第十三話 デジャヴ -2
やっと今日の分を終えてパソコンの電源を落とした。千枝は先に帰ったがまだ池沢と三途川がいる。片付けながら話しているところに課長が飛び込んできた。
「どうしたんです!」
「ジェロームと……連絡がつかない」
「あいつ、今日はアパートに」
「アパートに着いたら連絡寄越せと言っておいた。それが来ない」
慌てて携帯を取り出した。しばらく鳴らしたが出ない。
「どれくらい連絡取れずにいるんですか?」
「15分前にはアパートに着いてるはずだ」
(油断したのは俺だ! バカヤロー!)
「俺、行きます!」
池沢も三途川もすぐに荷物を持った。
「電車じゃ時間がかかる」
会議で動けない河野課長の焦りが伝わってくる。着いたら連絡をすると言って池沢の車でジェロームのアパートに向かった。
「反対すれば良かったんだ、一人で行かせるんじゃなかった!」
「華、誰にも予測できないわよ。それを言うなら私たちにだって責任がある」
(違う! そういうことじゃないんだ、ああいう連中には隙を見せちゃいけないって知ってるのに!)
「運転、三途さんがした方がいいんじゃないですか!? 走り、速いんでしょ!?」
「焦んないで。日本の公道は誰が運転したってたいして変わんないの。落ち着きなさい」
「無理! 落ち着いてなんかいらんない!」
駐車場など無かった。強引に池沢が端に寄せて止めた時には、華はもうドアを開けていた。聞いていた2階へと駆け上がった。
「ジェロームッ! いるか!? ジェローム!!」
池沢も来て ドンドン! とドアを叩く。中から怒鳴り声がして聞こえた。それが急に静かになった。
「ジェロームっ!」
カチャッとドアが開いて華はすぐに入り込んだ。華を見たジェロームが目の前でストンと座り込んだ。部屋の中は惨憺たる有り様…… 一目見てジェロームが必死に抵抗したのが分かった。
相田の姿は無く、窓が開いている。
「華、ここから逃げたんだ!」
池沢と二人で走った。だが街灯が少なく相田はとっくに逃げていた。
(チキショー!)
込み上げる怒りをどこにぶつければいいのか分からない。部屋に戻ってまだ呆然としているジェロームの背中を擦った。
「凄い有り様だな! お前、頑張ったな!」
怖かっただろうに。心細かっただろうに。
「ここさ、明日俺、手伝ってやるよ。今日はもう止めろ。課長んとこにチーフに送ってもらおう」
なるべく明るく話した。立つのを手伝おうと伸ばす手からジェロームの手が逸れて行った。呻き声に慌てて抱える。
「どうした!」
「蹴られて……」
「どこ?」
「腹……」
すぐに池沢が手を貸してジェロームを座らせた。少し休ませることにしてやっと家の中を見回した。
(ここで? ここで暮らしてたのか?)
ぼんやりした明かり。壁紙も天井も酷い。どう見ても安かろう悪かろうの部屋だ。くすんだ押し入れの襖は丁寧に穴に紙が貼られている。食器棚にはコップが2つ。茶碗が2つ。皿が数枚。そんなものしか入っていない。
きちんとした性格が見える。冷蔵庫は古そうだがきれいに磨かれていた。このどたばたのせいで散らかってはいるが、何より物が少ない。窓は半分が曇りガラスで寒々として見える。部屋ではあるけれど、『我が家』とこれで言っていいのか。
見るに堪えなかったのか、池沢と三途川は飲み物を買ってくると言って出て行った。
「腹、見せてみろ」
華がワイシャツを捲り上げるのを逆らいもせず黙ってやらせる。ぼんやりとした顔に不安しか感じない。
「骨は大丈夫だ。しばらく痛いだろうけど。教えたことはやれたか?」
ほんのわずかしかまだ教えていない。昼休みの空いた時間でスーツ姿で教える合気道はたかがしれている。
「指掴むことだけ」
それが出来たことが不思議なくらいに静かな声。あの時を思い出す。自分の身に起きた全てがショックで、助かっても反応が出来なかった。このままではジェロームが壊れてしまうようで目を離せない……
課長からの指示でジェロームを会社に連れて戻ることになった。確かにその方が安心だ。今日はまた課長の部屋で見てもらった方がいい。
オフィスで課長が会議から戻るのを二人で待つことにした。照明が一部しかついていないフロアが、さっきのジェロームの部屋を思い出させた。明かりを全部つけるとまるで現実に戻ってきたようにジェロームが周りを見回す。
「暗いのって滅入るからさ、そういう時は明るくするんだよ」
(暗いとこなんかに……お前を置いておきたくないよ……)
思い出はあるのだろうと思う。けれどあそこにある思い出はきっと辛いものばかりだ。
(そんな中で何年も生きてきたなんて……俺なんかとは大違いじゃないか!)
「カーテンとか買った?」
「いえ、まだ……」
(明るいこと、考えような。俺はお前の笑顔好きだよ)
「じゃ、明るい色にしろよ。好きなように部屋ん中飾りつけられるのって贅沢なことだって、俺分かったんだ」
(違う、そうじゃない……俺の伝えたいこと)
「俺、幸せなんだと思うんです……この会社に入っていろんな人に出会っていろんなことがあって……夢みたいな生活が出来る。俺、そういう生活に憧れてました。でもそれ、母さん込みの夢だった……」
切ない呟き…… 華の方が涙を落としそうだった。
上手いことが言える気がしなくて思うままに話していく。
「ジェロームさ、幸せになるタイミングってあるんだと思うんだよ。俺、誰もいないって思ってたらそうじゃなかった。彼女が見てくれていたんだ、俺のこと。俺の幸せのタイミングってそこだった」
(俺さ……お前ともっと早く会いたかったよ、ジェローム……)
「お前、まだ22じゃん。社会人なり立てでさ、まだ大人とは言えない。あれこれ考え込むにはまだ若いって。老け込んじまうぞ。頭年寄りになるなよ。我を忘れるほどの思いってしたことあるのか?」
そこに河野課長が戻ってきた。
「悪かったな! 遅くなった」
「いえ、お喋りしてましたから」
「そうか、今日は助かった。ありがとう」
「弟ですからね。俺一人っ子だったから楽しいですよ。じゃ、帰ります。あ、アイツから殴られて蹴られてるんです。ちょっと気をつけた方がいいかもしれません。骨は無事ですけど」
ジェロームの表情は、ショックが残っているようで虚ろに見えた。課長の手がジェロームの肩に載って、小さく息をつくのが見えた。
(やっぱり課長が安心なんだろうな。現実的にお前を守っているのは課長だもんな……)
「ジェローム、またな」
(お前がもう苦しまないで済むように出来るだけのことをするよ)
外から8階を見上げる。
(明日……出て来いよ。な、出て来い)
課長が出勤してきたら一人きりになってしまう。そうはさせたくなかった。
「大変だったねぇ……華くん、大丈夫?」
「なんで? 俺は大丈夫さ、心配なのはジェロームだ」
「そういう意味じゃなくて。前のこと、思い出すから余計辛いでしょう? そんな顔してる。今日、泊ってってあげようか?」
「ここ、もうお前の家でもあるんだよ」
「そうだけど。まだ茅平の家にいるし。それにここにお嫁に来るんだって考えるの楽しいよ」
「そうか……ジェロームの彼女、どんななんだろうな……あいつを包み込むような人だといいな」
「きっとそういう人だよ」
「でも……いや、なんでもない」
時々違和感を覚える時がある。漠然としたものだから正体が分からない。ジェロームに本当にそんな彼女がいてほしい、そう思った。
朝のジェロームはまるで昨日のことが無かったように明るかった。出て来いとは思ったが会うまではどんな状態か心配でいっぱいだった。これからはもう休まないというジェロームに、それはそれで不安になる。
「張り切り過ぎるのも良くないぞ」
「華さん、お願いがあるんです」
「なに?」
「合気道、ちゃんと覚えたい。強くなりたいです。すぐ怯えるし動けなくなるし。そういうの、もう卒業したい」
自分にしてやれることがまだある。課長だけじゃない、自分のことも頼ってくれている。それが嬉しい。
「分かった。その代り俺は厳しいぞ。音を上げるなよ」
「はい、よろしくお願いします」
(そうだ、ジェローム。強くなれ。あんなヤツ自分でぶっ飛ばしてやれ!)
自分は朗に庇われ、真理恵に庇われた。なら自分はジェロームを守ってやりたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます