第十一話 『静水』 -2
思い切り真理恵に引っ叩かれた。
「しばらく、来んな! 出てけ!!」
持って行った花を投げつけられて、涙いっぱいの真理恵の顔に言葉を失った。
『俺のせいだ……責任取る』
その言葉がこんなに真理恵を傷つけるとは思わなかった。
柿本は今度こそ捕まった。女性の顔を歪むほど殴って出血させたのだ、言い逃れの出来ない暴力。そして華の母親を捕まえるつもりだったと言う言葉と華を待ち伏せていたという事実。近所でも『あれって変質者?』と、華の家を窺う様子が見られていた。
ついに華は自由になった。けれどそれと引き換えに真理恵を失おうとしていた。
「違う、そういう意味で言ったんじゃない、ごめん、違うんだ!」
やっと言ったのに真理恵はベッドの上で向こうを向いてしまった。
「マリエ!」
「やめろよ、今日は帰った方がいいよ」
ちょうど看護士が入って来たから朗に引っ張られて廊下に出た。
「俺、変な意味で言ったんじゃないんだ……」
華は唇を噛んだ。
それほど華の家から離れていなかったこともあり、すぐに茅平夫婦と華の両親も飛んで来た。それでも真理恵を離さない華を、やっと超愛が引き離した。
救急車は家族しか乗ってはいけないという。病院が決まったら連絡が欲しいと、朗に頼んでやっとこの病院に来たのだ。
MRIでは異常が無かった。骨も無事。打撲と口の中が切れたこと。歯も無事だ。華は何度も茅平家の家族に頭を下げた。
「本当にごめんなさい。俺のせいです、俺を庇おうとしてマリエはこんな目に……」
「あの子が咄嗟にやったことだよ。華くんが思い悩むことじゃないんだ」
「そうよ。真理恵は華くんのことをいつも大事に思っているからね、黙っていられなかったのよ」
誰が許しても、あの時動くことも出来なかった自分が許せない。そして口走ってしまった。
『責任を取る』
「華さ、あれ、どういう意味? なんの責任を取るつもりだった? 本当の事教えてよ」
「マリエが気を失った時……俺、分かったんだ。マリエを好きだってこと」
朗のため息に顔を上げる。
「いつそうなるかと思ってたけど。あのさ、華って肝心なとこで間違うよな。あの誤解は解くの大変だと思うよ。それに散々彼女のことを喋ったばっかりだろ?」
ハッとする。それどころか彼女の誕生日のプレゼントは真理恵に選んでもらったものだ。その後にパワーストーンのことで言った自分の言葉。
「いつかそうなるって……朗、分かってたの?」
「お前以外は……違うか、宗田家以外はね。もっと早くそのことに気づくかと思ってたんだけど。華は真理姉ぇの前でばんばん他の女の子の話をするし。ああ、こりゃだめだなって途中から諦めてた」
「そうなの……」
「真理姉ぇはああ見えて頑固だからね。これから大変だと思うよ」
やっと見つけた真実なのに、伝える術が分からない。
(ソウルメイト……間違ってなかったのにな……つくづく俺はばかだ)
毎日病室を訪ね、毎日追い返された。
『もう来ないで。華くんには会いたくない』
どうしていいか分からない。何もかも自分が招いたことだと自覚がある。
(言葉じゃ……伝わらないよな、口は真実も言うけど嘘も言うんだから)
どうすれば伝わるのか。華は真剣に考えて考えて、これしか今の自分には出来ないとそう思った。
病室の前で入るのを躊躇った。
(なに、怯えてんだよ!)
だめでも諦めない、そう心に誓っているのだ。息を吸い込んで入った。真理恵は空を眺めていた。その横顔がきれいだ。
「マリエ……」
「来ないでって言ったよ」
空を見たままの真理恵の冷たい声が華を突き刺す。ベッドのそばで土下座した。
「俺を見てくれなくてもいい、聞くだけでいいから。俺はいろんな間違いをしたけどこの間違いは他のに比べ物にならないほどのデカい間違いだった。今、許してくれって言わない。俺にはそんなこと言う資格が無い」
いつもならとっくに追い返す真理恵。聞いてくれているのだと、それだけが嬉しかった。
「今頃分かったんだ、なんで師範がボンクラ、ボンクラって言ってたのか。今頃分かったんだよ、マリエがいなかったら俺なんかここまで来れなかったってこと。今頃で、本当にごめん」
振り返って真理恵は土下座したままの華を見た。息を呑んだ。
「華、くん…… 華くんっ!」
ベッドを下りた。華のそばに座った。華を抱き締めた。
「ばか……きれいな髪だったのに……」
「そんなもん、どうだっていいよ。マリエより大事なもん無いよ」
「ホントに……ばかなんだから」
「うん……ごめん、ずっとばかで」
真理恵も泣いていたが、華も泣いていた。入ってこようとした看護士が目を丸くしてほんの少し笑って病室から離れて行った。
「触り心地、いい?」
「うん。いい。怒ってたのが消えちゃうくらい触り心地いい」
「ならやった甲斐があるよ。良かった」
「つるつる。帽子、買わなきゃ」
「要らない、俺のけじめだから」
「私が言っても?」
「俺が決めたんだ」
「……頑固もん」
「ね、……許してくれたってことかな」
「私のためにだけこんなことしてくれるのに……ソウルメイト、でしょ?」
体を離して真理恵をベッドに座らせる。その足元に座った。
「俺、なんで分かんなかったのかなぁ……お前がソウルメイトだってあんなに普通に思えたのに」
「きっと……華くんにとって私は空気だったんだよ」
「そんなことっ!」
「ううん、いないとかそういう意味じゃなくて。いて当たり前だったってこと」
真理恵の手に自分の手を重ねた。
「マリエを愛していきたい。ちゃんと分かって言ってるから。考えて、今までの俺のこと。関係が変わってもいいかってこと。返事急がない。ゆっくり考えてくれていい。俺は揺るがないから」
「知ってる。華くんはそういうこと簡単に言う人じゃないって。……時間、ほしい。いいかな」
「もちろんいいさ。千年でも二千年でも待つよ」
「ホントにばか。そうだね……髪の毛が元に戻ったら答えるよ。だからもう切らないで」
「分かった、もう切らない。ずっと伸ばす、約束する」
「じゃ、今日はもう帰って。私ね、明日退院なの。その後、しばらく鳥取のおばあちゃんのとこに行くんだ。帰って来るの決まってないの」
「帰って来るよね!?」
「連絡する」
真理恵の手に口付けて華は立った。
「分かった。待ってる。俺からは電話もメールもしないから。時間も日にちも関係無く待ってるよ」
「うん。華くん。早く髪、伸びてほしいな」
パッと華の顔が輝いた。今、許されたのだと思う。
「食事ん時は必ずわかめを食べるよ」
「そうして」
そして再会までしばらく間が空くことになる。けれどそれで不安になることは無かった。真理恵の笑顔が心にあるから。
大学をやっと卒業した。それが実感だった。時間が経つのが待ち遠しかった。髪が伸び始め、早熟の華はいろいろ絡まれた。自分に近づく女性も多かったが、男性の多さに辟易した。しかもセックス込みなのだから堪ったもんじゃない。何度かケンカが起きる。複数の酔っぱらいに囲まれた時もあったり、純粋に女性と間違えられたり。
下卑た笑いを憎み、蔑んだ。
FGS。フューチャー・ジェネレーション・システムズ。数ある中でこの会社の面接を受けた。面接で厳しい顔立ちの上長に挨拶をした。そして合格。
部署に配属されて最初の挨拶だ。
「宗田華といいます。お世話になります」
同期の澤田があれこれと自己紹介をした後の華の挨拶はシンプルだった。オフィスのメンバーはどれも一癖も二癖もありそうな顔ばかり。
(上等じゃないの)
そう思った。多分、これは揉める。その時点で華はすでに開き直っていた。
「配属を言う。二人とも開発構築の野瀬チームだ。野瀬、頼む」
「はい。野瀬だ。俺のチームは忙しい。二人の履歴を見たがバリバリ勉強してきたみたいだな。歓迎するよ」
「課長、ちょっといいですか?」
「なんだ、宗田」
「違うチームに行きたいです」
しんとした中で野瀬が華の前に立った。
「どういうことだ、入った途端に我が侭か?」
「理由、言いたくないです」
「そんなわけに行くか!」
「待て、野瀬」
河野課長が冷静な声で間に入る。
河野蓮司。入社の面接でこの課長と会った。話を聞きながらここで働きたいと思った。
『他の入社面接、やめます。俺を使ってください』
『やめる? ここを落ちたらどうするんだ?』
『来年、また受けに来ます』
そして、R&Dに来た。
「宗田、みんなの前で断ったんだ。理由を聞かないわけには行かない。言え」
「いいんですか?」
河野課長が黙っているから肩を竦めた。
「この人の声が嫌いです。ずっとこの声に従うのかって思うとモチベーションが下がります」
「なっ……なんだとっ!?」
これにはオフィス中がざわめいた。河野課長の表情だけが変わらない。
「それが通ると思っているか?」
「いえ。でも俺を使いこなすのはその人には無理だと思います」
「お前は何様だ!」
「自信が無ければ入社しません」
一緒に入った澤田が呆気に取られてぼそりと呟いた。
「言うなぁ……気持ちいい」
それに笑った者がいた。振り向くとガタイのいい男とやんちゃな顔をした男。大きな声が出る。ガタイのいい男だ。
「野瀬さん、揉めんのバカらしいですよ。課長、俺に預けてもらえませんか? その後の様子を見て処分を決めるってことで。野瀬さん、どうですか?」
「池、お前に任す。俺もごめんだ、こんなヤツ」
「お前ら課長不在で勝手に決めるな。野瀬、池沢、宗田。ミーティングルームに来い」
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