17杯目 探しものにレディ・グレイ


「ねえユメミさん、わたし、気になることがあって」

「なんです?」


今日も今日とて店内はお茶の香りで満ちている。


「……キノコの森に埋められたものです」

「そいえばまだ見つけてなかたんでしたね」

「一緒に探しに行ってくれませんか?」

「もちろんよいです、すぐ支度するのでお待ちを」


このために、わたしは家から小さなスコップを持ってきていた。

彼が、ベランダで花を育てるのに使っていたもの。


「…………」


日記は、わたしの読める文字で書かれていなかった。

それでも手元に残っているのが嬉しく、悲しかった。


きっと、キノコの森に埋まっているものは、大事なものではない。

でも、掘り出したかった。

目を閉じて祈っていると、後ろからユメミさんが声をかけてきた。


「探し物ならちょどよいお茶があるです」

「いい香り……当てていいですか?」

「当ててごらんなさいです」

「レディ・グレイ?」

「おみごとです!」


レディ・グレイだけはしっかり憶えていた。昔読んだ本を思い出すから。

懐かしい紅茶の香りに再び目を閉じると、耳の奥で記憶が聞こえた。


『どうして泣いてるの?』

『みんなが、わたしの目を変だっていうの……』


鼻の頭まで伸ばした前髪を撫でつけ、見られないようにする。

誰が慰めてくれたんだっけ……祖父母の家の近所の子だったっけ。

顔は全然思い出せないけれど、声は今も鮮明に再生できる。


『全然変じゃないよ!コーデリア・グレイと一緒だもん』

『コーデリア・グレイ?』

『女探偵さ!レディ・グレイみたいな髪の毛に、宝石のような緑の目!』

『それが変なの……レディ・グレイってなに?』

『紅茶の種類さ!その人の本、貸してあげるから読んでみるといいよ』


それでわたしはおばあちゃんに、「レディ・グレイ」を淹れてくれと頼んだ。

あれ以来、わたしが訪ねると必ずレディ・グレイを淹れてくれる。


「探し物、きっと見つかるですよ」

「ありがとう、ユメミさん」



わたしたちはいつもよりゆったりした歩みでラク・ラクリマを歩いた。


「そういえば、よくわからない言葉があるの」

「なんでしょ」

「えーっと、多分最初はアウローラ、光の国で聞いた……」

「ふむふむ」

「なんとか……アニ?アニメじゃないだろうし……アニ……」


急に静まり返ったので、ユメミさんをみると、何か緊張したような硬い表情をしていた。なにか、いけないことを言っただろうか?下品な言葉だったとか?

いや、あの、と言い訳していると、やがてユメミさんは彼と同じように小さな声でつぶやいた。


「アウローラ・アニマ……」

「アウローラ……アニマ……?」

「なぜそれを?」

「えーっと、亡くなったはずの彼が……そこへ行くと」

「ふむ…………」


それっきり、ユメミさんは喋らなくなり、妖精の国に着くまで黙っていた。



「いらっしゃいアスミちゃん」

「お迎えありがとう、お姫様」

「いいのよ、キノコの森までですって?」

「そうなの、やっぱり気になっちゃって……」

「なんだか悪いわね……えっと、ユメミさんはどうしたの?」


ユメミさんはうんうん唸ったままだったので、代わって説明する。

わたしがアウローラ・アニマの話をすると、今度はお姫様までうんうん唸ってしまった。一体どんな場所だと言うの……。


「彼女たちは一体どうしたわけ?」

「あー……えっと、ですね」


王子様は唸りはしなかったが、難しい顔をして地面を見つめた。


「どうしてそんな場所を?」

「彼が……えっと、わたしの亡くなった恋人が……そこへ行くと……」

「……あ、じゃあ、最初に会った時言葉を濁したのは……」

「いえ、気にしないでください……わたしが、未練がましいだけなので」


お互いに深く息を吐き、持てるだけの情報を交換した。


「アウローラ・アニマは……命の生まれるところなんだ」

「命の生まれるところ……」

「おそらく、君達は空の国で死者の魂を見たはずだ」

「ええ、あれがそうなら……」

「そう、大抵はそこで肉体を持ったままの姿で過ごす……そして、思い残すことがなくなったら……死者の国を通り、あたらしい命になるために……そこへゆく」


あたらしい命。

春の国で聞いた言葉が蘇る。


『何度生まれ変わっても、きみを愛する』


じゃあ、あれは……魂だけの姿ってこと?


「でも……ねえ、その彼はおとぎの国の出身なんだろう?なら、そう簡単に肉体を失うことはないはずだけど……」

「え?いえ、ふつうの、人間ですけど……」

「え?」

「はい?」


わたしたちは頭を抱えた。

この場にいる半分が唸ったまま動かず、もう半分が頭を抱えている。なんだこれ。


「状況を整理しよう」

「はい……そうだ、わたし、彼の日記を持ってる」

「見てもいいかい?」

「どうぞ、読めないと思いますけど」


パラパラと日記を捲っていた王子様は、それをパタンと閉じて向き直る。


「……彼はやはり、こちらの出身だ」

「そんなわけ……!」

「それも、僕らに近い」

「どういうこと……」

「これは、古くから妖精たちの間で使われてきた文字だ……この人はおそらく、妖精の中でも地位の高い、古くから存在する家系だ」


頭が理解することを拒否している。

言葉が弾かれて、意味をなさなかった。


「君達からの報告を聞いていて思ったことがある」

「……なに?」

「異変の原因を作っているのは、おとぎの国に迷い込んだ人間か、人間を手引きする誰かか、と言ったね」

「……はい」


指先が冷えている。血が通ってないみたいに白い。

彼が亡くなった連絡を受けた時もこうなった。


でも、誰からその連絡を受けたのか、思い出せない。

そこだけぽっかりと穴が空いているみたい。


「世界への影響を知っていて異変を作る……それなら人間界に住む、もしくは住んでいたおとぎの国の誰か、だと僕は思う」

「……ユメミさんみたい、な?」

「いいや、幽世でなく、人間界に、だ」

「あ、そういえば、たい焼きの屋台が……あったような……」


理解しようとしないわたしに痺れを切らしたのか、王子様は再び日記帳を開いて、その内容を読み上げ始めた。


「7月17日、今日は彼女の誕生日だ、一緒に過ごすようになってから初めての誕生日……本当は良くないんだろうけど、生まれ故郷であるおとぎの国の物をプレゼントしたいと思う……君はこの先を知ってるんじゃないかな」

「……うん……みどりの宝石の……耳飾りをもらったの……」


向こうで、こうして誰かとアルスという人の話をしたことがなかった気がする。

前の会社のみんなは、一体どうやって彼の死を知った?

そもそもわたしは、彼が亡くなってから何度会社に行った?

誰と、いつ、どこで話した?

彼に関する記憶全部があやふやで、わたしはずっと涙を流していた。


わからない。

悲しいのか、腹が立つのか、怖いのか……。


「ラピステラという国のものだろう……大切な人への贈り物といえば、この国の輝石だろうから……記憶は不確かみたいだが、彼は確かに存在している、不都合はあったのかもしれないが、決して、君を騙したわけではないはずだ」

「うん……」


袖で思い切り目元を拭い、日記帳を受け取る。


「ねえアスミ、私たちに、あなたとその人の出会いを聞かせてくれる?」

「ワタシも聞きたいです」


いつの間にか思索から復活したらしい二人からリクエストされ、わたしはきっと誰かに話したかったのかもしれない、と思った。


「どぞ、記憶鮮明の緑茶です」



そう、出会いのきっかけは、ちいさな本だった。


「誰のだろう……小さい頃、見たことがあるような……」


妖精たちが、人間たちを巻き込んでドタバタする話。

ぱらぱらとめくってみると、まるで台本のようだった。

わたしが読んだことがあるのとは、違うみたい。


「あ、その本……」

「え?」

「きみが拾ってくれたの?」


ついつい捲ってしまったことを謝った。誰だって、落とし物とはいえ、勝手に自分の物を触られるのは好きじゃないと思ったから。


「ごめんなさい、ひとのものを勝手に見るなんていけなかったわ」

「いや、いいんだ、歌は歌われるために、物語は読まれるためにあるんだから」


ふしぎな人だ、と思った。そう、そうだった。

言葉もそうだけど、なにより雰囲気が。

珍しい容姿という訳ではなかったよ。黒い髪に、黒い目。普通でしょ?

でも、その瞳が、星を映した空のようにきらきらとして見えて、気になったの。


「……あなたって、まるで絵本から抜け出してきたみたいに見える」

「それは……喜んでいいのかな?」

「う~ん……たぶん?」

「あはは!きみが言ったんじゃないか!」


彼は、アルスと名乗ったわ。

それからわたしたちは好きな本を持ち寄って公園や喫茶店で交換して読んだ。


「ああ、コーデリア・グレイか、懐かしいな」

「なぁんだ、読んだことあるの、名作だものね」

「ん?そうだなぁ、僕も昔他人に勧めるくらい好きだったなと思って」

「わたしも人に借りて好きになったわ」


交換するのは知らない本だったり、知っている本だったりしたけど、わかったのはひとつ、わたしたちは本の趣味がものすごく似ているってこと。


あんまり普通の恋人っていう関係じゃなかったと思うけど、わたしたちはそれで幸せだったわ。一緒に住むようになって、本棚を増やして。


仕事で忙しくて本を読む時間は減ったけど、それでも彼と話したわ。

荒唐無稽なおとぎ話。ミルクの海や、ラベンダーの海、青い大陸に、世界すべての名画が納められた美術館、天国の話もいくつもした。

あ、あと「たまごの国」なんかも。彼、たまごから生まれる黄色い牛がカスタードクリームを作るだなんて言ったのよ。おかしくって笑ったの、わたし。


わたしは彼のそんな話が好きで、一緒に行けたらいいのにっていつも言った。

その度にそうしようそうしようって言ったけど、実現はしなかった。


彼も仕事で忙しかったし、紅茶を飲みながら語らう時間が、何より大事だったのに。


そういえば色んな紅茶が余ってたんだった、ちゃんと飲み切らないとね。

彼、茶葉をどれもみんな同じ缶に入れるのよ?夜空の色の、四角い缶に。



そこでユメミさんから待ったがかかり、わたしは思い出から帰還した。


「あの、たまたまだと思いたいですが……アルス?」

「そう名乗りましたよ」

「あー……名前、それだけです?」

「……そういえば、聞いたことなかった……どうして?」

「……弟の名前も、アルスです」

「え、すごい偶然」


ユメミさんだけでなく、妖精夫婦も同じ顔をして額を押さえている。


「よりによって選んだのがアルスかぁ……」

「ええ、アルスくんなら納得というか……」

「なに、なんなの?別人じゃ……」

「あのですね、アスミさん」


あ、やだ。なんか三人とわたしの間に深い溝を感じる。

不思議と気が動転するほどの悲しみは消えたけど、なんか不満。なんかやだ。


「弟は……アルスは、お茶が好きで、幻術の上手い妖精でした」

「うん……うん?」

「元々今の夢幻茶店は、アルスの店だたですよ」

「え!?」


なに、同一人物だって言いたいのだろうか。


「でも、じゃあ、見た目を教えて……違う人でしょうし……」

「アルスは黒い髪に青紫色の目をしていました、ワタシとおんなじ」

「じゃあ、ちがうわ……だって、彼、黒い目を……」

「あいつ、な」

「ええ、わね」

「なに?話についていけないよ!ちゃんと教えて!」

「そですね、アルスの生い立ちでも話しますか」


3人は、こくりと緑茶を飲むと、目を閉じた。

今度は3人の思い出話が始まるようだ。



正確な年代はちょっとわからないけど、とにかく氷の弓の月、はんぶんのほど。


人間界で言う、えっと、12月?かしら?


1月ですね。1月の19日にアルスは生まれたです。


アルスはものすっっっっごいやんちゃ坊主でね。

おとぎの国をあっと言わせるいたずらばかりしていたものさ。


特に、アルスくんは幻術を得意としていたから、誰かに化けたり、姿を動物に変えたりしてみんなを驚かしていたのよ。


お茶の魔法もアルスのほーが得意だたですよ。

ワタシの魔法は主に夢の中に作用するですが、アルスは現実にできたです。


ある日、彼が何人も現れたんだ。だから聞いたんだよ。

「他は幻術でアルスに見せかけてるのかい?」って。


でもアルスくんは、「全部自分だ」と言ったの。正直、ぞっとしたわね。


本物の戻りのブル・マロで短時間刻みで戻てきてたですね。きもかった。


まあ、そんな訳でちょいちょい、いなくなったり、消えたり、どこかへ行ったりしてたんだけど、ある日家出宣言をしたんだ。


「僕、人間になるよ」と言て家出したです。店はどすると聞いたら、ワタシに任せると言たです。勝手な弟です。


アルスくんは、きっと変化の魔法を使って人間になったのね。

でも、さすがの彼でも完全とは行かなくて、魔力の残滓が瞳に映るようになったんだわ。だから時折、アルスくんの持ち物が消えてたのね。


そうそう。で、ある時以来それがぱったりとなくなって……。


きっと、アルスくんの身に何かが起きた……。


マジでアホな弟です。

でもアスミさんを選んだのは大正解ですね。



完全に同一人物のようだ。


「え……っと、それで……なに、わたし、どうしたらいい?」

「アウローラ・アニマはアルスでもやばい」

「きっと死者の国を通る気なのでしょうね」

「なに、ねえ、どうしたらいいの?」


3人とも、難しい顔をして黙り込んでしまった。

なに、生きてるかもって希望を持たせておいて……それ?


「大臣!フェトゥム・ポルタへ兵を!それから地図をこちらへ!」

「御意」

「アスミちゃん、アルスくんがそこへ行くと言っていたのはいつ?」

「えっと、こっちの世界での昨日」

「まだ間に合うかしら」

「スペス・フォンだろう?間に合うはずだ」


わたしは自分が何もできないことに腹が立ってきた。


「わたし……ほんと、なにもできない……」

「アスミさん、そではないのですよ」

「わたしに……なにかできますか?」

「はい、でも、そのためには計画を立てなくてはです」


わたしは頬をぺちぺちと叩き、地図を広げるみんなの元へ向かった。



「あ、あった」

「見つけましたか、ナイスです」

「……栄養剤、か」


計画を立てた後、実行するには準備が必要だ、とのことでわたしたちは当初の目的通り、キノコの森に来ていた。


そう、今思うとおかしかった。


ラベンダーはやはり、摘んでも摘んでも生えてくる。


その中心に、我が家でよく見た植物の栄養剤が埋まっていた。


「……なんか、わかってきたかも」


きっと、より美しい景色を見せてくれようとしたのだ。


もっとたくさんの花を。

もっとたくさんの雪を。

もっとたくさんの名画を。


そこで、何かがあったのだろう。


邪魔者のいない空の国。

闇がすべてを覆い隠し何も見えない光の国。

歌も音楽も聞こえないセプテムジカ。

誰もが眠り、すべてが止まってしまった春の国。

本当の言葉を隠す、でたらめだらけの本の国。


「助けを、求めてたんだ……きっと」


わたしは祈った。

結婚式で得たドラジェの幸運すべてを使ってもいい。

スペス・フォンでの願い事を変えたって良い。


彼が、まだ無事でありますように。

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