第十四話 援護 -2

 家に入って間もない時間。

『出た、出た!』

「ちょっと哲平さん、幽霊じゃないんだから」

『みたいなもんだよ。まさかなぁ、本当にこんなすぐに出て来るなんて、あいつアホじゃないの?』

「だからおんなじことやんでしょ。頭良かったらやんないって」

『確かにそうだけど』

「で、ちゃんと撃退してくれたんですよね?」

『したって! カッコ良かったんだぞ!』

「はいはい。ご苦労さまでした! 後はジェロームに聞きます。ゆっくり休んでくださいね。お疲れさまでしたー!」


 今頃哲平はぶつくさ言っているだろう、さっさと電話を切ったんだから。さっき真理恵から電話があったのだ。

『華くん……泊まっても……いいかな』

「どうした!? 何かあったのか?」

『特に何も……急にそばに行きたくなっちゃったの』

「……マジ!? 迎えに行く! 家で待ってろ。俺が行くまで家の外に出るなよ」

『子どもじゃないんだから。ゆっくり歩いてるよ』

「だめだ! 絶対だめだ、俺が行くまで大人しくしてろ」

『……はぁい』

 マリエの間延びした返事が好きだ。けれど他の女性がそんな返事をしたら即行背を向けるだろう。


 真理恵は家で待っていた。

「お母さんたちは?」

「大丈夫、ちゃんと言ったから」

「その……いいって?」

「もちろんだよぉ、だって華くんとこに行くんだよ」

 そこに真理恵のお父さんが出てきた。

「悪いな、真理恵の我がままにつき合わさせて」

「そんな! お預かりします」

「信じてるよ、華くんのことを。いいね?」

 今、自分の首に鎖を繋がれた気がした。

(これじゃなんにも出来ない!)

どうやら結婚式が終わるまでは自由にさせてはもらえなさそうだ。

  

 車の中で何度か横顔を見た。対向車の光で真理恵の顔が時々輝いて見える。微かに口元に浮かんでいる笑み。ふわふわと長い髪をゆるくワイン色のシュシュで束ねてある。

華が見ていることに気づいた真理恵がにこっと笑った。どきりとする、その笑顔に。

(マリアみたいだ……俺のマリア……俺のマリエ)

「華くん、前見て運転してね」

「あ、ああ。悪い」

「どうしちゃったの? あ! 今日忙しかった? タイミング、悪かった?」

「そんなことないよ! マリエこそ何かあったんじゃないんだな?」

「無いよーー。華くん、今忙しそうだし。デート減ったなぁって考えてたの。そしたら(そうだ、夜一緒にいればいいかな)って思って」

 華はキュッと車を脇に寄せて停止した。

「どうしたの!?」

「マリエ。俺、今キスしたい」

「え? ええ?」

「文句、言うな。したい」

 真理恵の項に手をかける。引き寄せて軽い口づけをした。一度離れる。

「マリエ?」

「ドキドキしてる……華くんが男らしく見えて」

「ばか。俺は男だよ」

 もう一度引き寄せて今度はゆっくりキスを交わそうとして、慌てて離れる。

「どうして目、開けてんのさ!」

「え? だめなの? どういう顔してるかなぁって」

「今さ! 大事なとこなんだよ! 初めてのキスなんだぞ!」

「だって華くんは初めてじゃないでしょ? だからどんな風にするのかなぁって」

「こういう時、女の子は目を閉じてうっとりしてるもんなの!」

「そうなの? 今までの彼女はそうだった?」

「今までの彼女とか持ち出すなよ、俺はマリエとキスしたいんだ!」

 また引き寄せた。今度はやや強引に唇を舐めて割り開き舌を入れた。真理恵の口の中を……

 真理恵が華のもう片方の手を捩じり上げている。

「だめ!」

「なんでさ! 痛いよ!」

「だって、私おでん食べてきたもん。初めてのキス、おでんの味じゃいやでしょ?」

「じゃ、いつならいいんだよ!」

「怒鳴ってばかりだよ、華くん。可愛いけど、怒っちゃだめ」

(分かっちゃいるけど。分かってたけど。こいつ、ホントに俺のテンポ乱すよな!)

 けれどその刺激が堪らなく好きなのだと思う。他の女性にはそんなことを思わない。というより、むしろそんな相手には嫌悪するだろう。

(なのになんでマリエなら許せるんだろう?)

『好きだから』と言う言葉で簡単に言い表せるものじゃない。

「おでんの味でいい! マリエの口とおでんを一緒に食べる!」

 訳の分からないことを言いながら華は真理恵をしっかりと抱き寄せて、もう離すことなくキスをした。

 柔らかい唇がふるふると動く。そっと見たら今度は目を閉じていた。ひたすら優しく口の中を愛撫する。真理恵の体がが慄いたように震えた。ようやく唇と手を離す。

 今度は何も言わず黙りっ放しの真理恵が気になる。

(え? 俺のキス、下手だった?)

心なしか焦りが出る。会社じゃあんなに強気の華なのに、真理恵の前じゃてんで形無しだ。

「どうして黙ってんの?」

「すてきな……こういう時どう言ったらいいの?」

「好きなように言えよ」

「すてきな味だった!」

「へ?」

「どんな感じかなぁって思ってたの、キスって。華くんの味だった」

「俺の味って……どんな味?」

「すてきな味」

 分かったような、分かんないような。諦めて車を走らせ始めた。


「もうすぐだけど。何か買う? マリエの飲み物とか。俺の冷蔵庫、水とお茶しかない。あとアイスコーヒー」

「じゃ、近くのお店に入って」

「仰せの通りに」

 コンビニに寄った。真理恵の後について歩く。実はあまり真理恵の好きなものを知らない。気にかけたことも無かった。

「なに買うの?」

「炭水化物」

「……なに?」

「おにぎりでいい?」

「……なんの話?」

「これからご飯炊くの時間かかるし。すぐ食べられるのって何がいいかなって。あ! 野菜のざく切りがある! そうか、焼きそばなら作れるよ」

「食べたいの?」

「華くんがね。さっき……えっと、キスしてた時、きゅぅって聞こえたよ。だから」

 華の方が真っ赤になってしまった。引っ越しを手伝って、どうなったのかヤキモキと考えていたところに真理恵の連絡があったから夕食どころじゃなかった。

「あのさ、初めてのキスだって時にそんなの聞いてたの?」

「初めてのキスなのにあんな音を聞いちゃうと心配になっちゃうもん」

 言い返せない。完全に負けたけれど認めるのは癪だ。

「焼きそばがいい。マリエのめんどくさそうなのが食べたい」

 真理恵がくすりと笑う。

(今日は欲しいんだけど)

とてもロマンチックな夜は望めないと華は溜息をついた。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る