第十三話 デジャヴ -1

 


 周りなんか見えていなかった、相田が柿本に見えた。転がっているのはベッドの上で動けなかった自分。無理やりイかされて呆然としていたあの光景が蘇る。

(感じたんじゃない! 感じたんじゃないっ!!)

 全てが自分の記憶のデジャヴだ。


 その柿本を取り上げられた。咄嗟にそいつを殴ろうとして一瞬で冷静に戻った。

(かちょう……?)

 鬼の形相の河野課長。自分の拳の比ではない。

(ヤバいっ、本気で殺す気だ!)

 飛びつこうとして、一足先に三途川がその腕を抑えた。

「課長、それ以上はマズいです!」

 パッとその目から激情が消えた。


 まだ怒りの治まらない華は倒れた相田の腹に蹴りを入れた。さっきと打って変わって河野課長の声は冷静だった。

「野瀬と池沢を呼んで来い」

 言われた通りに広間に向かいながら初めて課長を怖いと思った。

(どの姿が本物なんだろう……)

 河野課長の素を知っていると思っていた。仕事ではこの上なく有能で自分たちを率いる果敢な上司。哲平が『その内分かる』と言っていた通りだった。

 時に冷徹、時にいい感じに間が抜け、自分たちの外れた羽目を当たり前のように尻拭いする。けれど今夜の課長の姿は初めて見た。



「なんだって!?」

 池沢と野瀬の反応も早かった。二人がどれだけ酒を飲んでいたか知っている。だが事を知った二人はよいが飛んだようだ。

 けれど、ジェロームのところに戻った時の野瀬の言葉に激怒した。

「すまん、相田がどういう男か聞いていたんだ」

「黙ってた? 知ってたらもっと早く手を打てたんだ!!」

しかしそれが世間だ…… 男が男に襲われる危険は軽視される。そんなバカなという意識の中に埋められてしまう。襲われる恐怖は襲われた者にしか分からない。


 ジェイを安全な場所に連れていくまでの相田を任された。足元を冷ややかに見下ろす。

(アレを使えないようにでもしておくか?)

そんなことを考えている時に呻き声がして目が開いた。華の顔にやっと焦点を当てて弱々しく両手を振る。

「俺の、せいじゃ、ない……あいつ……が誘っ」

 口を蹴り上げた。柿本が言った言葉と変わらなかった。

『華から車に乗った 華は部屋についてきてくれたんだ 華は興奮してイってくれたんだ』

「う……そじゃ、ごふっ……うそ、じゃ、ないんだ、はだかに、なりは、じめたから」

 口元からだらだらと血を流し続ける相田の襟元を掴み上げようとするところに課長たちが戻ってきた。

「どうした」

「こいつが血迷ったことを言うから確認していただけですよ」

 腕の中の相田がもがく。同じ言葉を課長に繰り返す。殴ろうとするのを止められた。

「なんで止めるんだよっ!」

「こいつはもうサヨナラだ。歓送会をする気は無い」

 その言葉から冷気が流れてくる。華は手を離した。なおも言い募ろうとする相田に課長の氷の刃が振り下ろされる。

「黙った方がいい。俺は今機嫌が悪い」

 相田も黙ったが華も黙った。

(こんな風に……こんな風に庇われたかった…)

今ならあの時の自分の気持ちが分かる。大人にいてほしかったのだ、きっと。


 部長が来て、相田自身のことから手が離れた。ジェロームが心配で堪らなかった。今は酔っているからいい、でもその先は……

 自分はベッドから出られなかった。食事も喉を通らなかった。

「明日まともでいられるのかなぁ」

 自分にはまともでいることなど出来なかった。

 そして課長に聞かされた。幼い時からパフェすら食べたことがなかった、ゼリーやプリンを我慢していた……

 自分がマフィンを拒んだことまで思い出し、苦いものを飲み込む。

「俺、つき合います。いろんなところに連れて行きたい」

 思い返した、自分は本当の意味で一人になったことは無かった。会社では哲平の存在が大きかった。よく自分を見捨てないでくれた。自分にとっての哲平のような存在になりたい。いつもジェロームのそばにいてやりたい。



 長いことジェロームは休んだ。何度も訪ねて行こうと思った。けれど課長がケアをしていると聞いて安心した。あの時の河野課長は自分が欲しかった守り主そのものの姿だった。

 やっと出てきた時に見たジェロームに声をかけようとして息を呑んだ。

「ジェローム! どうしたんだ、首!」

「間違って、その……」

「間違えてこんなとこ切るか? これ、刃物の痕だろ? ちょっと来い!」

 自殺を図ったのだと思った。それでもおかしくない。まともな神経じゃ…… そこまで考えてぞくっとした。

(こいつ……あそこを握られたの、覚えてるんじゃないだろうな……)

 けれど、自殺を図ったわけではなかった。ジェロームは前を向いてくれた。

「免許も合気道も頑張ります」

 自分の勧めに、そう言ってくれたのが嬉しかった。自分がしてやれることがまだまだある。自分がして欲しかったことをジェロームにするのだ。

「俺たちみたいなのにはそういうの、必要なんだよ」

 真面目に言った。自衛策しかないのだから。

「合気道ですか? 俺たちみたいって?」

「きれいで優し気」

 きょとんとした顔に(何か言ったか? 俺)と思った。

「華さん、優し気なんかじゃないですよ」

「なんだって?」

「華さん、優し気なんか…… ごめんなさい! そういうつもりじゃ」

 怒った顔はしたが、内心吹き出したいのを堪えていた。

 ジェロームの天然がいい。これがあるから周りは救われる。何にも毒されてこなかったからこそ自分を守ることしか出来なかったのだろう。

 兄弟のいない華にとっては、今のジェロームは弟のようなものだ。

(俺の弟ならもっとふてぶてしくなるか)

けれどもし持てるならジェロームのような弟がいい。


  

 華は、ちょっとでも異変があれば気づけるほどにジェロームのことに神経が集中していた。話しかけて、連れ出して。一人にしたくない。今でも時折見かける寂しい顔が辛い。華は常にジェロームに自分を重ねていた。

 そんな日が続いたある日、仕事が終わって出て行くと倒れかかっているジェロームを河野課長が支えていた。

(え?)

相田が関連していると直感的に分かった。

「何があったんですか!」

「相田が待ち伏せしてたんだ」

『仲直りをしよう』

 そう言っていたと聞いて、またデジャブのように感じる。

『華を探した』

 どうしたら守れるのか。あいつは何年経っても自分を追い続けていた…… 引き取りたいと思っても、今の自分の周りは落ち着かない。真理恵とのこともある。

「俺にできることってなんだろう」

 呟く華に真理恵は優しかった。

「華くんはジェローム君のこと、一番分かってあげてると思うよ。自分のことを考えてくれる人がいるってあったかい気持ちになると思うよ」

 真理恵が自分にしてくれたこと。あの全てが愛だったのだと今は知っている。

「俺にはマリエがいたから。マリエみたいには出来ないけど俺、頑張るよ」


 だが、相田の魔の手はジェロームを掴もうとさらに伸びてくる。オフィスで携帯を取った時のジェロームの顔が一瞬で真っ青になったのを見て、迷わず取り上げた。

『……らね、君の都合に合わせるよ。割り切ったセックスをするだけ。いい関係になれると思わないか? 僕たちきっと体の相性いい』

(割り切ったセックス……体の相性……)

「この変態ヤローッ!!」

 思わず怒鳴っていた。静まり返るオフィスの中……


 けれど悪いことばかりが続くわけではなかった。課長の素早い対処のお陰で、ジェロームは危険な一人暮らしから解放されることになったのだ。課長が見つけてくれた引っ越し先は、課長の自宅のすぐそばだった。

「引っ越しは俺が手伝いに行く!」

 なんでもしてやろうと思う。免許を取るために時間が必要ならジェロームの仕事は全部引き受けても構わない。だがこの『弟』は出来過ぎた『弟』だった。自分たちに迷惑をかけまいと早朝から仕事をしたり、休憩を削ったり。


「いいヤツなんだ、本当にいいヤツなんだよ」

 言い続ける華に真理恵は笑顔を向けた。

「華くん、初めてだね。人にそんなに入れ込むの。いいことだよ。華くんの思う通りに寄り添ってあげて」

 華はその言葉に真剣に頷いた。

「そうしてやりたい…… ありがとう、マリエ」

 課長が側面から全面的に引き受けてくれるなら、自分は友人として助けてやりたいと思う。こんなに誰かのために考えたことがあるだろうか。


「免許、取れました!」

 入って来たジェロームは免許証を持ってみんなに手を振った。

「やったな!」

「ようやく若葉か」

「半年無事なら助手席に乗ってやるよ」

 みんなが嬉しそうに野次を飛ばした。華は飛びついた。

「ホントに一発OKだったんだな、えらいぞ!」

 頭を撫でると逃げるから追いかけた。その内ジェロームも笑い出す。

「こら! お前らじっとしてろ! 華、早く捕まえちまえ!」」

 野瀬が怒ってるのかけし掛けているのか分からないような止め方をする。そのままオフィスから逃げ出したジェロームを4階まで追いかけた。

 二人でソファ席に引っくり返ってハァハァと荒い呼吸を落ち着けようとする。周りは呆れたような顔を向けたが楽しくて気にもならない。

(こんな追いかけっこ、初めてだ!)

 華にとっても初めての体験……

「はな、さん、きつい!」

「若いくせに、なに、言ってんだよ!」

 少し落ち着くとジェロームが勢いよく起き上がった。

「気持ちいい! こんな追いかけっこって初めて!」

(初めて……って……お前も?)

「子どもの頃さ、近所に公園って無かった?」

「あったけど……行ける時少なかったから」

 何を聞いていいか分からなくなった。華だって公園くらいは行ったのに。

 立ち上がって自販機に行く。自分にはお茶、ジェロームには抹茶ラテ。

「奢り」

「わ! ありがとう」

 飲みながらお喋りをした。嬉しそうに話し続けるジェロームに耳を傾ける。

「車買う前に引っ越しします」

「いつする?」

「次の土日にしようと思って。今週、夜にアパートの荷物まとめます。少ないからすぐ終わります」

「そうか」

 今、自分は手元が忙しい。一人というのが気になる。

「大丈夫ですよ、一人で。あれから変なこと無いし。華さんの電話で諦めたのかも」

 やめとけ、そう言おうかと思った。一緒にいる時にやってほしい。けれど早く引っ越したい気持ちも分かる。

「油断するなよ」

「はい」

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