5杯目 迷いを断ち切る抹茶ラテ
職場で変なことを口走らないかと危惧してから数日。
早くも口を滑らせて「ファンタジーな子」と言われてしまった。
ユメミさんに記憶が飛びそうなお茶を淹れてほしい。
いや、忘れたら忘れたで「そんなこと言ったっけ?」と、もっとファンタジーな頭の子になってしまうんじゃないだろうか……?
幸いバレてしまったのはひとりだけなので記憶を消すのは向こうだ。
しかし、ひとりと言ってもそのひとりがトンデモなく厄介に感じる。
人の秘密が大好きな人というか、知りたがりというか……。
彼が亡くなった時に無遠慮にアレコレ訊かれてから苦手な同僚だった。
いや、元々苦手だったのがそれで判明したのかもしれない。
なんとか誘い出して魔法のお茶を飲ませなくては……。
「アスミちゃ~んちょっとお茶しようよ」
どうやって誘い出そうか悩んでいると、悩みの種そのものがまんまとやって来た。
にんまりと猫みたいに笑う顔が今はなんだかものすごく腹立たしい。
「いやぁ、なんか昼に言ってた魔法云々が気になってさぁ、詳しく教えてよ」
「………………はぁ」
こうなったらその魔法をとくと味わってもらおう。
記憶もぶっ飛ぶくらい強烈なやつを。
「じつは……」
◆
「あれ?」
「アスミちゃ~ん、まだぁ~?」
「おかしいな、たしかにここに……」
仕方なく連れてきたものの、夢幻茶店はそこにはなかった。
雑居ビルや何かの店舗が所せましと並んでいるだけ。
昨日だってここに来たのに……たったの一日で場所を忘れてしまったとでもいうのだろうか。それとも、わたしがうっかり記憶を消すお茶でも飲んだとか……?
「もうアスミちゃん家でもいいから行こうよ~」
「うん……」
本当は、彼との思い出が残る家に、他の人を入れたくなかった。
なんだか大切な記憶を土足で踏み荒らされそうな気がして。
「おじゃましま~す」
「じゃ、お茶淹れてくるから……」
「おかまいなく~」
さっそくあちこち触り始めたのを見て、頭が痛み始める。
最近、日中はずっと頭が痛い。特に、昼の職場には彼のことを知っている人がたくさんいるから気遣いが逆に辛かったりする。
水道水でも出してやろうかと思ったが、ふと思いついて最近買った抹茶の粉を使い、抹茶ラテを淹れてあげることにした。
抹茶の粉を気持ち多めに、砂糖と混ぜて。
ユメミさんに分けてもらったエバミルクは温かくしてたっぷりと。
隠し味に塩をほんの少し。これで甘みが引き立つ。
わたし、なんで嫌いな人に気合入れて飲み物を作ってるんだろう。
「記憶消えろ~記憶消えろ~わたしに関する記憶消えろ~」
抹茶ラテの周りをぐるぐると回りながら必死にお祈りをする。
自分でも馬鹿みたいだと思うが、こうでもしないと酷い言葉を投げつけてしまう。
自分では抑えきれない怒りや悲しみを、誰かのせいにしたくはない。
「いただきま~す」
◆
「それで抹茶ラテ一杯で帰ってもらったんですけどね、お店は見つからないわ相手したくないわで疲れちゃって……はぁ」
「その人は招かれざる客なのですね」
「連れて来ちゃダメってこと?」
「そゆ人は来たらなにか壊したりするです」
「あー……」
家探しというか、明らかに色々荒らすような人だからな……。
「記憶は消えないですけど、代わりの
「え、いいんですか?」
「アスミさんは、今なにか迷てるよに見えるです」
「…………確かに」
「これで迷いが断ち切れたらよいですね」
ほろ苦さと甘さの両立した抹茶ラテをこくりと飲み込むと、いつか味わった懐かしい眠気が降りてきた。促されるままに居眠りの姿勢をとる。
夢の中で、わたしは黒猫になっていた。
白猫たちの集う中で、わたしは建物の影を歩くように逃げている。
影の中はつめたくて、手足が凍ってしまいそう。
俯いて歩いていると、大きなしましまの猫が立ちふさがった。
にんまりと弧を描いた笑い口で、どすどすと足踏みをしている。
白猫たちの黄色い目が鋭く尖ってわたしを刺す。
そうだ、わたしは昔、おとぎ話が好きだった。
大人になってから開かなくなってしまった大好きな本が、部屋に何冊眠ってる?
持ってきたまま開いたことのない箱が、いったいいくつある?
いばらの棘がしましま猫を遮って、わたしは猫でいるのをやめた。
どこかで見た妖精たちが、城の中へ手招く。
そこで目が覚めた。
「そうだ、わたし、逃げたかったんだ……」
知らずに流れていた涙のあとを拭い、頷く。
なんだかわたし、泣き虫になっちゃったみたい。
「わたし、あの職場、やめたかったんだ」
現実的な問題に抑え込まれて投げかけられなかった言葉。
彼が亡くなる前から、あそこの人たちが苦手だった。
大好きなおとぎ話を閉じこめてまで、いるべき場所じゃない。
明日出勤したら、やめるって言おう。
彼女が踏み荒らした部屋も、引き払ったっていい。
薬指の銀の光が、わたしを勇気づけるように瞬く。
彼が頷いてくれているみたいだ。
場所が変わったって、思い出すべてがなくなるわけじゃないもんね。
◆
「あの、昨日は……」
「あんた、誰?」
「え?」
「あんたみたいな人、ここにいた?」
「ちょっと何言ってるの」
「あなたたちよく話してたじゃない」
次の日職場に行くと、仕事にならない状況になっていた。
彼女がわたしの席を片付け、わたしを誰だと責め立てたのだ。
わたしは魔法が効いたのだと確信すると同時に、勢いよく辞表を叩きつけていた。
「真昼の太陽ってこんなに眩しかったっけ……」
なんだかまんまるのパンケーキが食べたい。
太陽みたいなバターをたっぷり使って。
まだ昼だけど、茶店に材料を持って行こうかな。
いつも賄いを貰ってるし、たまにはわたしも作ってあげたい。
「まずは引っ越し先を探さなきゃなぁ」
不思議とすっきりと清々しい気分だった。
真っ青な空のように、どこまでも透き通っている。
◆
「それにしても不思議ですね」
「なにがです?」
バターと蜂蜜たっぷりのパンケーキを頬張りながら、ユメミさんが首を傾げる。
我ながら今世紀最高のパンケーキが焼けた、と独り言ちた。
蜜蜂たちもミニミニパンケーキを器用にナイフとフォークで食べている。かわいい。
「アスミさんが
「あぁ……必死の祈りが通じたのかと思ったんですけど」
「……その
「え~っと、会社の帰り道だから……あの辺の個人商店です」
なんだか昔話に出てくるみたいな、今どき珍しい木造建築の。
中にいるのはおじいさんおばあさんじゃなくてちょっとがっかりしたけど。
「明日は臨時
「え?お休み?夜?」
「アスミさんお暇なら、お昼から行くです」
「この世界じゃないってこと……?」
「こわいですか?」
「ううん、ちょっと楽しみではあるんだけども」
「誰かが魔力の籠た
想像したより大事な雰囲気に、ろくすっぽ噛まずにパンケーキを飲み込んでしまった。ああ、もったいない。
それにしても日中からここへ来るのはめったにないことだ。わくわくする。
「それはそとアスミさん」
「けほっ……はい?」
「アスミさんがよければフルタイムで働きませんか?」
「えっ!いいんですか!?」
「これくらいのお
貯蓄に回してもあり余る賃金を手に入れることとなってしまった。
本当に至れり尽くせりだ。一体前世で何をしたらこんなに恵まれるのだ。
「よ……よろしくお願いします」
なんだか、これからの人生が少し楽しくなっていきそうな予感がした。
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