腕に縋りつく芙蘭は持ってきていた水稲の蓋で掬いあげた水を口に含み、大きくげっぷをした。

「加原さん、行儀が……」

「行儀がどうとかもうどうでもいいでしょ。生きていられるんだから」

 言いながら、目の前を見つめる。開けた大きな石室。その真ん中に噴水があった。

 ……武浪が意識を手放したあと、芙蘭は半狂乱になり、手当たり次第に石の廊下を爆走した。どこにそんな体力が残されていたのかというくらいの暴走の途中、ちょろちょろという音を耳にしたのと同時に、この噴水を見つけるにいたった。いち早く、水を口に含んだあとは、どうやって戻ったものかと考えたものの、なんとはなしに走っていると思いのほか早く武浪の寝ているところにたどり着いた。そして、たたき起こしたあとこの噴水まで案内し、今にいたる。

「でも、こんな死にかけのタイミングでみつからなくてもいいのにね」

「生きてるんだから、無問題」

 言いながらぎゅっと、武浪の腕を引き寄せる芙蘭。とりあえず、もう一人になるのだけはごめんだった。あの心細さだけはどうにも耐え難い。

「武浪」

「なに、加原さん」

「もう、一人で死ぬようなことは言わないでよ」

「それは……」

 言い淀む。おそらく、多少元気が戻ったところでも、現実的に察しているのだろう。水は見つかっても、食料がなければどのみち……ということを。

「約束してくれなきゃ、武浪を殺してあたしも死ぬから」

「加原さん」

「本気、だから」

 実際に、その時が訪れて実行に移せるかどうかは、てんで怪しい。とはいえ命を張らなければ、説得をできないだろうというのも察している。

「お願い……なんでもするから」

 なんでもできるんだろうか。迷いはあったが、ずかずかと口にしていく。勢いごまかさなければ通じないだろうと。

「……わかったよ。もう、そういうことは言わない」

 さしあたっては納得してくれたらしい。ほっと息を尽きながら、芙蘭は今後のことを考える。とにもかくにも、食料を探さなくてはならない。とはいえ、この馬鹿でかい迷路の中に食べられるようなものがあるんだろうか、という不安は残る。それでもとにかく生きねば、ともう一杯水を飲む。蘇える。そんな実感を深めた。


 /


 石の天井に覆われた丘の上。壁際に座りながら、芙蘭はの肩に寄りかかっている。眼前には広い広い迷路とそこかしこを行き来する人々が見下ろせた。

「ねぇ、蒔」

「なに?」

「あきらめないでみるもんだね」

「そうだね……」

 どことなく感慨深げに応じる蒔の牧歌的なまでに思える声は、かつて迷路内を彷徨っていた頃を思うと、大分優しく聞こえる。少なくとも、安心を手に入れたのだから当然と言えるだろう。

「最初に人と会った時は救助だと思ったんだけどね……」

「それそれ、遭難者とは思わないじゃん」

 否。遭難民というべきかもしれない。ようは、この迷路に入ったまま抜け出せなくなった先住民がいたのだ。水場を発見して数日後、芙蘭と蒔は彼らと初遭遇し、半ば保護されるかたちで連れて行かれ、驚愕することになる。

 迷路の間に細々とではあるが、街が存在した。

 どこから仕入れたかわからない飲食物をはじめとして、小物や娯楽品なども扱っている市がいたる廊下に立てられ、ところどころに石や木、ぼろぼろの布で作られた居住スペースも設けられていた。もっとも、廊下に住んでいるものは全体からすると一部で、多くは迷路のほんの一部が見下ろせる開けた丘(もちろん、天井は石に覆われているが)の上に拠点を置いている。そして今や、芙蘭と蒔もその末席に名を連ねることとなっている。

「ご飯が食べられるのも奇跡みたいに思えるよ」

「おいしいよね、鰐肉」

 迷路内のおもな食事は、遭難民の持ち物の残りを除くと、家畜として育てられている白い鰐、もやしやレタス、サツマイモなどの一部の栽培に成功した野菜などにかぎられた。少なくない住人を賄える程度の増産に成功している辺り、先住民の苦労が窺える。おかげで今日まで、二人は生きながらえられていた。

「芙蘭は外に出たくないの?」

「う~ん、今はいいかな」

 答えつつも、薄っすらとこの迷路から出られるに越したことはないと思う。会いたい人や外に出てしたいことだってなくはない。とはいえ、そうしたもの削ぎ落とした先に安心があったし、再びあの冒険に身を投じるだけの気力は今の芙蘭にはない。

 迷路内の遭難民たちも、定期的に捜索隊を出しているものの、いずれも空振りに終わり、命からがらながら帰ってくるというのがやっとという状態である。一説には、迷路自体が生きていて道を入れ替えているのではないのかなどという説も、石の道の間に生きる学者達によって提唱されている。そんな馬鹿なと芙蘭の理性は訴えかけてくるものの、事実として迷路に入った時と同じ道を引き返したものたちが誰一人として出口に辿りつけていない以上、道自体が変わっているか、順路を間違わせるなにかが存在しているかどちからである可能性が高いだろう。それは迷路から脱出しようとしているものたちも例外ではなく、この街に戻る前に大抵は遭難するらしい。

 以上のような事情をそれなりに長い迷路内の生活を通して知った芙蘭には、もうそんな危険は冒せない、という思いがある。そしてなにより、

「まずは、この子に無事に生まれてきてもらわないとね」

 自らの腹を撫でる。もう、一人ではないという証明は、芙蘭の心をかぎりなく穏やかにさせた。少なくとも、この子が生まれるまでは旅もなにもできないだろう。

「そうだね。余計なことを言ってごめん」

 いつも通り、謝ってくる蒔。芙蘭は首を横に振ったあと、腕に優しく抱きつく。腹の中にいる子の父親。その嗅ぎなれた臭いに安心を深めつつ、もう少し先の未来について思いを馳せる。

 もしも……もしもこの子が無事に成長すれば、また迷路内に出口を探す旅に出てもいいかもしれない。とはいえ、命がけの強行軍みたいなものではなく、この迷路をゲーム感覚で楽しむような。そもそも、この中に入ったのも、バイトというのと同じように、遊び心みたいなものがあったんだから、初心に戻るのも悪くない。この子も楽しんでくれればいいけれど。

 そんなことをぼんやり思いながら、芙蘭は蒔により身を寄せる。お腹の中にいる新たな家族が軽く蹴りを入れてきたのを感じて、自然と微笑みが漏れた。

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