第十四話 援護 -1
『華、俺!』
「哲平さん? 何やってんの? サボり?」
『バカ言うな! 俺だってトイレくらい行くんだ』
「で、そのトイレ中になに?」
『真面目に聞けよ! 腹痛いって出てきたんだから』
2時20分。まだ研修中のはずだ。哲平の電話が嬉しくてついいつもの調子でからかってしまう。
「真面目な下痢しながら電話なの?」
『ジェロームのことだ』
途端に背中がしゃきっとした。
「待って、4階に行く」
階段を駆け下りた。
「ジェロームの、なに?」
『深呼吸しろよ、息切れしてるじゃないか』
「いいから!」
『千枝から電話あって知ったんだ、夕べあったこと』
「すごいネットワーク! もう聞いたの?」
『千枝が心配してな。いっそのこと、ジェロームの『彼』ってヤツが登場して相田に絡んだらどうだろうって』
「なに、それ」
『三途さんがそう言ってたんだって。俺、それ引き受けるよ』
(そんな手、ありか?)
ちょっと躊躇う。相手はボクシングをやっている。哲平が凄んだからってたかがしれてるじゃないか。
『おい、黙るなよ。相手は俺の顔知らないからさ、結構いいんじゃないかなって思ってんだけど』
「うーん……」
『恋愛ってのは、相手が両思いだって知ったらそこで諦めんだろ』
「そんな単純なもんじゃないですよ」
『そういうもんだって。少なくともやってみる価値はあるだろ?』
「うーーん……」
『お前、さっきからそればっかだな』
「ホントに効くと思う?」
『効くって! 俺、ソッコー諦めたもん』
思わず吹き出す。久しぶりに哲平がかましてくれたから涙が出るほど可笑しい。
『笑い過ぎ! 失礼だぞ、お前』
「いや、らしいなって」
『益々失礼だ! とにかくやってみないか? それで鎮火できればいいし』
「具体的にどう考えてんの?」
『ああいうのって、同じ手を使ったりするかな。引っ越しの準備が終わってないのは知ってんだろ?』
「ええ」
『そしたらまた来ると思うか?』
「来ます、絶対」
柿本はそうだった。何年も実家の玄関を見ていたのだから。
『じゃさ、何回か覚悟するよ。あんまり無駄な覚悟イヤだけどさ、空振りならそれはそれで平和ってことだし。俺、駅で待ち伏せする。ジェロームが帰るのをマンションに入るまで見守る』
「哲平さん、ヒマなの?」
『バカ言うなよ! ……でもな、ジェロームにしろお前にしろ、何かあるって分かってんのに放っておけるか! 俺の大事な弟たちだぞ』
「哲平さん……」
『お! 今さ、ちょこっとお前、感動したろ!』
「……最低」
けれど頬に涙が伝ったのは確かだ。それに茶化してはいるが哲平が本心で言っていることくらい分かっている。
「哲平さんに何かあったら千枝さんに恨まれる」
『俺の彼女はそんな狭量じゃないの。第一千枝が吹っ掛けてきたんだから。『まさか放っとかないわよね!』って凄まれたんだぞ。しなかったら今夜恐ろしい目に遭う!』
くすっと笑ってしまう、容易に想像がついて。
「じゃ、引っ越しの手伝いは俺が行きます。終わってから駅まで送って俺はいったん離れますね。心配だからその後、どこかで見てます。違う車両に乗り込んでますから」
『ばか、それじゃ意味無い。俺とジェロームがいる時にお前がいたら不自然だろ。それにお前がどっかから見られたら困る』
自分がいないということに不安が残る。そこまで哲平は肝が据わっているのか…… そんな光景を見たことが無い。たいがいお茶らけて勢いに乗っているだけ。
「哲平さんに任せて平気なのかな……」
『おい! 俺の口はすげぇってまだ分かってないな!』
「いや、それなら知ってるけど」
『知ってんのかよ!』
「言ってること、支離滅裂だって」
『いいから任せろ。少なくとも一回はジェロームを守って見せる』
「一回ですか………頼みます。何とかしたいんだ、本当に。藁をも掴みたいって気持ち」
『俺は藁よりはマシだぞ。じゃ、細かい打ち合わせ』
やはり哲平が加わると空気がまるで変わってしまう。
(この方がいい。俺とお前じゃ陰々滅々だよな。千枝さんに礼言わなくちゃな)
自分も哲平の声に元気づけられている。行動力の塊、熱い男。今必要なのはそういう活気なのもかもしれない。
「お先に失礼します!」
「おう、華、頼むぞ」
「大丈夫ですよ、離れませんから」
ジェロームの肩に手を置いて池沢に振り返った。心配そうな顔の河野課長にも頷くとしっかり頷き返してくれた。今は自分がジェロームをみんなから託されている。
「今日と明日で終わらせような」
「はい……」
「不安か?」
「……どこかできっと見てる……来るような気がして」
「かもしれない。けど怖がってちゃどこにも行けなくなるし何もやれなくなる。少なくとも今日は俺がいるだろ?」
目をじっと見てくるジェロームに笑顔を見せる。遅れてジェロームが笑顔を返してきた。
電車に乗ってジェロームが周りを見回すのを見ていた。
(電車の中……そうだった、途中で下りたんだ、駅から出てマリエが来るのをずっと待った……)
「心配するな。例えいたって近づけやしないさ」
「はい」
ぼんやりした明かりの下、引っ越し屋からもらっていた段ボールでジェロームと一緒に荷造りをする。昨日の名残で散らかってはいたが元々は片付いていた。それに物が少ない。
「これで終り? なんだ、もう掃除だけでいいじゃん」
「エアコンの処分のことで大家さんに聞いてきます」
「一緒に行くか?」
「大丈夫、1階の下りてすぐだから」
カンカンカンという足音を聞く。ついては行かなかったが音を聞き取ろうと静かにする。しばらくして階下のドアが閉まる音が聞こえた。またカンカンカンという足音が聞こえ、手を動かし始めた。
「どうだった?」
「置いてっていいって。その分修繕費を安くしてくれるって言ってました」
「ちゃっかりしてるな。中古つけたままで次のヤツに貸すんだろ」
「でも良かったです、処分大変だし」
確かに今は処分に金がかかる。そう思えばいいのか。新しいマンションには新品のエアコンがついているんだし。
「ゴミどうする?」
「マンションのごみ集積所に入れていいって」
「良かった! お前さ、明るいところで生活すればきっといろんなことが変わるよ」
部屋を見渡すジェロームの肩を叩いた。
「思い出はさ、新しいとこでも作って行けるから。俺、お前んとこに遊びに行くからな」
途端に満面の笑みが溢れる。声が弾む。
「はい! 来てください、すごく嬉しいです! 人を呼べるって…すごく嬉しい……」
「行くよ。土産、期待してろよ。何がいい? 遠慮したらぶっ飛ばすぞ」
真剣な顔で考えているのが可笑しい。
「近くの店にお徳用のカリントウがあるから……」
「却下。もっといいもので」
「……食べたこと無いのでもいいですか?」
「なんだ? 生もの以外ならいいよ」
「チーズケーキ……食べてみたいです!」
ジェロームの頭をくしゃくしゃと搔き回した。ジェロームはこれを嫌がる。
「分かった! チーズケーキ買ってってやる!」
嬉しそうな顔に あ! と気づいた。
「恋人は? そうだ、サラサラヘアの恋人どうしたんだ? 掃除とか手伝いに来るのか?」
前に聞いたことのある恋人の話。そんな相手がいることが嬉しい。
「え!? いや、あの、今忙しくて」
「何だよ、来ないのか。マンションに彼女来てる時はさすがに遊びに行けないから、ちゃんと教えろよ」
「……はい」
困ったような顔にほのぼのとした。
(どっちから告白したんだろう……ジェロームのことだから相手の子からかな……きっとそうだ、こいつに告白なんてできるようには見えない)
好奇心がもたげてくるのと同時に、前に感じた違和感を覚えた。
(なんだって言うんだ?)
「マンションまで送るよ、意外と早く終わったし」
「駅までで大丈夫です。明るいし、後は心配無いと思います」
「ホントか? いいんだぞ、遠慮しなくって」
「向こうの駅からも明るいし近いし」
「そうか。分かった、駅までは一緒な」
「はい」
ジェロームに分からないように、携帯で哲平に2回コールして切った。この後を引き継ぐのは哲平だ。上手く行くのか……いや、そもそも今日相田が来るとは限らない。
(無駄足だったらごめん!)
駅で別れて反対のホームに行くのにやはり躊躇いが出る。
(いいのかな……不安だなぁ)
反対のホームから見ていると違う車両に乗り込む哲平らしき姿が僅かに見えた。
(上手くやってよ、哲平さん!)
祈るような気持で家に向かった。
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